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サフラン読書日記~北の毒舌王、若き日の一冊

・書名:日々幸せ感じ上手
・著者:日高 晤郎    ・中西出版  ・1000円(本体971円)

 当ブログ編集長・マッサマンの母上が蔵書整理をした際、幾冊かを筆者に下さった。今回ご紹介するのはその中の一冊である。

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写真1:「日高晤郎著、日々幸せ感じ上手」

 奥付を見ると「昭和62年12月・第1刷、平成元年10月・第6刷」とある。
 第6刷!!大ベストセラーではないか!平成元年と言えば確かテレビで「スーパーサンデー」が始まった頃、日高氏が一番“ブイブイ言わせていた”ときだろうか。

 写真1の表紙は、昭和19年生まれの晤郎氏、43才の肖像。いつの間にか筆者も、当時の晤郎氏より年上になってしまった。時間のたつのは早いものである。
 全191ページのうち一番多く割かれているのが(115ページ)日高氏の半生記である。
 大阪に生まれ、訳あって養子に出され、17才のときに大映のオーデションに合格。
やがて大映を退社、上京して引き語り生活を送っていたとき、縁あってSTVの岩本氏に見いだされ北海道で人気DJとなるまでを、口述筆記というスタイルで描いたもの。
 毎週、晤郎ショーを聞いている者なら一度は耳にした話が多い。筆者が本書で興味を引かれたのは写真の充実である。

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写真2:「若き日の晤郎氏」

 写真2は17才当時の晤郎氏。当たり前だが若いというより、あどけなさを感じる。北の毒舌爺さんにもこんな頃があったのだ!下の写真で晤郎氏が嬉しそうに持っているのが、初めて市川雷蔵氏の相手役に抜擢された「江戸へ百七十里」の台本。その表情から、いかに嬉しかったかが窺える。上の写真で晤郎氏の横で微笑んでいるのが市川雷蔵氏。Yシャツを着て腕抜きでも身につければ、田舎役場の公務員のようだ。この人がスクリーンではあんな美男剣士になるのだから、役者というのはすごいものである。
 最後に本書から、晤郎氏が雷蔵氏とともに師と仰ぐ勝新太郎氏が、上京する晤郎氏に贈った言葉を紹介したい。

 「遅く売れろ。お前みたいなヤツが遅く出てきたら恐い。お前は華やかに売れるヤツじゃなく恐いヤツになれ。早く売るようなことはせず、できるだけ遅く売れてこい」

 前に雷蔵氏が晤郎氏に贈った言葉も紹介したが(興味のある方は今年1月5日付けをご覧いただきたい)大映の二枚看板である二人の師が、ともに似たような言葉(早く売れようとするな)を言われたのが興味深い。
 マッサマンの母上が筆者に下さった本は他に二冊あるが、機会があればご紹介したいと思う。
 
「ウィークエンドバラエティ・日高晤郎ショー」について。筆者の好きなコーナーに4時から始まる「北の出会い」がある。
 道内で地道に活動する市井の職人や料理人を紹介するのがメインのコーナーだったが、近ごろ少し、趣が変わっている。最近は“こおり健太”氏など馴染みの歌手を招いたり、あるいは好きな歌手(晤郎氏は“うたびと”と呼ぶ)のCDをかけ、晤郎氏が語りを加えるスタイルが多いのだ。
「ラジオ番組の私物化もここに極まれり」といった感だが、こうした手法に聴取者も放送局もスポンサーすらも何も言わせないのが賛否両論百出の「晤郎流」なのだ。

 これは単純に、取材を担当するアシスタントの不在状態が続いている事もあるだろうが、晤郎氏の心境の変化もあるのだろう。ラジオでの発言では頻繁に天童よしみ氏との共演を望んでいるが、実現したら、さぞや素晴らしいものになるだろう。

 さて、晤郎氏と歌、と言えば晤郎ショーで4時40分頃に歌う「街の灯り」である。
 一種の前衛的(?)とも言える独特の歌唱力は、彼の特筆すべき「持ち味」のひとつである。
 一月ほど前、放送を聞いていたら「街の灯り”はもう私のものだと思っています!”」とのたまっていたが…。

 「いやいやいやいや、“マチャアキのもの”だろう!」(BY全国民のツッコミ)

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2015.05.31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 読書

サフラン一人呑み~吉田類プロデュース・北海道限定、酒の肴

 先日ローソンに行ったとき、見慣れた人が筆者に微笑みかけてきた。

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写真1:「酒の恋人こつぶっ子」

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写真2:「ほっけえ道なまらスティック」

 当ブログでお馴染み、吉田類さんプロデュースとあるではないか!まぁ、名前を貸しただけなのだろうが、面白そうなので思わず買ってしまった。

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写真3:「器に盛った」之図

 つぶは軽く湯煎してみた。肝心の味は、なまらスティックは至って普通、鮭とばの鮭がほっけになったと思って良いだろう。つぶの方は歯ごたえ、磯の香りなど中々本格的である。合わせる酒は、今回はチューハイだがお湯割り、熱燗など暖かいものの方が合うかもしれない。
 今ならそう、大相撲中継を見ながら一杯、なんてのが最高だろう。(筆者は大相撲本場所中の休日は大体、午後5時頃から呑み始めている)

 さて、大相撲といえば5月場所が開催中。この原稿を書いているのは5月24日、千秋楽の昼だが、星は白鵬と照の富士が11勝3敗で並んでいる。角界のモンゴル旋風はまだしばらく終わりそうにない。
筆者が生きている間に日本人横綱が見られるのだろうか。

 当ブログでも前に紹介した、道内出身・最高位でご当地旭川出身の旭大星は、幕下6枚目で5勝2敗の勝ち越し。昨年、一度は十両に昇格するも2場所で陥落したが、また関取への返り咲きが狙えそうだ。
 ところで旭大星の勝敗を調べるため大相撲協会のHPを見たところ、幕下に「寺尾」なる名前を見かけた。
 筆者たち40代以上の相撲ファンにとっては忘れられない四股名だ。寺尾といえば空前の相撲ブーム、若貴ブームの頃に活躍した力士である。甘いマスクと均整のとれたソップ型の体型。小兵ながら回転の効いたツッパリと小気味よい取り口で大人気を博した。(たしか最高位は小結だったろうか)引退後は錣山(しころやま)親方として後進の育成に努めているはずだ。今の寺尾は錣山親方の息子だろうか。たしか結婚は割と遅かったはずなので年齢的には丁度良い。(ネットで調べればすぐ分かるのだろうが敢えて想像を楽しませてみる)もしそうならすごいことだ。錣山親方の兄も元三役の逆鉾(さかほこ)、現・井筒親方でありその父親も鶴ケ峰、先代・井筒親方である。幕下の現・寺尾が錣山親方の息子なら、まるで角界のグレイシー一族ではないか!
 旭大星と同様、寺尾君の活躍も期待するものである。

2015.05.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 酒場放浪記

また一つ名店が・・・八条はま長、閉店す!

 先日、昼食をとりに馴染みの店へ出かけたときだった。

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 写真1:「八条はま長、外観」

 入り口になにやら貼り紙が。嫌な予感を感じつつ見てみると…

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 写真2:「閉店を告げる貼り紙」

 やはり閉店を告げる貼り紙だった。最近、何だかこんな写真ばかり紹介している様な気がする。
文面は「平成27年5月6日をもちまして閉店いたしました。長きに渡りご愛顧を賜りましたこと感謝申し上げます」
八条はま長は“旭川で一番最初にラーメンを供したとされる”(諸説あり)老舗であり、今回の閉店は地元メディアも報じるだろうが、筆者なりの思い出を綴りたい。

このお店との付き合いは、小学校に上がる前からなので、もう40年近くになる。
当時住んでいた実家が徒歩10分もかからない所だったので、たまに祖父が連れて行ってくれたものだ。
 今にして思えば年金支給後のささやかな贅沢だったのだろう。祖父は決まって天ぷらそばを、筆者は何故だか月見そばを食べたものだ。
祖父とだけでなく、親戚が集まったときにも連れ立って訪れたり、出前をとったりしたものだった。
近年では週1回は昼食に訪れ、会計の時にマスコット・ガールであるおばあちゃんと少し雑談するのが楽しみだったのである。
筆者、いや、多くの市民に愛された八条はま長の閉店は非常に残念な限りである。
「何か特別な事情でもあったのか」と思い、後日、3条通りのはま長本店(こちらも八条ほどでは無いが長きに渡って利用している)に行き、食後、会計のときに聞いてみたのだが「店主ご夫妻が80才過ぎで高齢だからではないでしょうか」との由。同じ「はま長」といっても、そんなに付き合いは無くあまり詳しい事は分からないそうだ。

あと筆者が一つ心配なのは店舗建物の今後。
写真1でお分かりのとおり、歴史と風情ある建物が解体、更地となっては本市にとっても大きな損失だと思う。何らかの保存、活用が図られることを願うばかりである。

2015.05.18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフランまち歩き~旭川市役所・地下食堂


 先日、ちょとした所用があり、旭川市役所(6条9丁目)へ出かけたときのこと。7条駐車場に車を止め、連絡通路から市役所本庁舎地下へ抜ける。

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写真1:市役所総合庁舎。市で何か不祥事があると必ずこのアングルの映像がマスコミを賑わすのも「旭川アルアル」だ。

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写真2:総合庁舎地下。奥の食堂入り口に、なにやら貼り紙が

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写真3:営業休止を伝える貼り紙

 「業者の都合により27年5月1日から営業を中止」とある。
 実は昨日(4月30日)も役所に来る用事があり、その時は何もそんな素振りはなく普通に営業していたので少し驚きである。
 食堂の隣にある売店の従業員さんに知り合いが居るので、ちょっと話を聞くと、少なくとも4月30日まで営業をしていた業者については廃業の様だ。ついでに廃業の理由も聞いたのだが、ことの性格上今ここで書くわけにもいかない。
ただ、「この状況で誰もが真っ先に思い浮かべること」と大差ないことだけは述べておこう。

 ところで、初めて筆者が地下食堂を利用したのは中学生のときなので、15才だとしたら、かれこれ30年前になる。
 文化会館の近くで友人たちと遊んでいたとき、少し小腹が空いたのだが、悪友のUが「市役所、行くぞ!」と言い出したのである。
 筆者は「は?メシ食うのに何で市役所?」と思ったのだが、Uに連れられ皆で訪れたのが地下食堂だった。何を食べたかはさすがに忘れたが、確かカレーかチャーハンで、値段は200円前後だったと記憶している。

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写真4:味のあるショーケース

 当時と変わらぬショーケース。今どきこんなのを使っている食堂がどれだけ残っているだろうか。メニューも大きな入れ替わりはない。値段だけは時代に合わせて少しずつ値上げしているが、それでもカレーライス350円、ラーメン400円など破格の安さである。
 一番高いエビ重(650円)をいつか食べよう、と思いつつ「次でいいや」と先延ばしにしてきたのが残念である。
 「市役所の本庁舎に食堂が無い」なんてことにはならないだろうから、早晩、後継テナントが決まるのだろうが、出来れば全国展開の“○ダックス”などよりも、地元の飲食店が入ってほしい、と願ってしまうのが人情というものであろう。

2015.05.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン激辛グルメ~一平ちゃん夜店の焼そば・大辛

 2015年4月28日。元プロレスラーの阿修羅・原氏が肺炎により亡くなった。68才だった。
 ラグビー元日本代表という異色の経歴を引っ下げて国際プロレス入団。レスラー人生のピークは80年代中~後半、天龍とのタッグ“龍原砲”時代だろう。妥協のない厳しいファイトスタイルは“眠れる怪物・ジャンボ鶴田”をも覚醒させ、のちの四天王プロレス、そして全日本プロレスブームにつながった。

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 写真1:劇画「プロレス夢十夜」より

 写真1は原田久仁信(くにちか)氏による「劇画・プロレス夢十夜」より“輪島をボコる龍原砲”頭部への蹴りは今でこそ「サッカーボールキック」と呼ばれるが当時は衝撃だった。これを見た“格闘王”前田日明が「こんな事をされたんでは俺たち(UWF)の存在意義が無くなってしまう!」と恐れたのは有名な話だ。
 94年の引退後は故郷の長崎にて両親の介護、母校でのラグビー指導をしていたが、近年は自身の病気療養に専念していた、とのこと。
 また一人、偉大なる昭和名レスラーが逝ってしまった。心から哀悼の意を表すものである。

 ここからは激辛。明星食品の「一平ちゃん・夜店の焼そば」が1995年2月の発売開始以来、今年で20周年を迎え、その記念として「ハラペーニョ・チリチーズ味」や「タイ・グリーンカレー味」などの野心作が発売されたが、今回ご紹介するこれも、その一環の様である。

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 写真2:「一平ちゃん・夜店の焼そば・大辛」

 メガ・ドンキホーテにあったので思わず買ってしまった。早速、土曜日の昼食にいただく。

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 写真3:「できあがり之図」

 ノーマル品と比べ、辛みをつけるためかソースの粘度が非常に濃い。更に“ふりかけ”と“からしマヨネーズ”が辛さと味の奥行きを出している様だ。「激辛」とまでは行かないが、食べ進むうちに適度な辛さが舌に突き刺さってくる。
 こんなことを書くと「非国民」ならぬ「非道民」と罵られるかもしれないが、筆者は各メーカーのカップ焼きそばの中では「一平ちゃん」が一番好きである。そして激辛。筆者にとって美味しくない訳がない。大変美味しく完食した。
 後発の一平ちゃんがぺヤング、UFOと肩を並べるまでになった最大の決め手が「からしマヨネーズ」なのは異論がないだろう。「マヨビームでピューピューなんて大人をバカにしている」(BY・めしばな刑事タチバナ)が、一度この快感を知ってしまうと中毒になってしまう。
 ちなみに商品名の「一平」は明星のHPによると「平成で一番の焼きそばになってほしい」との願いが込められているそうだ。(筆者などは母校の偉大なる先輩・原一平氏を思い出してしまう。)

 個人的な話だが、筆者が結婚したのは一平ちゃん発売の1月ほど後のこと。つまり筆者の結婚生活はそのまま一平ちゃんの歴史とカブッているのだが、何だかビミョーな感じである。結婚の周年記念は50年の金婚、25年の銀婚が有名だが、20年を調べたら“陶器婚”とか“磁器婚”とか言うのだそうで、これまたビミョーである。

2015.05.04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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