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サフラン惜別の味~またひとつ消えゆく名店~7条買物公園の老舗ラーメン店

 またひとつ、老舗の名店が閉店した。今回、語るのはこちらのお店。

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写真1:「京ラーメン」

 買物公園7条にある「京ラーメン」が8月23日(金)をもって閉店した。
 三代目となる女性店主と、(おそらくお母さんと思われる)年配女性の二人で切り盛りしていた。
 筆者が初めてこのお店を訪れたのは中学生の頃なので、かれこれ35年ほどになる。
 当時すでに、店主が二代目の年配男性だったので、十分に老舗と言えるだろう。
 写真1の店舗の右側、中島プラザビルの間は今、空地となっているが、昔は「弁天小路」という小路があり、味のある呑み屋さんが軒を連ねていたと記憶している。
京ラーメンは、いつの間にか三代目に代替わりしていたが、女性店主のあたたかい接客に、多くの常連が集っていた。
 ラーメンが美味しいのもさることながら、ご飯もの(チャーハンやラーメンと定食のセット)も充実していた。
 
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写真2:「辛みそ野菜ラーメン」

 写真2は筆者が好きで良く注文していた辛みそ野菜ラーメン。最後にいただいた一杯である。
 三代目店主はまだお若く、閉店のニュースはまさに青天の霹靂。
 跡地の利用は建物を解体後、月極駐車場になるとの由。
またひとつ、まちの名店が消えゆくのは本当に残念な限りである。
 さて、解体と言えば、次にご紹介するのがこちら。

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写真3:「旧・旭川脳神経外科病院」

 長らく廃墟状態だった旧・旭川脳神経外科病院の解体工事着手については6月26日付けでご紹介した。
 今日現在の工事の様子は写真3のとおり。2ケ月前と比べると、工事は随分と進んだようだ。
 ここも遠からず更地となるのだろう。跡地は新病院の駐車場として活用されるとの由。

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2019.08.28 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランラーメン紀行(お盆編)~さいはての老舗を訪問

 前回はコメント欄の常連さんである“北門中野郎さん”の面白く、そして興味深い記事で、読者の皆さんも楽しまれたと思う。
 “北門中野郎さん”は「次はない・・・」とおっしゃるが、今後もどしどし寄稿いただければ、と筆者は思っている。
さて、お盆も終わったわけだが、読者の皆さん、どのように過ごされただろうか。
 筆者は・・・、と言えば、例年どおり15~17日にかけて、稚内市の奥さんの実家で過ごして来た。
 8月16日(金)、昼ごはんに一人訪れたのがこちら。

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写真1:「青い鳥」

 本当は「ピンカートン」というお店でカレーを食べたかったのだが、どうやらお盆で休業のようであった。そこでピンカートンの近くにあり、稚内ラーメンの有名店である「青い鳥」に訪れた次第。
 稚内ラーメンと言えばこの「青い鳥」と「庄内食堂」が二大巨頭だと筆者は思っていたが、その「庄内食堂」が今年閉店してしまったのは残念な限りである。
 閑話休題(それはさておき)、観光客とおぼしき人々と行列に並ぶことしばし。順番が来て入店した筆者が注文したのがこちら。

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写真2:「塩ラーメン・700円也」

 稚内ラーメンと言えば塩味。すっきりとしていながらも決して薄くなく、ちゃんと出汁のきいた味わいで、とてもお腹に優しく美味しい。全席喫煙可のようだが、たまたま誰も喫煙していなかったのはラッキーだった。
 満足してお店を後にし、少し近くを観光してみる。

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写真3:「北防波堤ドーム」

 宗谷と並ぶ有名な観光スポット。戦前、稚内~樺太の定期船発着所として、昭和11年に完成したアーチ型構造物。激浪のため老朽が進んだため、昭和55年に改良工事が完成した。
 若い頃なら間違いなく、バイクの最高速テストを敢行していただろう。
 
 さて、筆者が稚内市に行くのは年2回、お盆と新年の“としとり”である。
 そして、稚内市に行くと、岳父と市内の温浴施設に行くのが慣例となっている。お盆のときに行くのは市街地にほど近い「副港市場」内にある「港のゆ」。今年も例年どおり、二人でゆっくりと汗を流してきた。

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写真4:「港のゆ 望海」

 風呂上りには「港のゆ」内にある軽食コーナー「望海(のぞみ)」で、二人でビールを呑むのもまた慣例となっている。(送迎は奥さんにお願いしている)

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写真5:「ビール」

 ビールはアサヒ。昨年までは地ビールがあったのだが、今はなくなったようだ。
 ちなみに岳父は今年で古希を迎える。筆者と奥さんが結婚したのは24年前なので、いつの間にか筆者は、結婚当時の岳父の年齢を追い越したことになる。
 時の経つのは本当に早いと、最近つくづくと感じてしまう。

2019.08.20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン特別寄稿~日の出食堂のラーメンと懐かしき思い出たち

サフランブログをご愛読の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
現在これを書いているのは8月15日。終戦記念日のお盆休みも終盤に差し掛かった日です。皆様も良いお盆休みを過ごされたことでしょう。

何か急に「口調」が変わったので違和感を覚えた方はすみません。今回は当ブログのいち読者であります、私「北門中野郎」が書かせて頂くことになります。よろしくお願いします。
なぜいち読者に過ぎない私が記事を書くことになったのか?疑問に思われる読者様もいらっしゃると思いますが、その理由は後述いたしますので、まずは私の記事をお読み頂ければ幸いです。

私のPNでもある「北門中」は今でもある中学です。
私が在学していた頃、昭和の後期ですが当時の指定ジャージが絶望的にダサく、敢えて言うならば「トレーナー上下」です。しかも色は薄い紺色。ダサ過ぎます。よくおじいちゃんが朝散歩してるときに着てるアレです。
北門中の教師は、これを着て中体連の応援に徒歩で移動しとなどと血も涙もない命令を下します。しかも男子は学帽を被れと。
中体連の会場は「花咲スポーツ公園」です。そうです。徒歩移動中に「北星中エリア」を通過します。北星中のジャージは黒系で格好良く、羨ましい限りでしたが、彼らに見つかると「あっ!あれ北門中野郎だ!」「あっ本当だ、門中野郎だよ」と聞こえるように言います。しかも僕らみたいなひ弱そうな子達だけを狙って。別な北門中悪グループの子達が来ると何も言わないんです。そんなもんです。
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「北門中ジャージ」のイメージ(注:写真中の人物は、本ブログの内容とは関係ありません。)

それはさておき…先日私は旭川の中心部から少し離れた4条通り21丁目にある「日の出食堂」さんにお邪魔いたしました。この日の出食堂さんは「日の出市場」の建屋内にある食堂です。佇まいは昭和そのもの。昭和のそれも40年代から50年代を彷彿とさせます。
その次代はまだ携帯電話はおろかパソコンもない時代。テレビも液晶薄型じゃなく赤いSANYOの20型ブラウン管があった頃。チャンネルを変えるときには丸いつまみをガチャガチャ回して、つまみの微調整ダイヤルでベストポジションを得ていたあの頃を思い出します。余談ですが我が家なんか微調整ダイヤルでもまだノイズが入るのでテレビ自体をバン!と叩くというおまけ付きでした。うちの親父など巨人が負けてると腹いせに叩いてましたけどね。

それはさておき、この食堂は建物の表からも市場の内側からも入れるようになっていました。看板かなんかも相当年季が入ってますね。
私はこのお店を訪れた理由としては、別な情報源から、大変美味しいラーメンがあるとの噂で、かねてから一度は行ってみたい店だったからです。
お店に到着したものの、やっぱりというか何というか当然ですが、駐車場がない。仕方なく近くのじゃまにならない場所に少々止めさせて頂き、お店に入ります。お店に入ると、意外にも満席。サラリーマンらしき方でいっぱいでした。

店内はカウンター席に8名ほどが座れるようで、ほかは4人がけ程度の小上がりが2つ。おそらくマックスの収容人数は25名くらいでしょうか。
お店は年配の女性が1人と50代前半くらいの女性が1人の2人で切り盛りされていました。お忙しそうでした。
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私は醤油ラーメンと小ライスを頼みました。
待つこと10分程度。出てきたのは澄んだスープのシンプルな醤油ラーメンと、小ライスと言いながら普通サイズのライスでした。
まずはスープを一口。すると「醤油そのもの」の風味がします。醤油ラーメンなので当たり前ですが、なんと言いますか醤油ベースのタレというよりシンプルに醤油を使っているような味です。

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私が幼少期住んでいた旭町から少し住吉側に向かうと、醤油の工場があったと記憶しております。今でいう大町のパチンコダイエーさんのあたりです。
あそこから少し行くと、小さな川沿いに「サンエス」という大きめなお店があって、食品やら電化製品やらオモチャやら時計やらとなんでも売ってるデパートみたいなお店でした※サンエスさんその前はボーリング場だったそうです。

そこに親の目を盗んでは度々「遠征」して、金が無い子供ですからただ見るだけなんですが、友人たちと「今度これ買ってもらう!」「俺はこれ次のお年玉で買う!」とわいわいやっていたものです。
そこの行き帰りに先述の醤油工場の前を通るのですが、通ると出来たての醤油の匂いがプ~ンと漂ってきて、それがこのラーメンのスープを口にした際に同じ風味がして、その幼少期の思い出が蘇ってきた次第であります。

ちなみに、ある日サンエスに行っていたことをうっかり兄に話してしまい、親に告げ口されて、その夜は母から往復ビンタ&尻叩き10発の罰を受けました(笑)

さて話を戻しますが。スープを堪能したので次は麺に行きます。
麺は少し柔らかめに茹でてあるようでした。でも大変美味です。どこの製麺会社だったか暖簾をよく見ていなかったという失態を犯してしまいましたが、いわゆる「旭川細縮れ麺」ではなくストレートな細麺です。でもこれはこれで、このスープには合っていると思います。

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これでなんと醤油ラーメン500円。小ライス100円の合計600円でした。
今の時代からは考えられない良心的価格ですが、メニューを見ると「かけラーメン」がなんと400円でした。今の時代、1000円近いラーメンも不思議ではなくなってきておりますが、このお店に関してはもしかすると市場全盛期のころの値段がそのままなのではないだろうか?と思ってしまいました。

非常にあっさりとした醤油スープですが、しっかりと美味しく完食しました。私は胃があまり丈夫ではないのでラーメン系を完食するとだいたい胸焼けがするのですが、これに至ってはそれが起きなかったことも付け加えておきます。

1つだけちょっと残念だったのは、チャーシューがモモ肉だと思うのですが、少し固めで味があまりしないものだったことです。でもこれも昔はコレが普通だったのかもしれません。今のラーメンはチャーシューが柔らかく、丼からはみ出ていたりでちょっとどっちが主役なの?って思うこともしばしばあります。

さて、今回このお店を訪問し、ノスタルジックな店内、日の出食堂さん以外営業している感じがしなかった市場内部を見させていただいたのですが、非常にこのような市場を懐かしく感じます。
かつて私が幼少期住んでいた旭町から少し行けば「みずほ通り」がありました。
みずほ通りにはこのような裏表が抜けている市場が2~3軒あったような記憶があります。市内のあちこちにも沢山あったのです。
母親に手を引かれて市場に買い物に行ったこともあったのですが、どうも市場のあの「怒号が飛ぶ」雰囲気が子供の自分には苦手で、母が「市場に行くよ」と言うと泣いて嫌がったものですが、その市場自体も昭和50年代なかばに入ると段々と行く機会が無くなってきたように思います。
当時その付近でスーパーマーケットといえば、本町にあった「アサミツ」と「旭友ストアー」くらいだったと思うのですが、スーパーマーケットは鮮度の面では市場に敵わず、価格の面でも対面販売の市場では結構お店とお客の「交渉」があったように思います。だから、市場の怒号を発するオジサン達と母親たちの熱いバトルの末、お得に新鮮な肉や魚を買えることもあったのでしょう。

当時は母親たちは魚も捌ければブロック肉も切れる、台所の達人でした。
しかし時代も変わり、肉や魚を「素材」のまま買って台所で捌くことも減って、そのまま使えるよう加工されパックされたものを買えるようにスーパー側が工夫していった結果、市場も徐々に衰退していったのだろうと推測します。
その後は昭和53年に「みずほショッピングプラザ」もオープンし、間もなくアサミツは閉店しましたが、買い物先は殆どが旭友ストアーかみずほショッピングプラザになりました。

以前ある方から聞いた話ですが、市場から撤退したお店をスーパーがそっくりスカウトして、スーパー内の鮮魚部門として獲得したということもあったそうです。時代の流れですね。

あと市場は「意外なもの」も割と置いていたと聞きます。
小学3年生位だったある日学校から帰宅すると、我が家の台所のところに奇妙な生物が居ました。洗面器に水を張ってその中で巨大なオタマジャクシらしきものが2匹元気に泳いでます。母に「これは何?」と尋ねると、市場に売ってたウシガエルのオヤマジャクシだと言います。なんでも1ヶ月以内にウシガエルになるから、それになったら食べられるのだと。2匹で300円だったそうです。


当時はソレがなんなのか知らなくて、ふ~んという程度でしたが、毎日食パンの耳などを与えて育ててカエルになるのを見守っていました。

数日後、学校から帰るとオタマジャクシがいません。母に聞くと「なんか可哀想になってきて、石狩川に行って逃してきた」と言いました。
え~~そんな~とショックを受けましたが、考えるとあの2匹は石狩川の激流では行きていけないだろうなーと思います。おそらく間もなく死んだんじゃないかと。だったらこの手で育てて食っちゃえばよかったんじゃないかと思ったのですが、ネット社会になってウシガエルを検索すると…とても食おうとは思えない代物です…。まあ戦時中は食したのでしょうが。
もしかすると母も、実際食うのに抵抗があってやめたんじゃないかと。だとしても一般河川に放すのは環境問題になるのでマズイ!と思いますが…。


今回私は8/5開催の「サフランオフ会」に参加させていただきました。ブログ主のターメリックマン氏、編集長のマッサマン氏、当日ご参加のK氏ともども楽しいお時間を過ごさせていただきまして感謝しております。

当日は結構飲んでしまい、終了後に宿に向かってそのまま寝てしまいました。
翌日に市役所にちょっと所要があって行きましたが、思ったより時間もかからず終わったので、この日の出食堂さんに行った次第です。その際に撮影した写真を編集長マッサマン氏にお見せしたところ大変気に入って頂きまして、その際に「だったら北門中野郎さんがこの写真の記事を書いてみたら良い」とご提案いただきました。
私も文才もなく人の心を打つような文章も苦手ですが、思ったことをダラダラ書くだけならできるので、今回やらせて頂いた次第です。

乱文お許し頂ければ幸いです。こんなことも次はないでしょうが、この先もサフランブログをご愛読いただけましたら嬉しい限りです。
では、ありがとうございました。

2019.08.16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン焼き飯紀行 ~買物公園6条の老舗と、今は無き懐かしの飲食店の想い出

 今回ご紹介するのはこちらのお店である。

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写真1:「家族亭」

 6条通7丁目、ルーベデンス6条の2階にある家族亭。いつからかは分からないが、随分と昔から当地で営業している。
 席につくと女性店員がジョッキに入ったお水を出してくれる。
 筆者の注文はこちら。

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写真2:「玉子チャーハン・580円也」

 ほかにもチャーハンというメニューがあり、そちらは520円。60円が玉子の分なのだろう。
 具材は叉焼と玉ネギ、マッシュルームに玉子と、ところどころにピンクのものが。
 ピンクの正体はカマボコのみじん切り。筆者は昔ながらの定食屋のチャーハンに入っている、カマボコやチクワのみじん切りが大好きである。
 福神漬けがあるのも嬉しい。アツアツのチャーハンにスプーンが止まらず、美味しくいただいた事をご報告する次第である。
 全席喫煙可なのが少し辛いが、それを差し引いてもついつい足が向いてしまう。
 メニューが多く、お値段も手頃なので、未訪問の方には一度おススメしたいと思う。
 さて、写真1の家族亭の入り口の隣に「水晶焼肉・木天蓼」という焼肉店がある。
 最初筆者はこの「木天蓼」を読めなかったのだが、「またたび」なのだそうだ。
 この「木天蓼」がいつから営業しているのか憶えていないが、かつてこの場所では「精香園」という焼肉店が、長く営業していた。
 今回は最後に、この「精香園」の想い出を書いて終わりたい。
 話は変わって、筆者の友人に“おーじろう氏”という人がいる。
 時は遡って平成2年の夏。当時、旭川・鷹栖インターが開設され、ついに旭川に高速道路がつながった。
 そして開通前に記念のマラソン大会が行なわれることになった。
 そのことを知った“おーじろう氏”が、一緒にハーフに出ようと誘ってくれたのだった。
 当時、今より体力があり、かつ体脂肪率も遥かに低かった筆者はその誘いを快諾したのだった。
 筆者と“おーじろう氏”がたてた目標は、当時のフルマラソン記録(たしか2時間6分と何秒だった)を切ることだった。
 ここで筆者は考えた。いくら若いとはいえ、簡単に21キロを走れるものではない。
 開催まであと1ケ月ある。どうやってハーフを走れる体を作ろうか。

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写真3:「旧・宮北邸」

 写真3は9条通11丁目にある「旧・宮北邸」。大正期の豪商・宮北氏の屋敷と事務所だった建物で、現在はたしか、市の教育委員会が借り上げて倉庫として活用していると記憶している。
 そして筆者は当時、このすぐ近くで実家暮らしをしていた。
 ここから9条通り、そして道道瑞穂旭川停車場線をまっすぐ東に進み、ちょうど旭山動物園の入り口辺りまでで、大体10キロくらいなのである。
 それからは、平日、仕事終わりの午後7時くらいから走って、たっぷりとかいた汗を八条プレジャー・旭鉱泉湯で流す、という生活を毎日、1ケ月、続けたのだった。
 そうやって迎えた当日、残念にも“おーじろう氏”は足を怪我してしまい筆者ひとりで走ったのだが、なんとかハーフを完走することが出来た。記録もたしか、目標はクリアできたと記憶している。
 そしてマラソンのあと、“おーじろう氏”と筆者がふたり、焼肉を食べたのが、先ほどの「精香園」だったのである。
 あれからもう30年近くが経つ。“おーじろう氏”は変わらず若々しいが、筆者はすっかりとオジサンになってしまった。
 “水晶焼肉”は良く意味が分からないが、一度「木天蓼」にも行ってみたいと思う。

2019.08.12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン身辺雑記~オフ会のご報告


 8月5日(月)、前に告知したとおりオフ会を開催した。今回はその模様をご報告したい。

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写真1:「駅前フードフェスティバル2019」

 場所は駅前のフードフェスティバル2019。旭川の短い夏を満喫したいためか、月曜日にも関わらず多くの人たちが訪れていた。
 それにしても、市内の至るところで、屋外で呑めるようになったものである。むかし旭川のビアガーデンと言えば、今は無きニュー北海ホテルの屋上ぐらいだったのに、隔世の感がある。
 閑話休題(それはさておき)、定刻の午後7時より10分ほど前。集まったのは筆者“ターメリックマン”と編集長“マッサマン氏”、そして最近では、そのコメントが筆者の書く本文よりも面白いと評判の“北門中野郎さん”の3名。この日も暑かったので早速オフ会開始と相成った。

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写真2:「三笠焼き鳥」

 写真2はマッサマン氏が行列に並んで買った三笠焼き鳥。ドリンクはライムサワーである。

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写真3:「こまい&から揚げ&たこ焼き」

 写真3は筆者が買った“こまい”、そして北門中野郎さんが買ったカラ揚げとタコ焼き。
 一番混む時間帯だったためか、どのお店にも長い行列が出来ていた。
 呑み始めて1時間ほど経った頃、読者のK氏も参加してくださった。
 お話をしてみると、Kさんも昔、旭川の中央地区に住んでおられたそうで、なおかつ筆者の小・中学校の先輩で、中央・大成地区や出身校の話題で大いに盛り上がった。
 写真は撮らなかったが、Kさんが買ってくれたツブ貝やシシャモも美味しかった。
 筆者はビールしか飲まなかったが、7杯くらい飲んだだろうか。
 プレモル、一番搾り、スーパードライなどひと通り試したが、筆者の好みはクラシックである。
 楽しい時間は過ぎるのが早い、というのは本当の話で、あっという間に会場が閉まる午後10時に。
 最後は再会を誓い皆で握手し散会。とても素晴らしい時間を過ごしたことをご報告する次第である。

オフ会はまたいつか開催したいと思う。
 そのときはもちろん当ブログで告知するので、ご参加いただければ幸いである。
 最後に駅前フードフェスティバルは8月11日(日)まで開催されているので、まだ行かれていない読者の方がいらっしゃったら、是非おすすめしたいと思う。

2019.08.07 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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