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サフラン銭湯紀行~さらば!8条通りの名湯

 当ブログで「旭川市浴場組合・全店コンプリート」したのは2014年4月20日(記事は21日付)だった。
 もう6年前になるが、それから今までに多くの銭湯が廃業している。
 思い出深いところだけ挙げても大町の梅の湯、旭地区の福の湯、新富湯だが、他にも(この数年で)多くの銭湯が廃業の憂き目を見てきた。
 だが今回、筆者にとって非常に大切な銭湯が廃業するところとなった。(今回の記事、かつて書いたことが重複して出てくる事が多々あるが、ご容赦いただきたい)

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写真1:「旭鉱泉湯・8条プレジャー」

 8条通9丁目にある“旭川銭湯の顔”とでも言うべき旭鉱泉湯が、8月末をもって廃業することとなった。
 連日の残業の疲れを癒すためもあり、5月24日(日)に慌てて訪れた次第。

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写真2:「閉店を告げる貼り紙」

 入り口のガラスに、閉店を告げる紙が貼られていた。新型コロナによる感染防止のため、緊急事態宣言における外出制限の影響で入浴客の激減、そしてご店主の高齢化と病気もあり、これ以上の営業継続は困難と判断したとある。
 筆者は、この銭湯だけはこの8条にあり続けてくれる、と漠然と思って(願って)いたのかもしれない。
 だが、1月からのコロナ禍はこんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
 施設内に入り番台へ。番台には筆者よりやや若いと思われる男性が座っている。(ご店主の娘婿なのだそうだ。この人がいればここも安泰、と思っていただけに残念である)。
 「(廃業するなんて)残念ですね」と語りかけると「皆さんそう言います」との答え。
 銭湯料金450円とサウナ料金100円を支払い脱衣室へ。脱衣室で着衣を脱ぎ浴室へ。

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写真3:「浴室内」

 主浴槽には変わらず女神像が。この女神像ともあと何回会えるだろうか。
 当ブログでは良く「昭和銭湯」などの言葉を使うが、この旭鉱泉湯の始まりは大正7年、創業102年である。
 家族風呂・サウナの8条プレジャーにしても昭和47年創業で、48年もの間、旭川市民に、まさに“プレジャー(喜び)”を与えてくれたのである。
 まずはサウナでゆっくりと汗をかく。サウナのあとは体、頭を洗い、次は寝風呂(泡風呂)へ。浴室内を見回すと普段よりお客は多い印象を受ける。皆、このお風呂との別れを惜しんでいるのだろう。
 寝風呂から出たら、いったん脱衣室に戻りクールダウン。また浴室に戻り、今度は主浴槽に浸かる。女神像を眺めながらあたたまる。200ほど数えてから上がり、浴室をあとにする。

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写真4:「待合室」

 落ち着く雰囲気の待合室で汗が引くのを待つ。ちなみに現在の施設に建て変わったのは、平成元年前後だったと記憶している。その前は番台が脱衣室に向かった形の古いタイプで(今、このタイプの銭湯は1条通4丁目の金栄湯である)、浴室も大きな主浴槽が一つだけだった。
 初めてこの銭湯に来たときは憶えていない。物心つくくらいの時から、祖父に連れてきてもらったのである。
 祖父は気骨のある明治の男。それは厳しく育てられたが、こんな銭湯でも、風呂の入り方や、公共の場でのマナーを教えてくれたと思う。そして風呂上がりに買ってもらったプリンの美味しかったこと。
 そんな祖父も筆者が小学校高学年のころには入院生活に。それからは一人で来るようになった。
 中学生になってからは、常盤中の仲間たちとのコミュニケーションの場に。高校に上がってからは、厳しいレスリングの練習の疲れを癒すため訪れたものだった。
そして社会人になってからは、定期券(10回分の料金で11回利用できる)で通うようになった。
 まだ社会にでた新人の頃、こちらも毎日来ている、恐らく近隣の中小企業の経営者と思われる白髪が綺麗な初老の男性と、サウナで色々なお話をさせていただいたのはとても勉強になった。
 朝日地区に一人暮らしを初めてからは福の湯がメインになり足は遠のいたが、今度は別な利用も。
 今でこそ、職場のいわゆる“飲みニケーション”は遠い過去の遺物だが、30年ほど前は職場の係の飲み会が2~3ヶ月に1回はあったものだった。
 そんな係の飲み会で良くあったコースが、一次会が居酒屋、二次会がスナック、そしてシメが麻雀荘での麻雀である。そして良く訪れた麻雀荘が、この8条プレジャーの2階だった。
 今でも忘れられないのが、もう夜中遅くなった頃、1枚切れの“白”を捨てた筆者に後輩のHさんが「Tさん(筆者の名字)それです。」そして彼が開いた手牌が国士無双だったのである。(役満に振り込んだのは後にも先にもあれだけ)
 きりが無いのでこれくらいにするが、ここの思い出は本当に語り尽くせない。
 最近は日曜日の午後に車で来て、帰宅後は6時くらいから呑み始めるのが楽しみだったが、考えてみれば、筆者自身も緊急事態宣言以降は来ていなかったのだ。
 後悔あとに立たず、これからは出来るだけ来たい、と思っている。

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写真5:「もう一つの銅像」

 男女それぞれの脱衣室への入り口では一つの銅像が歓迎してくれる。
 ご店主の杉尾さんがここを継ぐと決心したとき、杉尾さんは市の職員として秘書課で係長を務めていた。
 家業を継ぐことを杉尾さんから伝えられた当時の五十嵐広三市長(故人)が餞別代わりにプレゼントしたのが、写真5の銅像であった。
 杉尾さんは彫刻を生かした銭湯づくりを目指されていたそうで、写真1の店舗前には、いつかスタルヒン像が置けるようにスペースが空けられてあったのだが、その夢も叶わなかった。
 少しでも興味のある方は是非一度、訪れていただきたい。お湯は地下170メートルの冷泉を使用。様々な鉱物が含まれているが特に豊富なのが硫黄である。沸かし湯なので銭湯を名乗っているが、柔らかな湯触りと湯冷めしない泉質はまさに市内随一の「旭鉱泉湯」。その昔、練習で疲れたスタルヒン少年が汗を流したのと同じ湯が、暖かく迎えてくれるはずである。

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2020.05.29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフランひとり呑み~コロナを呑んでふっとばせ!

 皆さんご存じのとおり、新型コロナウイルスの感染渦は未だ収束が見えず、筆者をはじめ不安な日々を送られている方も多いと思う。
 話は変わって、筆者は年明けからずっと残業続きである。たまに残業の後に、馴染みの焼き鳥屋にでも行きたいのだがこの状況下ではそれも出来ず、長いあいだ外で呑んでいない。
 こんなときはやっぱり“宅呑み”である。今回ご紹介するのはこちら。

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写真1:「コロナ エキストラ」

 駄洒落にもならないが、せめて“コロナを呑んでふっとばして”やろうと思う。
 写真1のコロナビールはモデーロ社が製造するメキシコのビール。
 奥さんがパルプ町のアークスで買ってきてくれた(西イオンの酒類コーナーにもあった)。
 メキシコのビールに合わせるアテはやはりこれであろう。

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写真2:「ブリトー」

 セブンイレブンの看板商品であるブリトー。これはNHK前の店舗で買ったものだが、筆者が初めて“セブン”のブリトーを食べたのはたしか高校生の時、(今は無い)金星橋の大町側のたもとにあったセブンで買ったときと記憶している。

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写真3:「コロナビール、栓を抜いた之図」

 コロナビールは飲み口にライムを刺していただく。アルコール度数は4.5パーセント。
 すっきりとした飲み口で、ライムの風味が良く合って美味しい。
 セブンのブリトーは久しぶりにいただくが、この新商品はサルサの辛さと濃厚なチーズ、そしてWウインナーの旨みが相まって、コロナビールには最高の“アテ”だった。
 この組み合わせ、読者の皆さんにも是非オススメしたい一品である。
 さて、以上、「コロナを呑んだ」ワケだが、もちろんこれでウイルス渦が沈静化するはずもない。
 今はじっと我慢のとき。我々一般市民にできることと言えば、ステイホームと十分な手洗いなどであろう。
 いつかこれが収束し、また読者の皆さんとオフ会が開けることを願っている毎日である。

2020.05.17 | コメント(2) | トラックバック(0) | 酒場放浪記

またまた「今はなき懐かしの飲食店」 ~昭和通り・ぎょうざチェーンの名店

 前回に引き続き「懐かしの飲食店」コーナー。
 今回、語るのはこちらのお店。

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写真1:「みよしの 旭川4・6店あと」

 “さんろく街”にほど近い4条通6丁目にあった「みよしの旭川4・6店」(筆者は“昭和通り店”と呼んでいた)がいつの間にか閉店していた。
 このお店の思い出と言えばやっぱり、“さんろく”で呑んだあとのシメだろう。
 いい加減おなか一杯で酔っ払ってるのに、つい餃子カレーなんかでシメた方も多いのでは。(筆者だけ?)
 また、家族にお土産餃子を買って帰った方もいらっしゃるのでは。
 これで市内に「みよしの」は大雪通り店と永山店の2店舗になってしまった。
 設備はそんなに老朽化していなかったので、閉店理由は“儲けが少ない”からだろうか。
 また一つ、馴染みの店が中心地から消えていくのは寂しい限りである。

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写真2:「3・6店あと」

 写真2は3条本通り6丁目、文字通り“さんろく”にあった、みよしの3・6店あと。
 ここはずいぶんと前に閉店したので、かつて「みよしの」だった事をご存じない方も多いと思う。
 あと他に“呑んだ後のシメ”と言えば、この“旧みよしの3・6店”の並びの「すずらん小路」に昔、「弁慶」というラーメン屋さんがあった。遅くまで営業していたので、ここもまた呑んだ後のシメに良く利用していた。
 確か昔UHBのテレビ番組で「タクシー運転手さんが選ぶ一番美味しい店」と紹介されていた。
 母娘とおぼしき女性二人で切り盛りしていた。もう閉店したから書けるのだが、なかなか“ドスのきいた”女性たちだったことを良く憶えている。
 

2020.05.04 | コメント(2) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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