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サフラン激辛グルメ~ぺヤング・激辛カレーやきそば

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写真1:「ぺヤング激辛カレーやきそば」

今回ご紹介するのはぺヤング激辛カレーやきそば。自宅近くのドンキホーテにて入手。

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写真2:「完成之図」

熱湯を注ぎ3分後、湯切りをして、特製ソースをかけて完成。具はたっぷりのキャベツと極小サイズの“謎肉”が少し。見た目にはあまり激辛の印象は受けない。
まず、一口いただいてみる。食べた瞬間はそれほどでもないが、一拍おいた後、強烈な辛みが喉に来る。思わずむせてしまった。
完食するころには顔と首に汗が噴き出すほど。ただ辛さの中にもちゃんとカレーのスパイシーな味がするのはさすが“まるか食品”。土曜日の昼食においしくいただいたことをご報告したい。
ちなみに商品名の“ぺヤング”とはペアとヤングの略。“ヤングがペアで食べる焼きそば”という意味なのだそうだ。「ナウいじゃん!」(by筆者)

さて、ここからは過去記事のフォローも合わせてまちあるきネタとしたい。

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写真3:「あいらぶゆ看板」

平成初期、旭川におけるスーパー銭湯黎明期に“あいらぶゆ”なる人を食った名前の銭湯があったことは以前書いた。豊岡2条4丁目、かつての“あいらぶゆ”は現在、資材置き場。唯一、看板のみが面影を残している。
それにしても「あいらぶ」と来て“ハート”の中に「ゆ」とは・・・・知らない人が見たら「なんのこっちゃ?」と思うだろう。

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写真4:「お床のなかの男のくすり」

前前回の記事でカブトヤ薬局のことをご紹介したとき「お床のなかの男のくすり」と書いたのだが、もしかしたらピンと来ない読者もいらっしゃるかもしれないので、改めて写真でご紹介する次第。旭川を代表する名キャッチコピーであろう。カブトヤ薬局と言えば、H経済誌の名物連載(黄色いページ)を毎月楽しみにしている読者もいらっしゃるのでは。(えっ、筆者だけ?)
 
話を冒頭に戻すと、ぺヤングで昼食を済ませたあと筆者が向かったのが、江丹別町にある旭川市廃棄物処分場。物置を整理した際に出た粗大ごみを持ち込むためである。(廃棄物処分場への持ち込みの詳細は当ブログ2012年11月22付けをご覧いただけると幸い)
 ごみの搬入を無事終え、天気が良かったのと、こちらの方には滅多に来ないので少しドライブしてみた。

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 写真5:「市営牧場周辺」

 昔バイクに乗っていたことは何度か書いてきた。当時、筆者が良く練習に訪れたのが、写真5の市営牧場周辺だった。高低差が大きく、ブラインドコーナーが続く、とても楽しい道である。
 ところで市営牧場に隣接する「若者の郷」(すごいネーミングセンス!)で27年前、同期入社一同で植樹をしたのだが、あの木は大きく育ったのだろうか。)

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 写真6:「旧・多度志(たどし)峠入り口」

 旭川と深川市を結ぶ道道98号・多度志(たどし)線。今はゆるやかな道路だが、かつてここはタイトなコーナーが続く峠道だった。冬期間の通行止めのために路面コンディションが良く、週末ともなれば多くの走り屋たちが訪れる“旭川版リアル・イニシャルD”のようなところだった。現在、写真6の旧道入口は進入禁止。舗装も剥がされ、かつてローリング族たちが“コーナーを攻めて”いた名残はもうない。

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 写真7:「道道72号線・江丹別峠」

 旭川と蕎麦の名産地・幌加内(ほろかない)町を結ぶ道道72号・江丹別峠。ここも好きな道だった。多度志と違い通年開通しているため、路面の埃やデコボコなど、ある意味、多度志より“シビレる”峠だった。ここから霧立峠に抜け、日本海側を走るのが筆者のお気に入りツーリングコースだった。
 またいつかバイクに乗るのが筆者の夢である。それも高性能なレーサーバイクなどではなく、カブで気ままにツーリングをしたいと思うのだが・・・いつかそんな日が来れば良いと思っている。

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2016.05.29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフランまちあるき ~旭川市役所第二庁舎周辺・児童公園の思い出と八条市場

 最近、市内を賑わせている話題と言えば老朽化の著しい市役所・総合庁舎の建て替え問題だが、今回のお題はその総合庁舎の斜め向かいにあるこの建物から。

旭川市第二庁舎
写真1:「旭川市第二庁舎」

 写真1は7条通10丁目にある旭川市第二庁舎。主に福祉、子育て部門と旭川市南消防署から成る。
 この第二庁舎の、向かって左側、南消防署の車両ピットがある辺りに、1970年代終盤まで「中央なかよし公園」という公園があり、筆者たち近隣に住む子供たちの格好の遊び場だった。
 公園(筆者たちは“児童公園”と呼んでいた)と言っても砂場と水飲み場があるだけの殺風景なものだったが、それでも筆者たちは時間を忘れて“ドロ遊び”などに興じたものである。

現在の中央なかよし公園 
写真2:「現在の中央なかよし公園」

 80年前後、第二庁舎の建設に伴い、なかよし公園は裏に移設。現在の公園は写真のように緑に囲まれ、遊具やベンチ、奥には噴水がある市民の憩い場といった風情である。

 さて、その第二庁舎からほんの少し八条に足を伸ばすと・・・

八条市場 
写真3:「八条市場」

 古い市場が次々と姿を消す中、未だに現存する貴重な存在。高窓からの採光を確保した中央通路に沿って、左右に店舗と住まいを配置した典型的な三角屋根の市場。
 かつては様々な店が軒を連ねていたのだろうが、今はランチ、お惣菜、お弁当を扱う「スミ・キッチン」と「高野豆腐店」の2店が門を構えるのみ。
 因みに「スミ・キッチン」が入居している場所(入り口の向かって右側)はかつて、当ブログでご紹介した、ラーメン店の「幸来」が営業していた。

入り口を入ったところ 
写真4:「入り口を入ったところ」

 入り口を入ると、薄暗い通路が奥へ続く。

味のある看板 
写真5:「味のある看板」

 今はもう、主のない看板が出迎えてくれる。かつて「武田商店」という雑貨店があった事が分かる。

高野豆腐店
写真6:「高野豆腐店」

 通路奥の右手にあるのが高野豆腐店である。

店内 
写真7:「店内」

 お店に入るとお婆ちゃんと寡黙で職人気質風の息子さんのお二人で切り盛りされていた。
 お婆ちゃん、お見受けするところ70歳代と思うがとてもお元気、かつ親しげな方だった。「こちらは何年から営業なさっているのですか?」とお尋ねしたところ「昭和30年から」との由。昭和30年というと、今年で創業61年、お婆ちゃんは二代目なのだろう。ちなみに市場自体が出来たのが昭和4年とのこと。また今の市場は火事で半分が焼失。かつては10丁目全体を東西に横切る形だった事も教えていただいた。
 「幸来のことは覚えていますか?」とお尋ねしたところ良く覚えていらして、開店の経緯やご主人の早すぎる逝去(50歳代)、3人いらしたお子さんの近況など、昔話に花が咲いてしまった。

筆者が購入した豆腐 
写真8:「筆者が購入した豆腐」

 筆者が購入したのは木綿豆腐400グラム。お値段135円(税込)。

サフラン流・麻婆豆腐
写真9:「サフラン流・麻婆豆腐」

 その日のうちにいただいたのは写真9のサフラン流・麻婆豆腐。お婆ちゃんのようにとっても優しい味がした。筆者は普段、麻婆豆腐は“絹ごし”で作るのだが、これからは木綿も良いかなと思った。
市場の雰囲気はちょっと入りづらいかもしれないが、是非おススメしたい“まちの名店”であり、八条市場とともに永く続いていって欲しいと思う。

2016.05.22 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランまちあるき~9条通りいろいろ

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 写真1:「かつての実家から眺めた9条通り」

 9条通りは人生の多く(2才くらいから21才まで)を過ごした、特に思い出深い通りである。(写真1は8才から21才まで過ごしたかつての実家の、勉強部屋から眺めた光景)
 今回はそんな9条通りの10丁目から14丁目を中心に、いくつか思い出を綴っていきたい。

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写真2:「旭川医療情報専門学校(9条通11丁目)」

 写真2の建物はかつて、旭川女子商業高等学校・宝田学園という女子高だった。今、緑町にある明成高校の前身である。40代以上の旭川市民なら“スケショー”と言った方が馴染み深いかもしれない。年に1回の学校祭(販売実習会)には、校舎の前に派手なスポーツカーが連なって横づけしていたのも懐かしい“季節の風物詩”であった。

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 写真3:「大黒市場あと(9条通13丁目)」

 今、美容院とアパートがある辺りにかつて大黒市場という市場があり、筆者宅も良く利用していた。
 これは前にも書いたことだが、1980年、イトーヨーカドー旭川店の出店を機に大成、朝日地区の買物シーンは一変した。筆者の実家も、買物は殆どヨーカドーになってしまった。
 大黒市場も90年代までは営業していたろうか。建物はしばらく残っていたと記憶しているが、いつの間にか取り壊され、ここに市場があった面影も残っていない。

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写真4:「末広湯あと(9条通13丁目)」

 その大黒市場の斜め向かい、マスプロ電工の右隣で今は月極め駐車場となっているところには、末広湯という銭湯があった。ザ・昭和銭湯といった感じの銭湯だったと記憶している。小学生の頃、自転車を駆って訪れたものだ。中学に上がる頃には“筆者的銭湯”は“旭鉱泉湯・8条プレジャー”と“ときわ湯”に移り、末広湯へは次第に足が遠のくなか、いつのまにか廃業してしまった。

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写真5:「カブトヤ薬局(9条通14丁目)」

 もはや“語りつくされた感”もあるが、9条通りを語るうえでここを避けてとおるワケにもいかないだろう。「お床の中の男のくすり」カブトヤ薬局。
 ここの思い出といえば、かれこれ四半世紀ほど前。このブログにもちょくちょく顔を出す同期入社のTKW氏が結婚することとなり、仲間内(もちろん、編集長・マッサマンや仏頂面男・エリツィン氏などがいた)でなにかシャレの効いた贈り物をしようと訪れたのである。対応してくれた店主は気さくに、そして立石に水のトークで色々なグッズの説明をしてくれたのだった。
 ちなみに我々が贈った「ト○ス」をTKW氏がどのように活用したかは、品位を重んじる当ブログでは差し控えたい。

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写真6:「旧・スパイキー(9条通10丁目)」

 行こう行こうと思っていたらいつの間にか閉店してしまったカレー店。
 そもそもこの建物が建ったのは1980年代終盤。当時、トムクルーズの出世作である「ハスラー2」の大ヒットにより日本中にビリヤードブームがおこり、各地に「プールバー」ができたのだった。
 そしてスパイキーのあったこの半地下に最初にあったのがプールバーだったのである。
 だが旭川の9条通りにプールバーが定着するはずもなく、程なくして閉店。以降、この半地下は“どんなテナントが入っても長続きしない場所”なのである。(スパイキーなど筆者に言わせれば長続きしたほう)
 次は入るテナントには、頑張って長続きしてほしいものである。

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写真7:「理容ささき(8条10通丁目)」

 厳密には9条ではないのだがここは紹介しておきたい:

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写真8:「理容ささき看板」

 “フミヤ”&“ナンノちゃん”。おそらく86~87年くらいであろう。似顔絵の名手、針すなお氏を彷彿とさせるタッチは実に味がある。

 以上、人生の多くを過ごした9条通りについて思い浮かぶまま綴った次第。今回、写真のために歩いたのだが、やはり空地が多いと思った。昔はもっと多くの小売店が肩を寄せるようにしていたものだった。
 そういえば小学校に上がるか上がらないかの頃、祖父が「パルプに買物に行く」と言い、9条通りを一緒に歩いて行ったことを思い出してしまった。今の“ビッグハウスパルプタウン”であろう。大人の今なら“なんてことない距離”だが、筆者の子ども心には、とてつもなく長く感じたものである。

2016.05.13 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン激辛グルメ~北海道ラーメン紀行・第二弾

 4月28日(木)。この日奥さんは職場の歓送迎会なので、ひとり夕食をとりに向かったのがこちら。

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 写真1:「Feeeal(フィール)旭川」

 エスカレーターを地下へと下ると、そこにあるのは・・・

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 写真2:「白樺山荘」

 フィール旭川では今「北海道ラーメン紀行」と題して全道の名店が期間限定で出店する企画が開催中。その第二弾が札幌の名店・白樺山荘である。(第一弾は同じく札幌の“すみれ”だった)
 平日の夕方だからか、空いていて、すぐにカウンターに陣取ることが出来た。(もっとも筆者の入店後、10分位でほぼ満員になった)
 筆者が注文したのはこちら。

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 写真3:「激辛ラーメンみそ味・880円」

 見るからに美味しそうである。聞くところによるとオレンジは食欲をそそる色なのだとか。
 早速スープをいただく。“激辛”というほどの辛さではない(と思う)。恐らく辛さの中にも濃厚な味噌の風味を邪魔しないように、とのお店の配慮なのだろう。
 麺は典型的な札幌みその“黄色い縮れ麺”。筆者はこの“札幌みその麺”が好きである。
 具材は白髪ねぎにモヤシとニンジンほか各種野菜。ホロホロに煮込まれたサイコロチャーシューが柔らかい。またキクラゲのコリコリ食感が良いアクセントになっている。
 筆者は食べなかったが、ゆで卵のサービスがあるのも嬉しい。ちなみに白樺山荘の出店は5月8日までとのこと。
 実はこの日は筆者の誕生日。美味しく“バースデイディナー”をいただいたことをご報告したい。

 さて、写真1のフィール旭川が開業してもう5年になる。早いものである。
 “丸井さん”撤退後、2年にわたり空き家状態が続いた。丸井もこれ以上は建物の維持は出来ない(冬期間の暖房に多額の費用を要する)、との意向を示していた矢先、極東証券が建物の買収と運営に名乗りを挙げたのだった。あれからはや5年。読者諸賢もご存じのとおり、今や丸井時代以上の賑わいを見せている。(キーテナントのジュンク堂の存在と、市が一部部署を入居、家賃や光熱費など少なからず負担していることも大きい)

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写真4:「フィール旭川向かい。アッシュ・アトリウム前」

 “焼きとうきび・鳩”と来れば多くの人は大通り公園を思い浮かべるだろう。だが我が旭川にも、かつてそんな場所があった。それがこのアッシュ・アトリウム前である。(もちろん当時、アッシュはなかったが)筆者も幼い頃、祖父に焼きとうきびを買ってもらい鳩に与えたものだった。衛生面の問題だろうか。いつの間にかそんな光景も見なくなって久しいが、寂しいものである。

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 写真5「ルートイン・グランド旭川駅前」

 フィール旭川からほど近い宮下通8丁目。旭川初の高層建築物であるアサヒビルを取り壊し、ホテルの建設が始まったのはかなり昔のことだ。基礎工事まで終わったところで諸般の事情により工事は中断。市はホテル建設に巨額の補助金を交付していて、一時は“補助金取られっぱなし・基礎工事だけがとり残される”という最悪の事態も予想されたが、今春やっと、開業の日の目を見たところである。
これまでの紆余曲折についてはとても当ブログでは書ききれない。(興味のある方は図書館でH経済誌のバックナンバーでもご覧いただければ、と思う)
 一時期“雨後の筍”状態だった駅周辺におけるホテル建設ラッシュもこれで一息ついたようだ。
 ルートイングランデについては筆者も一市民として何度も“ヤキモキ”させられたものだったが、今の心境は「待てば海路の日和あり」といったところだろうか。

2016.05.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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