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サフラン読書日記~進撃の巨人より昭和の巨人

「1964年のジャイアント馬場」
・著者:柳澤 健   ・双葉社   ・1900円+税

何でも今、若い女性の間でちょっとしたプロレスブームなのだそうで、プ女子(プロレスファンの女の子)なんて言葉もあるようだ。道理で最近、CSの「ワールドプロレスリング中継」なんか見ると、リングサイドに陣取った若い女の子達が黄色い歓声をあげているワケである。
たが、例えば、道行く人をランダムに選んで「飯伏幸太、オカダカズチカを知っていますか?」と聞いても「はい」と答える人は10人中2人、多く見積もっても3人程度だろうが、一方で、同じ人に対して「ジャイアント馬場、アントニオ猪木を知っていますか?」と聞いたらどうか。
知っている人は10人中9人、いや、(こちらは)少なく見積もって8人は下らないだろう。

今、ちょっとしたプロレスブームと言っても、やはり馬場・猪木時代は別格なのである。

という訳で今回ご紹介するのはこの一冊。

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写真1:「1964年のジャイアント馬場」

著者の柳澤健(たけし)氏は1960年生まれ。慶應義塾大学卒業後、文藝春秋入社。週刊文春、Numberなどに在籍したのちフリーに転向。本書は「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュギャルズ」「1993年の女子プロレス」に続く「19○○年の××」シリーズ第4弾で、ジャイアント馬場(1938~1999:享年61)の評伝である。

筆者もそうだが、多くの人にとってジャイアント馬場のイメージとは、薄い胸板に細い手足、そして緩慢な動きだろう。40代以上の男性なら一度は子どもの頃、「アッポウッ!」とふざけた事があるのでは。
(筆者より若い世代では、ジャイアント馬場は長嶋茂雄と同じく「関根勤のものまねでしか存在を知らない」という者も珍しくない。)
本書ではそんな、「凡庸な大男」的な馬場のイメージを、アスリートとして、そしてインテリジェンスの観点から鋭く考察したものである。
詳述はしないが、詳細かつ膨大なデータから、ジャイアント馬場は恵まれたフィジカルと運動神経、そして明晰な頭脳を持つ一流アスリートであることを論証している。
タイトルの「1964年」というのは、馬場がアメリカ遠征中にトップヒール(悪役レスラー)として活躍していた年である。デビューからわずか5年にして、キラー・コワルスキーやブルーノ・サンマルチノといったアメリカの一流レスラーと死力を尽くして戦っていたのである。
写真1にある本の帯の惹句「かつてアメリカにマツイよりもイチローよりも有名な日本人アスリートがいた」はやや大げさだが、1960年代初めのアメリカン・プロレスは今より遥かにビッグビジネスであり、実際、1964年に馬場がグレート東郷(当時、馬場のマネジメントをしていた)から提示されたギャラは年間27万ドル。現在の貨幣価値に置き換えると5~6億円以上と思われ、野球で言えば、田中マーくんには及ばないものの、MLBでこれだけ稼いでいる日本人がどれほどいるだろうか。言わんやプロレス界においては、である。(結局、1964年をもって帰国。力道山亡きあとの日本プロレスのエースとなってのち1972年に全日本プロレスを創設したのはご存じのとおり)

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写真2:「1964年当時のジャイアント馬場」

写真2は1964年、26才の頃のもの。まず精悍な面構えが目を引く。そして我々が知る“ルパン三世のような体型”ではなく見事にビルドアップしている。特に僧帽筋の盛り上がりはどうだろう!
また本書後半では、良い面だけでなく、レスラー人生の晩節を汚した事もちゃんと書かれている。(年をとって“ショッパイ体”になってもエースにこだわったためジャンボ鶴田への禅譲が遅れ、結果、鶴田が大成しなかった事や、プロモーターとしても時代遅れの感性のため、常にライバル・新日本プロレスの後塵を拝した事など)
さらに特筆すべきは、1960年代当時のアメリカン・レスラーや試合パンフ、新聞報道など、掲載写真の充実である。これは恐らく、プロレスライターにしてルーテーズ研究家である流智美氏の協力が大きいと思われる。資料的側面でも十分、価値のある一冊と言えよう。
筆者が思うに、高名な総合スポーツ誌である「Number」出身の柳澤氏は、かつては、リアルファイトではないプロレスを少し軽蔑していたのでは・・・と思う。だが著作を重ねるにつれ、プロレスに対する理解が深まっていったように、筆者には感じるのである。
最後にそのことを窺わせる一節を本書からご紹介して(筆者の考えと重なる部分も多い)今回のレビューを終えたい。

「プロレスがリアルファイトではなく、観る者をパフォーマンスで魅了するエンターテインメントであることは本書でも繰り返し述べてきた。しかし、一流プロレスラーがいい加減な仕事をしているわけではまったくない。プロレスラーは真剣に戦っている。観客の興奮(ヒート)を得るために、全身全霊を打ち込んでいる。そうでなくては、人の心を動かすことは決してできない」

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2015.02.23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書

サフランまち歩き~昭和の特撮ヒーロー、旭川に降臨~

第56回・旭川冬まつりが2015年2月6日(金)から11日(水)にかけて開催された。前にも書いたが、冬まつりの楽しみの一つが「ステージイベントのゲストは誰か?」である。今年のパンフを見てみると・・・

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写真1:冬まつりパンフより「森次晃嗣スペシャルトークショー&上映会」

森次晃嗣さんではないか!

筆者たち、40代以上の中年世代にはお馴染み、ウルトラセブン・モロボシダンを演じた方である。
※1970年生まれの筆者にとって、正直「セブン」は“オンタイム”ではない。筆者的にダンと言えば、どちらかというと「ウルトラマン・レオ」のMAC(特撮につきものの“地球防衛隊”)における「ダン隊長」のイメージが強い。隊長室で一人、普段は引き出しにしまってある“今はもう使えないウルトラ・アイ”を悲しげに見つめるシーンを憶えている。

閑話休題(それはさておき)、冬まつりは昨年まで3年連続でトランスフォーマーとのコラボだったが今年はウルトラマンがテーマである。そのつながりでのゲスト出演と思うが、平成ウルトラマンのイケメン俳優などではなく、歴代作品の中でもクォリティ、人気ともにトップクラスであるセブン=森次さんとは見事な人選である。
これは行かずにはゆくまい。当日2月7日(土)午後5時。実はこの1週間、旭川は火、水、木曜日と最低気温はマイナス20度以下。
この地で生まれ育った筆者ですらかなり寒かったのだが、一転して当日は暖かく空も晴れ。スーパーヒーローには天気も味方の様だ。

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写真2:大雪像「ひかりの国からみんなのために」

大雪像の前には人だかりが。殆どが中年オジサン世代。筆者など若造の部類である。

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写真3:近くから見た大雪像

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写真4:右の人物が森次さん

小さく見づらくて恐縮だが、森次さんはオレンジのジャケットに黒いマフラーとダンディーな装い。御年71才だがとてもそうは見えない。
現在、藤沢市在住の森次さんは、実は旭川からほど近い北海道・滝川市出身。高校卒業まで滝川で過ごしたあと上京し、やがて俳優に。俳優としてブレイクするきっかけが24才で射止めた“ダン”役であった。お墓が江別市にあるため年に1回は江別市と札幌市を訪れるそうだが旭川はこれが初めてとの由。滝川と旭川は自動車で1時間ちょっとの近さなので少し意外である。
さて、肝心のトークショーだが、森次さんの飾らない気さくなトークはとても楽しかった。また、司会の若い女性が、ちゃんとセブンやレオのことも予習していて好感が持てた事も申し添えたい。途中、メトロン星人が乱入、森次さんがセブンになって(もちろんスーツアクトは別)撃退するなどの寸劇を挟んで上映会。

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写真5:大雪像がスクリーンに。

上映作品は先ほどのメトロン星人が登場する第8話「狙われた街」。ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで会話する、というシーンが有名だが、このシュールな演出を手がけたのは、映画、特撮ファンなら知らぬ者の居ない奇才:実相寺(じっそうじ)昭雄監督(故人)。
※ちなみに実相寺監督の作品で筆者にとって思い出深いのは、高校生のとき劇場で観た映画「帝都物語」である。

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写真6:必殺エメリューム光線が炸裂!

正味45分のトークショーはなごやかに楽しく、あっと言う間に終わった。最後には司会の女性を相手に、セブン最終話でダンがアンヌに語った有名なセリフ(あえて書かないので興味のある人は各自検索されたい。もちろん当ブログ編集長などは即座にそらんじて見せるだろう)を披露してくれ、大満足のひとときであった。

トランスフォーマーとのコラボは3年続いたがウルトラマンも来年以降続くのだろうか。だとしたら来年のトークショーは是非とも筆者的No1・「帰ってきたウルトラマン」の郷秀樹役、団時朗さんにお願いしたいものだ。上映会はもちろん、不朽の名作「怪獣使いと少年」を希望する。

2015.02.17 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン激辛グルメ~味の三平ふたたび~

旭川の人気ラーメン店・味の三平については当ブログ2013年6月18日付けでご紹介したところだが、久しぶりにあの激辛ラーメンを食べたくなったのと、店舗が神楽地区から神居(かむい)地区へ移転してから行っていないため、奥さんと二人で1年半振りに訪問した次第である。

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写真1:「味の三平」外観~市内の神居地区に移転後の新店舗。

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写真2:「三平・激辛ラーメン(お子様)「と「ライス(小)」

写真2の組み合わせは筆者の友人、「おーじろう氏」が教えてくれたもの。
久しぶりの三平激辛味噌。見るからに辛そうなスープに具は白菜、モヤシとシンプル。

すする。むせる。汗かく。
すする。むせる。汗かく。


ひたすらこの繰り返し。

写真2で伝わるか分からないが、とにかくスープの粘度が濃いので全然冷めずアツアツのままである。テーブル備え付けの水があっと言う間に減っていく。顔と首中に汗をかきながら、なんとか麺と具は完食する。
この激辛三平ラーメンの特徴は、「ただ辛い」だけでなく「独特の甘さ」がある点である。
この甘みはどうやって出しているのだろう。(「飴でも入っているのか」と言ったら奥さんに笑われてしまった)
切り盛りするのは女性二人。店主とおぼしき年長の女性はいつも短髪に豆絞り。キップの良い接客が心地よい。若い方の女性の接客もとても感じが良い。
また、旧店舗と比べて非常に嬉しい変化があった。不完全ながらも分煙がなされていたのである。
これも女性ならではの優しい心配りか。(こんなこと書くとジェンダー論者に怒られるかな)
 余程、筆者が辛そうな表情をしていたのだろうか。帰りしなに店主が「大丈夫?」と聞いてくれる。「ええ、なんとか・・・」と答えるもヘトヘトで家路についたのだった。

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写真3:夜の道道90号線

写真3は三平が面する道道90号線。
昔はこの道路を道なりにまっすぐ走ると、今は無き旭川競馬場の前を通った。そのため市民は「競馬場道路」なんて呼んだものである。今、道なりに走ると旭川の外縁をグルッと1週するので「環状線」と呼ばれる。(もちろん、競馬場跡へ抜けることも出来る)

さて、市外の方のためにご説明すると、「神居地区」は旭川の南西一帯エリアである。
この地区の歴史は古い。
明治23年、上川地方に旭川、永山(ながやま)、神居の三村が設置されたのがその始まり。
以後、昭和30年に江丹別(えたんべつ)村と一緒に旭川に編入され、現在に至る。(永山は昭和29年に“町”に昇格後、36年に編入)
ちなみに「かむい」の語源は(ご存じの方は多いと思うが)アイヌ語で「神の様な存在」を意味する言葉から。和語の「かみ」とほぼ意味が同じで、かつ語感が似ているため「神居」の漢字があてはめられたのは想像に難くない。(二つは同一語源とする説もあるが定かでない)
ちなみに「永山」の由来は二代目・北海道庁長官の永山武四郎からとったもの。「旭川」については諸説あるのだが、これは長くなるので別な機会に譲りたい。

前回記事で、一時期、評論家のT村K一氏(「だぁいたいやねぇ」のフレーズと独特の髪型&くわえパイプが印象的だった。彼の姿も「昭和の残像」のひとつかもしれない。)が“旭川改称論”を唱えていたと書いたが、その時、氏が新名称として提唱していたのが確か「カムイ」だった・・・と記憶している。(この辺、あまり定かではない。間違っていたら申し訳ない)

「カムイ市」・・・・悪くはないと思うが、やはり違和感を禁じ得ない。なぜなら、物心ついた頃から慣れ親しんでいる「あさひかわ」がやはり筆者には愛着があるからだ。

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写真4:威風堂々たる永山武四郎像(常磐公園内)

2015.02.09 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフランまちあるき~冬まつり&オリンピック展~幻の五輪に思いをはせる

 当ブログでもお馴染みの「旭川文学資料館(旭川市常磐館=旧・青少年科学館内)」で企画展示として「冬まつり&オリンピック展」が開かれている。
 今年で56回目を迎える旭川冬まつりと、5年後に東京開催を控えたオリンピックに関する、古い資料を展示したもの。ちょうど市内中心部へ行く用事があったので、入場無料ということもあり寄ってみた。


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写真1:旭川市常磐館外観

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写真2:冬まつり&オリンピック展

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写真3:オリンピック展示ブース

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写真4:冬まつり展示ブース

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写真5:第18回冬まつりポスター
 
冬まつり、オリンピックのどちらも、古いパンフやポスター、グッズなど数々の資料が、非常に良い状態で展示されている。どなたの所蔵物か表示が無いので分からないが、物もちの良い人がいるものだ。写真5の第18回冬まつりといえば36年前!筆者が6才の頃である。ポスター下部の可愛い男の子は筆者・・・・・なワケない!!
「冗談顔だけにしろよ!(byゲイリー・コールマン)」

とても懐かしい思いで展示を見ていると、あるポスターが筆者の目を引いた。
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写真6:オリンピック招致ポスター

古くからの旭川市民ならご存じと思うが、1980年代中盤~終盤にかけて、市民が一丸となって冬期オリンピック招致活動を展開したのである。
写真6は当時、市内の至る所で見られたポスター。フィギュアスケートの衣装を着た美少女が微笑みかけるインパクトの強いもので、印象に残っている人も多いのでは。

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写真7:国内選考の落選を伝える昭和63年6月2日付け新聞報道(日刊・旭川新聞:当時)

名乗りを挙げたのは旭川を含め4市。国内選考を勝ち抜いた長野市が1998年の冬期五輪開催を射止めたのは皆さんご存じのとおりである。
落選決定のとき筆者は高校生だったが、当時の坂東市長(故人)がテレビインタビューで「雪質は日本一なんです!」と涙ながらに訴えていたのを良く憶えている。

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写真8:“まぼろしに終わった旭川五輪”招致の旗

1時間くらいかけてゆっくりと観たあと常磐館を後にする。天気が良かったので石狩川河川敷まで少し足を伸ばしてみた。

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写真9:作成中の冬まつり大雪像

休日(1月24日・土)なので数名の隊員が作業を行っているだけである。雪像にかかっている黒いものは遮光(しゃこう)ネット。冬まつりの雪像は市内の除排雪した雪を利用していて、南に面した大雪像は天気が良いと表面が溶けて汚れた地肌が現れてくる。そのため遮光ネットは必要不可欠である。
大雪像は2012~2014はトランスフォーマーをモチーフにしたが、2015はウルトラマンとのコラボ。期間中は多くの家族連れで賑わうのだろう。
筆者は、以前の部署で冬まつりの準備・運営に携わったことがあるので、この大雪像造りなどにどれだけの人々の労苦が費やされているのか理解しているつもりだ。
深夜(というより明け方か)に防寒着を着て旭橋のたもとで震えながら車両誘導の手伝いをした日々が脳裏に去来する。

さて、歴史に「If」は禁物だが、もし「1998・旭川五輪」が実現していたら、どうなっただろう。
バブル崩壊後とはいえ、まだ体力のあった時代。競技場、宿泊施設、道路、橋などインフラ整備は大分すすんで街なみも今とは若干、変わったものとなっていただろう。
そしてもう一つ、5音節の「アサヒカワ」は外国人に発音しづらいため、市の名前が変わっていた可能性も否定できない。(「バカな」と一笑に付す方もいるかもしれないが、五輪開催のためなら十分、あり得たと思う。一時期なぜだか本市に食いついていた評論家のT村K一氏も「大体やねぇ、」と前置きしたかは分からないが、旭川の改称論を唱えていたのを憶えている。)

そう考えると案外、五輪が長野で良かったのかも・・・なんて思ってしまった。(なんと言っても筆者は、生まれ育った“旭川”に愛着があるのである)
冬まつり&オリンピック展は2月14日(土)まで開催されている。期間中は冬まつりも重なる(2月6日~11日)ので興味のある方は立ち寄られてはいかだだろうか。

2015.02.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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