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サフラン焼きめし紀行~独身時代の強い味方

 以前にも書いたが、筆者が一人暮らしを始めたのは平成3年の4月。21才で社会人3年目の春だった。
 当時の給料は手取りで9万円くらい。
 支出で大きいのが家賃と光熱費で4万円くらい(家賃が3万3千円)。
 残り5万円でその他諸々の出費をまかなうワケだが、節約すれば大丈夫だし、しっかりした人なら貯金も可能だろう。
 だが筆者は、と言えば常に金欠でピーピーしていて、夏冬のボーナスで何とかしのいでいた。
 理由は(皆さんもう想像ついているだろうが)、筆者は呑むのが好きだから。
 それも今みたいな“家呑み”だけでなく、スナックにもよく通っていた。
 そのスナックも、ナイトスナッカーズで玉袋筋太郎氏が行くようなシブい店ではなく、若いホステスさんがついてくれる様な店で、ボトルなど入れようものなら平気で1万超えるようなところが多かった。
 いきおい、そのしわ寄せは食費に向かうことになる。
 前置きが長くなってしまったが、今回の「焼きめし紀行」はお店の紹介ではなく、こちらの商品。

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写真1:「永谷園様謹製・チャーハンの素」

 “ボン&ククレカレー”、“まぜりゃんせ”とともに筆者の空腹を満たしてくれたのが永谷園のチャーハンの素。
 これにはどれだけ助けられただろうか。一人夕飯の夜、久しぶりにいただいてみる。

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写真2:「用意するもの」

 最低限必要なものは、ご飯と玉子。ネギやピーマンを足す事が多いのだが、今回はシンプルにこれだけ。
 作り方はいたって簡単。まずフライパンでスクランブルエッグを作り別な容器に移しておく。その後、同じフライパンでご飯を炒める。写真1のパッケージには「パラパラ黄金炒飯」とあるが、そうならない様に多めの油でしっとりと炒める。
 ご飯が良い感じに炒められてきたらチャーハンの素を加え更に炒め、最後に玉子を加えて完成。

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写真3:「永谷園チャーハン完成之図」

 ところどころ炒めムラがあるのはご愛敬。“玉子だけ”と書いたが、チャーハンに紅ショウガは絶対に外せない。
 合わせる“第三のビール”は「冬の金麦・ゴールドラガー」。
 お店のも良いが自分で作るチャーハンも美味しい。理由は簡単で、100%自分の好みに作れるから。
 まだ2食あるので今度はミニカップ麺と合せて“チャーハン&半ラーメンセット”なんてやってみたいと思う。 
 これも前に書いた事だが、独身で一人暮らしをしていた平成3~7年の4年間が、筆者の人生で一番落ち着いて楽しい時間だった。
 もうあんな頃は来ないが、少しずつ楽しみを見つけていければ、と思う今日この頃である。

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2020.10.31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

今は無き懐かしのラーメン店と「中坊」時代の思い出


 前々回の記事で、一番好きなラーメン店は「みづの」だと書いた。
 だが20才頃の筆者に同じことを聞いたら、違うお店の名前を挙げるだろう。

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写真1:「西山軒あと・1」

 7条通8丁目、今はコンテナというカフェがあるところにかつて、西山軒というラーメン店があった。
 寡黙な先代店主のつくる正油ラーメンはまさに“ザ・旭川ラーメン”といった味わいで、筆者は大好きだった。
 たしか平成10年代の中頃までは営業していたと記憶している。後期になると調理は若い人に任せて、先代は店内で座っていたが、とても痩せておられたので筆者はなんとなく心配していた。
 先代がつくらなくなると自然に筆者の足も遠のき、気がついたら閉店していた、という次第である。

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写真2:「西山軒あと・2」

 写真1の7条通8丁目にお店を移転したのは、たしか平成2~3年前後だったと思う。
 その前は8条通7丁目、今は駐車場となっているロータリー近くにあった。
 筆者は、このロータリー時代の西山軒が一番美味しかったと、今でも思っている。
 この8条通7丁目では、角地の右端に西山軒が、そして隣には与作という居酒屋が営業していた。
 その与作を経営していたのが、筆者の“中坊時代”の親友(悪友?)、Nのご両親だった。
 そして建物の2階がN一家の住居であり、兄貴と共有していたNの部屋で、長く時間を過ごしたものだった。
 当ブログで良く名前が出てくるアメリカのロックバンド、ナイトレンジャーを筆者に教えてくれたのもまた、Nだった。
 なのでNの部屋ではナイトレンジャーのLPを聴いたり、“鶴光のオールナイト”の話題で盛り上がったものだった。
 Nは中学卒業後、調理師の専門学校に入った。26~27年くらい前に同窓会で会ったときは、トラックのドライバーをしていると言っていたような。それから会っていないが、元気にしているだろうか。
 閑話休題(それはさておき)、中心地の西山軒はなくなってしまったが、市内に支店がある。
 前々から気になっていたのだが、なかなか足が向かなかった。先日、意を決して訪れてみた。
 
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写真3:「西山軒・大町店」
 
 写真3は昼に撮ったものだが、訪れたのは夜。ご高齢の(恐らく)ご夫婦が営んでいる。
 店内はL字カウンターに小上がりが一つ。カウンターには消毒用アルコールと、2席ごとに透明シールド。
 こんな小さなお店でも、コロナ禍の風景はもう日常のものである。
 さて、筆者の注文はこちら。
 
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写真4:「ラーメン650円也&ライス小150円也」
 
 昼にラーメンを食べるときは単品だが、夕食に食べるときはライスも一緒にいただく事が多い。
 そしてコショウはもちろん・・・
 
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写真5:「ギ~ャバ~ン!!」
 
 ・・・さて、まずスープを一口。ダシの効いた、特一番や天金にも通じる、いわゆる“旭川正油”の味。
 麺は(昔ながらのお店に多い)やや柔らかめで、まさに筆者の好みの麺である。
 チャーシューとメンマはご飯の上に乗せていただくのが“ターメリック流”。美味しく完食したことをご報告する次第。
 やはり昔ロータリーや7条買物公園でいただいた、西山軒の味を思い出してしまう。
 会計のとき、ご主人に「西山軒と言えば昔、7条やロータリーにありましたね」と話を向けると、「うちは支店なんです」とのお答え。そして懐かしい先代のご店主はもう随分と前に亡くなった、との由。「やはりか」という思いとともに、心からご冥福をお祈りしたい。
 ともあれ、とても満たされた気持ちでお店を後にする。今度は焼きそばやチャーハンなどにもトライしてみたい。
 
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写真6:「お店のオリジナルマッチ」
 
 今ではもう、“こうゆうもの”を置く店も少なくなってしまった。昭和の時代にはこんなマッチをコレクションして、なぜだか部屋の鴨居の上に並べて飾る人が多かった。
 筆者は煙草を吸わないが,月に一度、母方の菩提寺に行くようにしてるので、ロウソクに火をつけるのに活用したい。

2020.10.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフランまちあるき~1条買物公園・再開発の今と昭和通りの懐かしのお店

 4月5日付の記事では1条買物公園の再開発についてお伝えしたが、今回は半年経った現在の様子をお伝えしたい。

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写真1:「西武A館あと」

 西武A館あとはツルハがホテルを中心とした大規模施設を建設中である。
 半年前は更地だったのが、今は鉄骨工事がほぼ終わった様で、順調に進んでいるようだ。

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写真2:「エクスあと」

 その西武A館あとの買物公園を挟んだ向かい、エクスの建物は解体され、低層階に商業施設、高層階にマンション配した25階前後の複合ビルが、2023年度中の完成を目指して計画されている。
 1階にあったツルハはすでに閉店し、現在は解体工事のための足場が組まれている。
 買物公園には久々に明るい話題だけに、こちらも順調に推移していって欲しいと願っている。
 さて、ここからは話題を変えて、昭和通りにあった懐かしのお店などの思い出を綴っていきたい。

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写真3:「ゼットあと」

 最近は滅多になくなったが、かつて職場の飲み会は、一次会が居酒屋や焼き肉店、二次会がスナック、そしてシメが麻雀といった流れが多かった。
 当時筆者たちが良く麻雀を打った場所が、先日、惜しまれつつも閉店した八条プレジャー(麻雀荘の営業はずいぶん前にやめていたが)と、写真3の、はま長本店のとなりの建物の2階にあった、Z(ゼット)という麻雀荘だった。
 当時の筆者の戦果はと言うと、もともと大して強くないうえに、酔ってやるので、あまり良くはなかった。
 ただ同僚や友人たちと過ごす時間は、とても楽しく、かけがえのないものだった。
 考えてみれば、ゲームなどではない本当の麻雀を最後に打ったのは平成19年の3月。もう12年以上、牌をにぎっていない事になる。久しぶりに友人を誘って卓を囲むのも良いかもしれない。

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写真4:「小野木あと」

 旭川で鳥料理と言えば、東旭川にある小野木が有名だが、かつてはこの4条昭和通りにもあった。
 たまに昼に訪れ、ランチの親子丼をいただいたことを思い出す。
 それにしても今回、この記事のために買物公園や昭和通りを散策したのだが、本当にコインパーキングばかりが目立つようになってしまった。
 これは旭川に限らず、どこの地方都市にも共通なのだろうが、その昔、多くの味のある小売店や飲食店がひしめいていた時代を知る世代にとっては、本当に寂しい限りである。

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写真5:「中〆・友鮨あと」

 5条通7丁目、井泉のとなり、今は北の酔り処というお店がある場所に、かつて中〆(なかじめ)と友鮨(ともずし)という二つのお寿司屋さんが、仲良く軒を並べていた。
 ここの思い出といえば23~24才の頃、同僚と二人で呑んだシメに友鮨でお寿司を食べたが、なんとなく物足りなく、“さんろく“に戻って蕎麦を食べてもまだ物足りなくて、最後は中〆でまたお寿司を食べたこと。
 つまり一次会でさんざん飲み食いしているにも関わらず、シメでお寿司を二人前と蕎麦を一杯たべたのである。
 しかも翌日のお昼は普通にお腹が空き、普通に昼食を食べたのである。(それでも太らなかったのだから、若いというのは本当に凄いものである。今筆者は生寿司10カンを平らげる事ができない)
 以上、今回ご紹介した懐かしのお店は(小野木を除いて)“マイナーどころ”が多く、「あー、あった!あった!」と共感いただけないかもしれない。ただいずれも、筆者にとって思い出深いお店なので、当時の記憶を綴った次第である。
 さて、また話は少し変わって、ペペサーレ旭川店が3月末をもって閉店した事は以前お伝えした。
 筆者はてっきり、建物は解体されると思っていたのだが、同じ建物で、9月30日にオープンしたのがこのお店。

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写真6:「丸亀製麺」

 旭川で二店目となる丸亀製麺。“新しもの好き”の旭川人の性(さが)ゆえ、オープン以来、大繁盛している。
 筆者は讃岐うどんがあまり好きではない。アルコールがあればトッピングの天ぷらを肴に“ひとり呑み”としゃれこみたいが、調べてみると、旭川の店舗では酒類の提供は無いようである。ただ、せっかく自宅近くにあるので、そのうち天ぷらをテイクアウトして家呑みを楽しみたいと思う。

2020.10.09 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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