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サフランまちあるき~六條にいま曲れば

 前回の記事の写真3で「スタルヒン居住地の看板」をご紹介した。
 同じような、銀色で縦長、上が三角の看板は市内に他にもあって、ご覧になった方もいらっしゃると思う。
 それらは1990年、旭川の開基100年の記念事業の一つとして、市内の記念碑的なところに置かれたのである。

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写真1:「宮沢賢治 立寄り地」

 写真1は6条通12丁目、旭川東高前の歩道に置かれた「宮沢賢治 立寄り地」の看板。逆光で説明文が読めないと思うので一部をご紹介すると、
「大正12年8月 宮沢賢治は樺太(現サハリン)へ向かう旅行の途中、旭川に立ち寄っており・・・この場から樺太へ向かっている・・・」とある。
 大正12年は1923年、つまり今から丁度100年前の8月2日、宮沢賢治は旭川を訪れていた。
 この旅行は賢治が教えていた岩手県の花巻農学校の生徒たちに就職先を探すため、樺太へ向う途中の旅だった。
 夜行列車は朝旭川駅に着き、短い旭川滞在のあいだ賢治は馬車を走らせ、そして一篇の詩を残している。

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写真2:「“旭川。”詩碑」

 写真1の看板の向かい、旭川東高の敷地内に、そのとき賢治が残した詩「旭川。」の詩碑がある。これも一部を抜粋してご紹介すると

 ~植民地風のこんな小馬車に 朝はやくひとり乗ることのたのしさ
  「農事試験場まで行ってください。」 「六條の十三丁目だ。」
 馬の鈴は鳴り 馭者は口を鳴らす。
 黒布はゆれるし まるで十月の風だ
 -中略-
 六條にいま曲れば
 お〃落葉松(ラリックス) 落葉松(ラリックス)
 それから青くふるえるポプルス この辺に来て大へん立派にやっている
 -中略-
 こんな小馬車を誰が欲しくないと伝おうか
 乗馬の人が二人来る。 そらが冷たく白いのに この人は白い歯をむいて笑っている。
 バビロン柳 おおばことつめくさ みんなつめたい朝の霞にみちている~ (※一部、旧かな遣いと旧漢字は現代に改めています)

 教え子の就職のためだろう。駅から6条13丁目付近にあった農事試験場へ馬車を走らせるが、試験場は既に永山へ移転。
 あとには旧制旭川中学(現・旭川東高校)があった。そして賢治は永山へは行かず、昼、旭川駅から稚内へ向かう。
 機会があれば一度、写真2の詩碑をご覧いただければ、と思う。
 ほんの短い滞在ではあったが、旭川のことを気に入ってもらえた事がうかがえる詩だと思う。
 この旅行は賢治にとって、前年に妹をなくした、悲しみをいだいた旅であり、だからこそこの詩は文学的な意味が深いと、筆者は感じるのである。

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写真3:「満腹食堂」

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写真4:「満腹のチャーハン」

 当ブログで今まで何回ご紹介しただろう。東高の斜め向かいにある(筆者の心のオアシス)満腹食堂。
 満腹のチャーハンもあと何回食べられるだろうか。ご店主の室岡さんもまた東高OBであり、結構なお年である。
 “満腹”がなくなる日など想像もしたくないが、これからはなるべく来たい、と思うのである。

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2023.08.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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