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サフランまちあるき~上川神社例大祭と銀座仲見世通りいろいろ

 今年も7月20~22日にかけて上川神社例大祭が行われた。暑かった7月22日、「仕事帰りの1杯のビール」の誘惑に負けて、露店の並ぶ3条通りと銀座仲見世通りへ足を伸ばしてみた次第。

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写真1:「銀座仲見世通り」

 筆者的には“銀座仲見世通り”より“15丁目”と言った方がしっくりする。(同様の方も多いだろう)
 上川神社祭の期間中はその“15丁目”がもっとも熱い3日間であろう。特にこの日は最終日だけあって、多くの人で賑わっていた。
 写真1では大きな鳥居が目を引くが、300メートルの通りには同じものが6基立っている。上部が途切れているのは消防法の規制のため。写真奥に見えるのは銀座商店街の象徴ともいうべき丸善三番舘。

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写真2:「生ビール&焼きそば」

 手近な出店(でみせ)に入って頼んだのはもちろん、生ビールと焼きそば。冷えたビールが五臓六腑に染み渡る。

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写真3:「銀座センタービル。通称“銀ビル”」

 東京の銀座とは関係ないここをなぜ銀座と呼ぶようになったか。
 この辺の歴史は古く、明治末期には街が形成され露天商も軒を連ねるようになる。
 明治42年には写真3の今の“銀ビル”の場所に大黒座という芝居小屋が建ち、大黒座が錦座、松竹座と代わるなか、昭和8年には銀映座となり、これに由来して戦前からこの辺を“銀座通り”とか“仲見世通り”と呼ぶようになったのだそう。
 筆者の記憶によれば日本最北の銀座のはずである。(間違いだったらごめんなさい)
ちなみに写真3の銀座センタービルは昭和42年に、商店街の中核施設として誕生した。

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写真4:「ユニークな店名のスナック」

 この界隈は市場とともに“さんろく”とは一線を画す、味のあるスナックが軒を連ねているのも特徴。
 写真4のスナック「いくよくるよ」には天国の“故いくよ師匠”も喜んでいるのでは。

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写真5:「義経台あと」

 最後に上川神社について少し書いて締めたい。今では神楽岡にある上川神社だが、そのルーツは明治26年、当時「義経台」と呼ばれた宮下4~7丁目の丘陵地に最初の神社が建てられた。イオンモール旭川駅前の西側と言えばイメージしやすいだろう。写真の右の方に旭川市開基100年記念プレートがあるのがお分かりだろうか。

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写真6:「開基100年記念プレート(拡大版)」

 上川神社は明治26年の開設後、プレートにあるように6・7条8丁目に移転。その後は宮下通21丁目を経て現在の神楽岡に落ち着く。その経緯について興味のある方がいらっしゃれば、当ブログ2015年8月2日付けをお読みいただければ幸いである。

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2016.07.25 | コメント(2) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランまちあるき~6・7条仲通りいろいろ



 今年もスタルヒン球場で夏の甲子園・北北海道大会が始まった。連日、球児たちが熱戦を繰り広げているが、読者のみなさん、ご贔屓はあるだろうか。
 筆者は、と言えば母校が4年ぶりに北大会に出場。今年こそは悲願の甲子園を願っていたが、初戦で強豪の旭川実業高校に敗退。

「今年の東高野球部は一味違う」
と噂に聞いていただけに残念な限り。

 かくなるうえは旭川勢の甲子園出場を願うのみである。
 さて、今回のまちあるきは6・7条仲通りの気になるいくつかをご紹介したい。

 
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写真1:「大西時計店のビル」

 屋上の大きな銅像が目を引く。昭和の建物にはこのように味のあるものが多い。ちなみに写真中央奥に小さく見えるのが、いよいよ建て替え論議が煮詰まってきた旭川市役所総合庁舎。

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写真2:「銅像アップ」

 右手に何かを持ち時計によりかかる女性像。神話などにちゃんと題材があるのだろうが教養不足で申し訳ない。今後何か分かればフォローしたいと思う。

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写真3:「糸末・跡地」

 老舗ラーメン店・糸末(いとすえ)については当ブログでもかつて(2012年8月28日)思い出を綴ったのだが、当時、店舗の建物はまだ残っていた。現在、いつの間にか壊され敷地は駐車場となり、かつてここに糸末があった面影は何もない。
 ただ糸末で修行した方が経営する「いとすえ」というお店が深川市にあると聞いている。筆者は未訪問だが、いつかレポートしたいと思う。

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写真4:「日章小学校」

 仲通りを西にまっすぐ進むと小学校につきあたる。それが写真4の日章小学校。
 今は分からないが、筆者が在学当時、常盤中学(現・中央中学)は知新小と日章小の卒業生がほぼ半々の割合だった。そして筆者(知新卒)が仲よく“ツルんで”いた友達は殆ど日章の卒業生だった。そんな友人たちにも長く会っていない。みんなどこで何をしているのだろうか。
 ちなみに日章小と言えば冒頭で名前の出たスタルヒンが通っていたことでも知られる。
 本来スタルヒンは旧中央小学校に通うはずだが、なぜ学区外の日章小に通ったか。
 北海道経済、今年2月号の杉尾昇氏(八条スタルヒン通り会会長)へのインタビュー記事によると、当時の岩田恒市長が「将来日本人はどんどん海外に出ていくことになるので、今親切にしておけばその時に大事にしてもらえる」との理由から、ソ連のこどもを日章に受け入れるよう決めた、との由である。

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 写真5:「建設労働者福祉センター・サンアザレア」

 日章小学校の一方通行を挟んだ向かいにあるのが写真5の建物。そしてその1階には「レストラン・りっか亭」がある。
 ここについては以前もリポートしたのだが、久しぶりに再訪したので今一度ご紹介したい。

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写真6:「ルースー丼」

 前と同じで大変恐縮なのだが、やはりここでの筆者のイチオシは写真6のルースー丼。
 やや甘めに味付けされた肉と玉子がご飯にピッタリ。夏場は水ではなく麦茶というのも嬉しい心遣い。
 このお店の名物と言えばバイタリティあふれる女将さんだが今回も大変お元気だった。
 筆者がここにしげく通っていたのは20年近く前(近くで働いていたため)なのに、ちゃんと顔を憶えてくださったのにも恐縮至極である。
 最後に話を冒頭に戻して、実は筆者が3年生のころ、旭川東高野球部はかなり良いところ(ベスト8か4。その辺は少し曖昧)までいったのである。
 エースはクラスメートのS君。筆者とそんなに変わらない位の小柄な体格だったが、相手打者を見事に打ち取っていた。
 今は中学校の教員をしていると聞いたが、性格の良いS君のことなのできっと幸せに暮らしているのだろうと思う。

2016.07.18 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン身辺雑記~北京楼と学校祭の思い出

 先日(7月8日)の昼、満腹食堂へ向かっていたときのこと。6条通りに多くの人だかりができていた。
7月8日~10日にかけて旭川東高の学校祭が行われており、初日である8日は仮装行列の日だったのだ。(9~10日はクラス展示の一般公開)
 仮装行列の見物客を見ていると、ふと自分のときは何をやったか考えてしまった。
 1年のときはたしかテーマがピーターパンで、ネイティブアメリカンの役をやらされたか。3年のときはテーマが仏教で(渋ッ!))羅漢か何かの役をやったと思う。2年のときが思い出せない。
 逆にクラス展示は2年のときを憶えていて、テーマはイギリス。教室をパブに見立てて大きなダーツを作りお客さんにやってもらう、というもの。2日間で1000人のお客さんという目標をたて見事達成できたと記憶している。
 趣向をこらした仮装に身を包んだ後輩たちを見ているとそんな事を思い出してしまった。
 さて、最近筆者が満腹食堂と同様に懇意にしているお店がこちら。

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 写真1:「北京楼菜館」

 7条通7丁目仲通りにある北京楼菜館。老舗なので行かれた方も多いのでは。
 初めてここを訪れたのは親戚の集まりに連れられて、まだ子どもの頃だった。今は無いが、置物にクジャクの羽があったことを鮮明に記憶している。

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写真2:「チャーハン」

 主に注文するのは写真2のチャーハンか広東麺か焼きそば。味が美味しいのはもちろん、量がそれほど多くないのが筆者的に嬉しいから。
 その北京楼と仲通りを挟んだ、8条は稲荷小路に鎮座しているのがこちらである。

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写真3:「稲荷神社」

今年2016年がスタルヒンの生誕と、常磐公園の開園100年ということは当ブログでも何度か書いてきた。そんな100年前の大正5年、もう一つ大きなことが旭川に起こった。旭川史上最大の大火とされる「七条大火」である。
大正5年4月28日午前11時半頃、7の7の氷問屋から出火した火は南風で広がり、死者こそなかったものの7条から8条にかけて104戸が全焼。総焼失面積は4330平方メートルとの由である。
写真3の稲荷神社は火災後に建立。今も毎年、鎮火祭が営まれている。


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写真4:「酒房富士あと」

だがそんな祈りも空しく“稲荷小路”の牙城を守ってきた酒房富士が今年、火災により焼失してしまった。(写真4の手前の砂利引きのところに酒房富士があった)
隠れた名店の閉店に筆者も心から落胆したのだが、仲通りを挟んだ向かい、冒頭にご紹介した北京楼の隣にちゃっかりと移転、再開していたのである。

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写真5;「酒房富士・新店舗」

旧店舗に見られた“隠微な風情”が無くなってしまったのが残念。酒房富士と言えば裏の旭川名物と言われる“嬢の立ちんぼ”だが、新店舗でも見られるのだろうか。

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写真6:「北京楼菜館・3条店あと」

話は戻って、北京楼はかつて市内に2店舗あった。3条店が閉店して随分と経つ。写真右の「BRA・・・」は喫茶ブラジルで、左奥に仏蘭西亭の看板が見えるので位置の想像がつくと思う。そういえば、この小路の入り口地下には3条食堂という大衆食堂があった。
若かりし頃、仕事終わりに定食と冷えた瓶ビールで1日の疲れを癒したものである。
なんだかんだ言って最後は「懐かしの飲食店コーナー」になってしまうのも、当ブログの哀しいところだろうか。

2016.07.11 | コメント(2) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン一人呑み~ワカコ酒・地上波第2シリーズ~「ツナ缶マヨ焼き」を再現!


 久々の一人呑みコーナー。今回、まず用意したのはこれ。

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写真1:「イワタニ・カセットガスバーナー」

 アマゾンにて購入。お値段は3000円位とのこと(奥さん談)。ちなみにバーナーの下のボンベは別売りである。他に用意したのはコチラの品々。

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写真2:「キリンウイスキー・富士山麓&イナバ・ライトツナ&ソーダ水」

 当ブログで“イナバの缶詰”と言えば缶カレーシリーズだが今回はツナ缶にご登場願った次第。
 あと、用意したものは玉ねぎとマヨネーズ、そしてレモン。

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 写真3:「作り方①」

 まずツナ缶のオイルを良く切り、ツナを軽くほぐしたあと千切りにした玉ねぎを乗せる。

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写真4:「作り方②」

 その上にマヨネーズをたっぷりとかける。

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写真5:「作り方③完成」

 最後にマヨの表面をバーナーで焦げ目がつくまで炙って完成。

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写真6:「ツナ缶マヨ焼き&山麓ハイボール」

 2つずつあるのは奥さんとの“プチ宴会”のため。
 炙ったマヨネーズの香ばしさと玉ねぎのシャキシャキ食感がツナとからんで絶妙に合う。ハイボールとの相性も最高で、興味のある方は是非一度お試しを。
 さて、今回のお酒とアテはあるドラマをコピーしたもの。

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写真7:「ワカコ酒」(注:「ワカメ酒」ではないので、お間違えなく。)

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写真8:主演は武田梨奈さん。今年、元日の相棒スペシャルで重要な役どころを演じたことを憶えておられる方もいるのでは

 もうすぐ終わる番組を取り上げるのも申し訳ないのだが、再放送があるかもしれないのでご紹介したい。
筆者宅でハマりまくっているのが、テレ東の「メシテロ系」といわれる「ワカコ酒」。
 物語は“酒のみの舌を持って生まれた独身OL・村崎ワカコ”が夜な夜な居酒屋、バー、宅呑みなどで“女ひとり酒”を楽しむというもので新久千映さんの漫画をドラマ化したもの。ちなみに第8話は給料日前で節約中のワカコが缶詰バーに立ち寄り、安く美味しいお酒とアテを楽しむ、というエピソード。
 今回ご紹介した“ツナ缶マヨ焼き”と“山麓ハイボール”は番組に登場したものを、そのままコピーしたものである。
 残念なことにワカコ酒・地上波第2シリーズは7月4日(月)深夜1時からの第12話が最終話。今後も再放送や地上波での第3シリーズ放映の情報などがあれば、フォローしていきたいと思う。

2016.07.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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