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サフラン読書日記~今は無き“北の話芸人”に思いを馳せて

 久々の読書日記。今回ご紹介するのはこの一冊。

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写真1:「日高晤郞 フォーエバー」

 奥付を見ると2020年4月30日初刷。6月30日第三刷とある。価格は1600円+税。
 書店の店頭にあるのは前から知っていた。だがなかなか購う気になれなかったのは、まだ心のどこかに日高晤郞氏の死を受け入れたくない自分がいたのかもしれない。
 しかしこの一冊を読むことで、まだ筆者の知らない氏の一面が見られるかもしれない。
 そう思い先日、駅前イオンの未来屋書店で購入した次第である。
 著者の川島博行さんは1959年生まれ。大学を卒業後、北海道新聞社に入社し、2019年3月末に定年退職。
 現在はフリーライターをされている。
 日高晤郞氏とのつながりは、北海道新聞の夕刊で、2015年8月13日から10月2日までの32回にわたって連載された「私のなかの歴史」で、日高氏にインタビューしたことである。
 従って本書の構成は、全体の約4分の1が「私のなかの歴史」を加筆修正したもの、そして約6割が生前の日高氏を支えたり、親交のあったゆかりの人たちのインタビューで占められている。
 前半の「私のなかの歴史」部分は、日高氏の複雑な生い立ちから、いろいろな経過を経て、北海道に縁が生まれ、「日高晤郞ショー」が放送33年目を迎えるまでの半生を綴ったもの。
 コアなファンなら大体知っている話が多いが、中には初めて聞く話もあり興味深い。
 たとえば日高氏の芸名について、歌手デビューした1967年(日高氏は23才)当時の芸名は「飛鷹一(ひだかはじめ)」というものだった。だがクラウンレコードの社長から「読めない」と言われ改名することに。
 そこで名字は「日が高い」にし、名前は本名の「新吾」から「吾」の一時を入れて、そしてクラウンの看板が北島三郎さんだったので、二つ上回ってやろうということで吾郞になったのである。(のちに晤郞に改名)。
 また掲載写真も子どもの頃の妹さんとのツーショットや、高校の夜学時代、コックの見習いとして働いていた大衆食堂での、コック帽をかぶった一枚など、筆者が初めて目にするものも多い。
 後半のインタビュー部分では、日高氏を見いだした当時のSTVラジオディレクター、岩本芳修氏や日高氏が歌人(うたびと)と呼び可愛がった、こおり健太氏や走裕介氏、歴代の番組スタッフや個人的に親交の深かった元旭山動物園園長の小菅正夫氏など34名もの人々が名を連ねている。
 何よりも興味深いのは奥様の細谷浩子さんの言葉が綴られていること。
 奥様のインタビューからは二人の馴れ初めや、30年以上にわたり夫が毎週、東京と北海道を行き来する、少し奇妙な夫婦生活の様子が垣間見られる。
 本書を読んで、また筆者の知らなかった日高晤郞氏を感じとる事ができた。
 氏の生前、仕事が大変な時「1週間つらい事があっても土曜日には俺がいる」とても力づけられたものだった。
 そんな日高氏はもう居ないが、氏の薫陶を受けた歌人や“ようへい氏”などがその遺志を受け継いでいって欲しいと願う。

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写真2:「背表紙には日高氏の直筆による名言『良く笑えた日は佳い一日だ』」

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2020.07.13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書

今はなき懐かしの・・・閉館間近の雪の美術館へ訪問

 ご存じの方も多いと思うが、南が丘3丁目にある「雪の美術館」が6月30日をもって閉館した。
 運営する結婚式企画会社の撤退によるものだが、根本の原因はコロナ禍による観光客や結婚式の激減である。
 コロナは我々から大事な物をどれだけ奪えば気が済むのだろうか。そして人類はいつになったら、コロナに打ち克つことができるのだろう。
 雪の美術館を含む「北海道伝統美術工芸村」については昨年、市内の企業人があらたに財団法人を立ち上げ、三施設を取得する意向を表明していた。筆者も明るい話題だと思っていただけに、今回の閉館は残念な限りである。
 筆者が最後に雪の美術館を訪れたのは6年くらい前、稚内から姪が遊びに来たときに連れてきたのだった。
 時は“アナ雪ブーム”真っ只中。雪の美術館が“氷の城”に似ていると全国のマスコミにも取り上げられ、筆者たちが訪れたときも多くの観光客で賑わっていたと記憶している。
 もしかしたら二度と入れないかもしれない。閉館の前日、6月29日に訪れた次第である。
 1条7丁目から道北バス667番に乗車。揺られること20分ほど。ゴルフ場入り口で下車し徒歩3分くらいでたどり着く。

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写真1:「雪の美術館」

 白樺の木立に囲まれ、静謐な雰囲気のなか佇んでいる。48時間後には閉館しているとは信じられない。

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写真2:「エントランス」

 寒くて厳しい、だが美しい旭川の冬を表現しているかのようなエントランスが迎えてくれる。
 入館料800円を支払い館内へ。

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写真3:「らせん階段」

 特徴のあるらせん階段を降りていく。

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写真4:「噴水」

 一番下に降りると噴水が水をたたえている。今までに何人の人がここにコインを放ったことだろう。
 二対の彫刻が歓迎するかのように出迎えてくれる鉄製のかまち戸を開けるとそこには・・・

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写真5:「氷の回廊」

 この施設の一番の特徴と言うべき氷の回廊。まだ独身だったころ奥さんと来た事を思い出す。真夏のデートにはピッタリのスポットであろう。
 回廊を進んでいくとやがて行き着くのが・・・

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写真6:「音楽堂」

 美しい天井画の描かれた音楽堂。ステージの上には綺麗な白いピアノがある。
 筆者は音楽的素養が全く無いのだが、歌ったり、楽器を演奏する人にとって、このようなステージに立てるのはきっと至福のひとときなのだろう、と思う。

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写真7:「雪の結晶美術館」

 雪の結晶のなりたちや仕組みを勉強できる、資料室のような「雪の結晶美術館」。極寒地である旭川にとって、とても意義があると思う。この設備だけでもどこかに移転できないだろうかと思った。
 以上、40分ほどでひととおり施設を廻ってみた。これほどの施設が閉館とは本当に残念だと思う。
 だが、とも思う。施設はまだまだ状態が良いし、いつか必ず人類はコロナに打ち克つ。いつの日か必ず、雪の美術館のみならず、併設されている「優佳良織工芸館」、「国際染色美術館」とともに復活してくれると筆者は信じている。
 さて、雪の美術館は見終わったわけだが、バスを乗り継いでここまで来たので他に何か収穫が欲しい。
 国道を挟んで向かいの、この施設に赴いてみた。

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写真8:「万葉の湯」

 大型浴用施設である万葉の湯。この地に「漢方励明薬湯」としてオープンしたのは30年ほど前だったろうか。
 入館料1045円を支払い浴室へ向かう。

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写真9:「浴室」

 平日の昼なので比較的すいていて良かった。浴室の構成は42度くらいの主浴槽、岩風呂、泡風呂に寝風呂。そしてサウナと露天風呂。サウナは乾式サウナとミストサウナの二つあるのがうれしい。
 まずは乾式サウナで10分ほど汗をかいたのちミストサウナへ。サウナのあと汗を流して露天風呂へ。
 露天を楽しんだあとは体を洗い泡風呂、寝風呂にゆっくりと浸かる。いったん外に出てクールダウンしたあと、最後に主浴槽で温まり、浴室をあとにする。

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写真10:「御食事処」

 浴室のあと向かったのは広々とした御食事処。これまた空いているのが嬉しい。お店の方にタッチパネルの使い方を教わりながら注文したのがこちら。

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写真11:「ターメリックズ・セレクト」

 中ジョッキ590円と冷や奴400円也。冷や奴の三種の薬味、向かって右側はおろしショウガと思いきや山わさび。
 筆者はこの量の山わさびがあれば、ビール2~3杯は呑めてしまう。
 そうは言っても一人ではあまり間が持たないのも事実。ビール2杯とハイボール一杯で御食事処をあとにした。
 ビールの値段が少し高いのが気になるが、ここの一番の売りは夜景なのだろう。
 実はごく近いうちに、夜、ひとと一緒に来る予定である。
 そのときには夜景と、そして仲間との楽しい時間を存分に楽しみたいと思うのである。

2020.07.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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