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サフランまち歩き~「買物公園の母」の居ない光景

少し前の事だが家で奥さんとテレビを見ながら雑談していた時のこと。
話の流れは定かでないが、話題が占いの事になったとき、奥さんが「そう言えば買い物公園の女の占い師の人、亡くなったよね」と言うのである。 
筆者はそれを知らなかったので、一寸ビックリしてしまった。
旭川市民で「買物公園の女性占い師」を知らない人が居ればその人は「モグリ」である。
いつも買物公園の5条付近で机1つ、椅子1つで佇む姿は、まさに買物公園の風景の1つとして溶け込んでいた。冬に近くを通りがかる度に筆者は「この寒いのによく平気でいられるなあ」と心の中で驚嘆していたものである。筆者や友人達は「銀座の母」をもじって「買物公園の母」と呼んでいた。
さて、その「買物公園の母」が本当に亡くなっていたとしたら驚きである。インターネットで「買物公園」「占い師」と検索して調べてみると、ある人のブログに行き着いた。それによると、どうも本当に亡くなったようで、前後の事情は北海道新聞2012年1月27日号に詳しく載っているとのこと。さっそく中央図書館2階資料室に赴き、道新のバックナンバーを閲覧した。以下は道新の記事の抜粋である。
~占い師の名前は中川さんという。周囲には昭和23年生まれと語っていたので亡くなったとき(後述するが2010年)は62才になる。幼少時は空知管内のまちで育ち、中学卒業後旭川に移る。男の易者に弟子入りし20才頃に独立する。最初は36街で営むが酔客にからまれるなどし、近辺の商店主らの好意により5条に商売の場所を移す。以来、ずっとその場所で易者を営み、やがて買物公園の顔として親しまれるようになるが、2007年頃、警察の指導により廃業を余儀なくされる。その後も(まるで意地のように)買物公園のベンチに座り続けるが、2010年の12月中旬頃から姿を見せなくなる。同月20日、心配した5条の商店主らが自宅マンションを訪ねてみると倒れているのを発見され、そのまま死亡が確認された。~
亡くなっていたのは事実だった。
実は筆者は一度、この人に占ってもらったことがある。
もう20年位前のことになるが、あることに悩んでいた時期があった。会社帰り買物公園を歩いていると「買物公園の母」が座っているのが視野に入った。「ああ、そう言えば俺、この人に占ってもらったことないなあ」と思い、自然に彼女の前の椅子に座った自分が居た。
その後、様々な事情が重なり、アドバイスいただいたとおりにすることは出来なかったのだが、こうして亡くなってしまった今、一度占っていただいて良かった、と思うのである。

写真キャプション1:道新の記事。見出しは見づらいかもしれないが「買物公園40年」「街の人情に育てられ」とある。
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写真キャプション2:「買物公園の母」が座っていた場所。シャッターが閉じているのは、かつてスポーツ店だった。
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2012.10.15 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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