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サフラン・シネマ談義~我が青春の名作

 前にも書いたのだが、中学~高校生の頃、人生で一番映画を観た時期だった。
 新聞配達やコンビニでのバイト代の多くを映画につぎこんで、毎週、とは言わないまでも月に2回くらいは劇場に足を運んだものだった。
 今回は、そんな今までに見た名作の中から“一番好きな作品”への想いを語ってみたい。
 他人の“好きな映画”の話など全然面白くないことは重々承知だが、たまには“まちあるき”や“ひとり呑み”ではないお題にお付き合い下されば幸いである。
 さて、そんな筆者の“フェイバリットムービー”が・・・

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写真1:「セント エルモス ファイヤー」

 1985年公開なので筆者が中三のときの作品である。
 物語は、大学を卒業したばかりの男女7人の親友たちが、学生時代とは違う様々な問題や苦難に対面しながらも成長してゆくさまを描いた青春群像劇。
 当時“ブラット・パック”と呼ばれた、人気と実力を備えた若手俳優たちが勢ぞろいした作品である。
 当ブログではそんな作品中の人物と、演じた役者たちの想い出を語っていきたい。

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写真2:「アレック」

 野心家で政治の世界で成功を目指す(当時の言葉で言えば)“ヤッピー”の青年を演じたのはジャド・ネルソン。筆者が本作の次に好きな映画「ファンダンゴ」では若き日のケビン・コスナーと共演している。
 本作以降ではこれといったヒットには恵まれていないようだが、現在に至るまで堅実に映画に出演し続けている。

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写真3:「ケビン」

 死亡記事ばかり書かされている記者で、永遠の文学青年であるケビンを演じるのがアンドリュー・マッカーシー。本作以外では「プリティ・イン・ピンク」や「マネキン」が有名であろう。
 若い頃は写真3の様に、(まるで女性の様に)綺麗な顔をしていたのだが、お年を召してからの劣化は少し残念なところだろうか。近年は映画よりテレビを主な活躍の場としているようである。

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写真4:「ビリー」

 仲間のなかではもっとも大人になりきれず、(アレックの紹介してくれる仕事もすぐ辞めてしまう始末)夢を追ってばかりの青年を演じるのが写真4のロブ・ロウ。
 写真でもお分かりのとおり、当時ハリウッド・ナンバーワンの美男と言われた俳優である。
 故・パトリック・スウェイジと共演したアイスホッケー映画「栄光のエンブレム」もまた思い出深い。(恋人役のシンシア・ギブが可愛かった!)
 未成年の少女と関係を持ってしまったことで一時活動していなかったが、近年はテレビで活動している。

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写真5:「カービー」

 バー(物語の重要な場面となる「セント エルモ バー」)でウエイターをしながら弁護士を目指すカービーを演じるのがエミリオ・エステべス。“名優”マーティン・シーンの息子、あるいは“アメリカ芸能界一のバカ”チャーリー・シーンの兄貴といった方が分かり易いだろうか。「張り込み」シリーズや「飛べないアヒル」シリーズが有名か。
 本作と同様に“ブラットパック映画”と言える「ヤングガン」でのビリー・ザ・キッド役の好演が印象的だった。また自らが初監督を務め、後述するデミ・ムーアと共演した(当時二人は交際していた)「ウィズダム~夢のかけら」もまた、筆者の好きな映画である。
 ここ10年ほどは目立った活動をしていないのが残念である。

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写真6:「レズリー」

 基本的には保守的だがロマンティックな面も持ち、洋の東西を問わずクラスにいれば一番モテそうな(事実、最初はアレックと同棲していたのだが、アレックとの関係に疑問を持ち始めたときにケビンと一夜をともにし、それが原因でアレックと分かれてしまう)女性を演じたのがアリ―・シーディー。本作以外ではあまり筆者の記憶には残っていず(もちろん筆者の勉強不足)、ここ10年ほどは目立った活動は無い様である。

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写真7:「ウェンディ」

 裕福な家庭の“お嬢様”だが、それを良しとせず、福祉事務所で働く真面目な女性を演じるのがメア・ウイニンガム。父親から堅実な男性を結婚相手として紹介されるが、ウエンディが本当に愛するのがビリー。
 24のシーズン6か7だったかで、彼女がテロリストの青年の母親役で出てきたときには、本当に懐かしい思いをした筆者だった。

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写真8:「ジュールズ」

 「私は80年代の女」が口癖の、まさに時代の最先端を行く“翔んでるオンナ”を演じるのがデミ・ムーアである。
 この人については説明の必要は無いだろう。本作の主演のなかで最も成功した俳優である。

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写真9:「ジュールズをなぐさめるビリー」

 そんなジュールズだったが、借金まみれ、嘘まみれで遂に家財も何も失ってしまい、空っぽの部屋でおかしくなってしまう。写真9は、一人さびしく膝をかかえる彼女をなぐさめるビリー。本作の感動的なシーンであり、タイトル「聖エルモの火」の意味が明らかになる。
 物語は様々な苦難に直面しながらも、一つ一つ乗り越えて、7人が大人になってゆく。
 終盤、夢である、サックス奏者で一旗揚げるためニューヨーク行のバスに乗るビリーを見送った6人。
 その帰り、「セントエルモ バー」の前に差し掛かり、「寄って行こうか」との仲間の言葉にアレックが「いや、ここはうるさいし子供が多い。別の店にしよう」と言い、後日別な店でランチをとる約束をする。
 この次、ラストが筆者の大好きなシーン。

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写真10:「筆者の好きなラスト」
 
少し前の7人を彷彿とさせる若者たちが「セント エルモ バー」に入っていく。
 彼らには彼らの「セント エルモス ファイヤー」がある。
 そして、そんな物語が永遠に続いていく、そんなことを暗示して物語は終わる(と筆者は感じた)。
最後になるが、本作品は、テーマミュージックもまた素晴らしい。
 ジョン・パーの歌う「セントエルモスファイヤー・マンインモーション」はまさに“キラキラとした”80年代ロックを表現する名作である。ユーチューブで“STELMOS”なんて検索するとヒットするので、ご存じない方は一度(騙されたと思って)ご覧いただきたいと思う。
 本作については、語りたいことはもっともっとたくさんある。例えば脇役の中でも、カービーが一方的に思いを寄せた女性、デイルを演じたアンディ・マクダウェル。あるいは1992年のフジテレビの名作ドラマ「愛という名のもとに」との対比などなど。いつか機会があれば、そんなことも語ってみたいと思う。

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2019.04.26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画・テレビ

サフランひとり呑み~仕事終わりに蕎麦屋で一杯

 たまに奥さんが仕事で遅い日があって、そんなときは一人、外で夕食をとる機会がある。
 最近、気に入っているお店がこちら。

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写真1:「井奈屋」

 6条と7条の仲通り8丁目にある。筆者の記憶によれば、開店してかれこれ20年ほどになろうか。
 「蕎麦屋で一杯」と言えば天ぷら蕎麦の“抜き”や“板わさ”で日本酒、なんぞを想像されるかも知れないが、筆者はそんなに“粋”ではない。
 筆者のセレクトはこちら。

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写真2:「サフランズ・セレクト」

 とろろそば600円、ライス100円、そしてビール450円で計1150円也。
 一見すると「なんのこっちゃ」なチョイスだが、これには筆者の深謀遠慮がある。
ポイントは写真の左端。このお店ではビールのお通しが山菜なのである。
 山菜は蕎麦の上に、とろろは蕎麦ではなくご飯の上に乗せる。とろろの上にお醤油をかけると・・・

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写真3:「とろろご飯&山菜蕎麦WITHビール」

 とりとめのない組合せが「とろろご飯&山菜蕎麦セット・WITHビール」に変身。備え付けの週刊ポストを読みつつ、冷えたビールと一緒にいただくと、一日の疲れも飛んでゆく。
 運が良ければ“天かす”の無料サービスが卓上にあるので、そんなときは「とろろご飯&山菜・たぬき蕎麦セット」にグレードアップする。
 ちなみに筆者みたいな変なアレンジをしなくても、このお店は豚丼が絶品。単品でも良し、お蕎麦とのセットもまた良し。未訪問の方には是非ともおススメしたい“まちの名店”である。
 さて、ここからは(がらりと話が変わって)ラジオの話。
 4月3日で日高晤郎氏が亡くなって1年が経つ。そして日高氏の逝去後も、吉川のりお氏の司会により続いてきた「ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー・フォーエバー」が3月23日の放送をもって、その歴史に幕を下ろした。
 最終回のSTVホール公開放送は筆者も観覧の応募をしたのだが、残念にも落選してしまった。
 最終回はラジオで聞いたのだが、吉川氏の最後の「ありがとうございました!またいつかっ!!」の声に、一つの区切りがついたと感慨深く思ってしまった。
 この1年間、吉川氏は本当に頑張ったと思うし、筆者を含めファンが「晤郎ロス」に陥らないためにも、1年間の“クールダウン”は必要だったと思う。
 気になる後継番組は木村洋二氏の「ごきげんようじ」。木村氏には何の恨みはないが(むしろかつて、木村氏の“アタヤン”を毎週楽しみに聞いていた筆者である)この時間帯は“ようへい氏”にやってもらいたかったと、筆者は思っていた。
 ともあれ、吉川のりお氏には心から「1年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました」と陰ながらお礼申し上げる次第である。

2019.04.10 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン聖地巡礼&札幌の夜はかくふけゆく

 先日、所用があって札幌に行って来た。
 午前に旭川を発ち、札幌駅に着いたのがお昼時。昼食へ訪れたのがコチラ。

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真1:「タージマハール・札幌ファクトリー店」

 当ブログのタイトル「サフラン放浪記」の“サフラン”は筆者(ターメリックマン)の師匠である“サフランマン”にあやかったもの。
 輝くべきサフランマン誕生の瞬間は、当ブログ2013年8月12日付け記事でご紹介したのだが、その舞台となったタージマハール旭川店が閉店して以来、筆者はタージマハールのカレーを食していない。
 今回、良い機会なので久しぶりに訪れた次第である。

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写真2:「エッグビリヤニ・ベリーホット」

 筆者の注文は写真2のエッグビリヤニ・ベリーホット。タージマハールではナンを食べる人が多いが、筆者はライスが好みである。ちなみにアフタードリンクはラッシー。
 懐かしのカレーはまさに思い出の味。旭川にエスタがあった頃、たまにランチに訪れていた。
 まだ土曜日が“半ドン”だった時代で、友人や同僚とランチを食べたあとも、(今は分からないが当時は)お代わりし放題だったアフターコーヒーで長時間、会話を楽しんだものである。
 また近いうちに、暖かくなったら再訪したいと思った。
 さて、ファクトリーをあとにすると大通りへ足を進め、西の方へ散策する。
 15分ほどで、大通りの端にあるこちらの施設へ辿り着いた。

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写真3:「札幌市資料館」

 歴史を感じさせる建物は「札幌市資料館」。大正15年、札幌控訴院(現在の高等裁判所)として誕生し、昭和48年に裁判所合同庁舎が出来たあとは、歴史資料の保存・展示を行う「札幌市資料館」として活用されている。
 その札幌市資料館の入り口をくぐり、左手に足を進めると、こちらの常設展示室がある。

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写真4:「おおば比呂司記念室・入口」

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写真5:「おおば比呂司記念室・室内」

 当ブログ・定番ネタの一つは前回もご紹介した「ホテイの焼き鳥缶詰」だが、そのパッケージに描かれている味のあるイラストの作者が、札幌出身のおおば比呂司画伯である。
 この記念室では数ある画伯の作品の中から、イラストレーションや絵本の挿絵の原画など、季節ごとのテーマで50~60点ほどが展示されている。
 また、絶筆となった作品が残されている、アトリエの再現が興味深い。
 おおば画伯が亡くなったのは1988年8月。この静謐な記念室で、その66年の生涯に思いを馳せてみるのも良いのではないか。
 入館無料なので大通り散策のときには是非おススメしたい施設である。
 さて、ホテルにチェックインしたあと、少し休んで訪れたのがこちら。

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写真6:「ブラックニッカ・ネオン」

 「札幌に来た!」と思うのはやはりこれを見た時だろう。(えっ、筆者だけ?)
 今回の札幌遠征。最大の目的は15年ほど前の2年間、仕事でとてもお世話になった方にお会いするためだった。
 その方は2才年上で、まるで兄貴の様に良くしていただいたのだが、今回、10年ぶりの再会。
 居酒屋で昔話に花を咲かせ、2軒ハシゴしてお開き。
 せっかくススキノに来たのだから、いわゆる“悪所”にて社会勉強をしたかったのだが、いかんせん軍資金不足により泣く泣くススキノをあとにした。
 最後は、中島公園近くの定宿・ホテルノースシティの一室でさみしく一人呑み、札幌の夜はふけていったのだった。

2019.04.04 | コメント(2) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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