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サフランまちあるき~「日本のまつり」と「開基100年あれこれ」

 先日、自宅アパートの古い荷物を整理していたら、とても懐かしいものが出てきた。

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写真1:「“日本のまつり旭川”タオル」

 1990年の“旭川市・開基100年記念イベント”「日本のまつり・旭川」の記念タオル。
 約30年前のものだが、良く残っていたものだ。
 ※「開基」とは広辞苑によると「ものごとの“もとい”を開くこと」とある。ちなみにこのイベントのあと、一部の人から「この言葉は先住していたアイヌ民族の皆さんの歴史を無視する」との批判があり、現在は“開村○○年”の表記が使われている。
 当時の様子については、当ブログ2014年3月3日付の記事に詳しく書いたので、興味のある方はご覧いただければ幸いである。
 タオルに描かれているのは左から「秋田竿燈」、「四日市大入道」そして「阿波踊り」である。
 当時の熱狂は今でも忘れられないし、少しでも運営に携われたのは良い思い出である。

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写真2:「石川県・御陣乗太鼓のバチ&輪島塗の夫婦(めおと)箸」

 写真2は以前の記事でもご紹介したのだが、もう一度。お世話をさせていただいた、石川県・御陣乗太鼓のメンバーの一人(輪島塗の職人さん)からいただいたもの。夫婦箸はいつか使おうと思いつつ、今日に至っている。今では、子どもが結婚したらあげようかと思っている。
 旭川は2020年に開村130年を迎える。恐らく「食べマルシェ」を拡充したものになると思うが、成功裏に終わって欲しいと思う。
 さて、引き続き開基100年にちなんで。4条通8丁目、旭川信金の前に、ひとつの文学碑がある。

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写真3:「井上靖・文学碑」

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写真4:「文学碑に寄ったところ」

 写真3、4は“文豪”井上靖による“ナナカマドの詩”の文学碑。
 井上靖は明治40年5月、陸軍軍医の長男として旭川で産声を上げた。翌年早々に祖父、母と旭川をあとにするが、生涯4度に亘って旭川を訪れた。
 写真4では分かりづらいと思うが、開基100年を記念して詠まれた「私は十七歳の、この町で生れ、いま、百歳の、この町を歩く。」で始まる、格調高い詩は有名である。
 靖の最後の旭川訪問は平成2年9月19日、この碑の除幕式参加のため。そして、その4か月後に八十三才の生涯を終えたのだった。

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写真5:「詩の原稿」

 “ナナカマドの詩”の原稿は春光5条7丁目にひっそりと佇む、井上靖記念館に展示されている。
 駐車場完備で入館料は200円。近くをお通りの際は一度立ち寄られることをお薦めしたい。

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写真6:「大雪クリスタルホール」

 こちらも開基100年記念事業の一環として、平成5年9月に開館した。旭川市博物館と音楽堂、国際会議場からなる。坂東市政4期16年の間に出来た施設の中では最も立派なものだろう。
 やや老朽化したものの、ホール前のモニュメントの斬新なデザインが今も目を引く。

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写真7:「長五郎あと」

 ここからは開基100年と関係ないが、「懐かしの飲食店コーナー」。そば処・長五郎と言えば買物公園や台場にあったが次々と閉店し、最後に残ったのが、写真7の「太陽の郷」1階だった。少し前に、道の駅内のフードコートに移転し営業を続けていたが、写真6を撮ったあと道の駅に寄ったら、別なそば屋さんに変わっていた。つまり旭川に「長五郎」というお店が無くなってしまった。
 甘いものが苦手な筆者も、長五郎の“おまんじゅう”は大好きだった。
 「無くなる前に、一度行っておけば・・・」と、当ブログ毎度のシメで今回の記事を終えたい。

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2018.09.30 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランまちあるき~またひとつ消えゆく銭湯・新富湯

 先日、市内をあてもなくドライブしていたときのこと。
 走っていたのは、「流通団地通り」とか「裏町(うらちょう)通り」とか呼ばれる、あの道路。
 秋月・新富地区に入った筆者の目が、ある“違和感”を感じた。
 すぐにハンドルを左に切り新富へ。少し走って、筆者の眼前に現れたのがこの建物。

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写真1:「新富湯」

 写真では分かりづらいが営業しておらず、待合・休憩スペースにはブルーシートに覆われた、なにやら大きな荷物がぞんざいに置かれている。どうやら廃業してしまったようだ。
 筆者が感じた違和感は、この銭湯には「ゆ」と書かれた大きな看板があり、それが“裏町通り”から良く目立っていたのだが、その看板が無くなっていたことだった。
 この銭湯については当ブログ2013年11月13日付でご紹介したので、興味のある方はご覧いただければ幸いである。
 また一つ、味のある銭湯が消えていくのは、悲しく残念でならない。
 ところでこの新富湯には、(以前の記事には書かなかったのだが)少し思い出がある。
 25年ほど前にお付き合いしていた女性がこの近くに住んでいて、デートなどのあと、家に送り届けた帰りに良く立ち寄ったものだった。
 結局その女性とは1年と少しお付き合いして別れたのだが、気立ての良い人だったので、今頃はきっと、どこかで幸せに暮らしているのだろう。

 さて、話は変わって。ここ何回かで宝島の「VOW」に掲載された旭川ネタをご紹介してきたが、また一つ思い出したので、ご紹介したい。

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写真2:「市内の某企業」

 ※もちろん、この企業名は「ひょうきんぞく」などとは読まない。
 当ブログ読者なら「オレたちひょうきん族」はまさに“ドンピシャ世代”なのでは。
 筆者もかつては、「全員集合」を見ていたが、小6ぐらいの頃、4才上の姉と1才上の兄から「ひょうきん族」が面白いと教えられ、以来、中3くらいまで、土曜8時は「ひょうきん族」を見るようになった。
 さすがに高校生ともなると“ひょうきん的”なバカ騒ぎも受け付けなくなり見るのをやめたのだが、いつの間にか放送終了していた。(ウィキペディアによると、最終回は1989年10月14日とのこと)
 中学生の頃、当時まだ週休2日ではなく、昼は半ドンで明日は休み、という弛緩しきった土曜の夜の気分に、この番組がちょうどマッチしていたのだろう。
 40代以上の人なら「ウイリアム・テル序曲」を聞くと、未だにこの番組を連想するのでは。

2018.09.21 | コメント(4) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランまちあるき~銀座デパート解体その後

 9月6日未明に起こった大地震と、地震に伴う大停電。読者の皆さんはご無事だったろうか。
 未だ避難生活を余儀なくされている方も多くおられ、物資不足も続いている。また、お仕事などで大変な思いをされている方もいらっしゃる。そういった皆様に心からお見舞い申し上げる次第である。

 さて、今回は過去の記事のフォローとしたい。
 4条通15丁目、銀座デパートの解体工事については7月22日付の記事でお伝えしたが、あれからどうなっているだろう。久しぶりに銀座通りへ自転車を走らせてみた。

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写真1:「銀座デパートあと」

 既に解体工事は終わり、跡地はきれいに整地されていた。

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写真2:「銀座ストアーあと」

 4条本通り、岡島金物店の隣の銀座ストアーもまた、解体が終わっている
 入り口の赤いひさしに書かれた「GINZA SUTOA」(“STORE”でないところに味がある!)のロゴが目を引いていたが、それもまた懐かしい。
 これで銀座デパートと銀座ストアーの跡地が、ちょうど「Z」の角2つを直角にしたように大きく空いたワケだが、今後どうなるのだろう。何か分かればまた、お伝えしていきたいと思う。

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写真3:「イトーヨーカドー」

 銀座通りの近く、イトーヨーカドーは1980年の開店から既に40年近くが経たんとする。お馴染みの“トリコロールの鳩マーク”は昭和47年の“CI”導入時からと、古い歴史がある。最近では月に2回程度来るくらいだが、(年のせいか)来るたびに開店当初の懐かしい思いが蘇る。
 近年は撤退のうわさが絶えないが、是非旭川に残って欲しい1店である。

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写真4:「亀の湯」

 中央橋を渡り、新旭川経由で帰宅する。途中、東1条2丁目、「亀の湯」の横を通った。
 (この銭湯は2012年12月10日付の銭湯紀行でご紹介した。)
 銭湯の2階はアパートなのだが、今回、何となく見ているとあることに気付いた。見づらいかもしれないが、写真の左上の方にアパート名の表示がある。
 2階のアパート名が「クレイン ハイツ」で1階の銭湯が「亀の湯」。上から読むと「鶴と亀」となり、まことに縁起がよろしい。粋なネーミングだと思う。
 ところで番台に座っていた、あのすてきな女性はまだいらっしゃるのだろうか。近いうちにまた、一風呂浴びに伺ってみたいと思った。

2018.09.13 | コメント(2) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン銭湯紀行~永山地区・スーパー銭湯に久々の訪問

 “路線バス&銭湯&ひとり呑み”という、まるで“テレビ東京の深夜ドラマ”のようなテーマは8月2日付「金栄湯の巻」でご紹介したが、今回も同じようなテーマでお送りしたい。

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写真1:「はま長・末広店前」

 自宅からほど近い、はま長・末広店前バス亭から道北バス・73番に乗車。
 バスに揺られること10分ほど、永山2条4丁目で下車。(ちなみに運賃は190円也)
 バス停からぶらぶらと歩くこと5分くらい。辿り着いたのがこちら。

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写真2:「大雪乃湯」

 オープン間もない頃は家族とたまに訪れていたが、ここ数年はすっかりご無沙汰。久しぶりの訪問である。券売機で北海道の銭湯料金、440円を支払い館内へ。脱衣室を経て浴室へ入る。
 (※ちなみに、あくまでも銭湯なのでシャンプーやボディソープの備え付けは無い)
浴室は大きな浴槽が3つとサウナ、そして露天風呂といった構成。
 まずはサウナでゆっくりと汗をかく。サウナのあとは打たせ湯で汗を流し、露天風呂へ向かう。
 ここの特徴は「露天風呂が充実している」ことだろうか。大きな露天風呂にヒノキ風呂と寝風呂、そして樽のような形をした石風呂。
 まずは大きい露天風呂でゆっくりとあたたまる。そのあとは石風呂、そして寝風呂へ。この日は晴れていたので、青空を眺めながらお湯に浸かっていると、日常の嫌な事、不安なことも忘れてしまう。
 露天で十分に温まったら浴室へ戻る。体を洗ったら大きい浴槽でゆっくりと200数えて温まり、最後はもう一度、露天を楽しんで、浴室をあとにする。

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写真3:「休憩スペース」

 休憩スペースは、掘り炬燵の板張りとテーブル、そして畳の小上り。

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写真4:「湯上りのビール」

 これがあるから生きているようなもの。ビール・枝前・ポテトの“三種の神器”
 ちなみにビールは中ジョッキが400円のお得価格で、黒ラベルとクラシックのどちらかを選べる。
 8月13日付けの記事で、昔のロッテリア・フライドポテトの思い出を書いてから、最近、妙に“ポテトづいて”いる。
 ゆっくりとビール2杯をいただいて銭湯をあとにした。
 この「大雪乃湯」の思い出と言えば・・・、もうかなり前になるが、浴室で「そう言えば昔、マッサマン氏と銭湯巡りをしたよなあ」と思っていた瞬間、当のマッサマン氏が目の前に現れたことである。「いやあ、こんな偶然もあるんだなあ」と思ったものである。

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写真5:「永山2条4丁目」

 帰りは永山2条4丁目、北星しんくみ前バス停から道北バス・72番で帰宅する。
 自宅アパートを出てから3時間弱で帰宅。たまにはこんなリフレッシュも良いと思う。
 休日に晴れて暖かい日があれば、今年中にもう一度行きたいと思った。

2018.09.03 | コメント(5) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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