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サフランひとり呑み~聖地巡礼その2~すえ富

 HBCで月1回、日曜日の午後に放送されている「吉田類・北海道ぶらり街めぐり」というテレビ番組をご存じだろうか。類さんがHBCの女子アナと一緒に道内の街を巡り、番組後半は居酒屋で地元のご常連とともに楽しく呑む、というものである。
 毎月楽しみに見ているが、去る9月28日(ちょっと前で恐縮)ついに旭川編が放送されたのである。そのとき類さんが訪れた店に、忘年会がてら奥さんと訪れた次第。(なので正確にはふたり呑み)12月18日(木)、6条通1丁目、店名「すえ富」。当ブログでの“類さん関係”聖地巡礼ネタは今年5月13日付、稚内市の「ルパン」以来。久しぶりの酒場ネタである。

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 写真1:「すえ富」外観。歴史を感じさせるシブい味わいだ。

 酒場放浪記の冒頭風に言うと・・・

 「ターメリックマンです!今日はネ、旭川に来てますネ、旭川にはネ、さんろく街という道北一の歓楽街がありますが、ここはちょっと外れにありますネ、なんかディープな感じがしますが・・・、では入ってみます!」

 店内は外観と同様に歴史を感じさせる風情。(店内写真は忘れてしまった。ご勘弁を)カウンターと小上がりが2席。奥に座敷もあるようだ。振り子式の壁掛け時計が「ボーンッ、ボーンッ」と鳴り、ビックリする。実家にあったのを思い出す。お店を切り盛りするのは60代半ばとお見受けするご主人と奥さん。6時30分に訪れたのだが既に常連さんで満員状態。予約して正解だった。
 飲み物の注文のあと、料理を迷っているとご主人が「お任せで八品作りますが?」。筆者も奥さんもあまり食べられない旨伝えると「では美味しいものを何品か」と嬉しい一言。

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写真2:「ビールとお通し」

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写真3:「まずはお造り。葉の下には大トロが隠れている」

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写真4:「蟹の蒸しもの」

 イカンッ!!これでは「食べブログ」になってしまう!!お料理は他に、浜煮、かぼちゃを練り込んだ豆腐の冷や奴、自家製チャーシュー、“たち”入り茶碗蒸の計6品。
 いかにも“居酒屋然”とした店構えに比べ料理はとても繊細な味で、(殆ど行ったこと無いけど)料亭か日本料理店の様だと思った。
 収録時の類さんの様子など、色々お聞きしたかったのだが、忙しそうでとてもそんな雰囲気ではなかった。また訪れたときにゆっくりと聞いてみたいと思う。

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写真5:「酒場詩人の流儀:中公新書・780円+税」

 ここからは読書。番組テーマ曲の「BAD,BAD,WHYSKY(バッド・バッド・ウィスキー)で歌手デビューするなど、ますます絶好調の類さんだが、今度は新書界に殴り込みである。
 内容は地方紙(新潟日報と北海道新聞)に連載したエッセイをまとめたもの。酒の話だけではなく、趣味の山歩きや高知県、仁淀川町(によどがわまち)での幼少時の思い出などにも多くのページを割かれている。また、新潟日報の連載開始が2011年、ちょうど東北の震災に重なり、当時の著者の心境を綴ったものが多く興味深い。そうは言っても、基本的には軽い内容で、類さんの本らしく一杯のみながら気ままに読むのに最適な一冊である。
 ただ、本について難点が。これは他の中公新書も同様かもしれないが、不要なルビが多すぎる。ためしに本書2ページの中から抜粋すると(たった1ページ分だけだよ!)「土佐(とさ)」、「幽か(かすか)」、「彼方(かなた)」、「山間(やまあい)」、「蝶(ちょう)」・・・こんなものにルビが必要かねえ・・・。というより、ルビなどよっぽど読解困難な固有名詞以外、必要ないのである。
 なにより、行間にルビがゴチャゴチャあっては見た目が醜い。美しくないものを作ってすましていられる神経が筆者にはどうも分かりかねる。中央公論新社の見識を質したい。

 さて、年内の更新はこれが最後。(早いものである)
 来年も頑張って更新して行くので、いつも書いているが「ヒマでしょうがないときのヒマつぶし」と思ってお付き合いいただければ幸いである。では良いお年を!

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2014.12.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 酒場放浪記

サフラン激辛グルメ~アジア金星堂

 追悼・原 一平さん

 2014年12月12日(金)、マスコミはタレントの原一平さんが12月4日に亡くなっていたと報じた。脳梗塞による後遺症が悪化したとのこと。76才だった。
 「誰?」という人もおられるかもしれないが、“寅さんの物まねの人”と言えばお分かりいただけると思う。
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なぜこの訃報を当ブログでお伝えするかというと、原さんは筆者の高校の大先輩だから。あの高校の出身者のなかでは数少ない芸能人(というより原さん以外に思いつかない)だからである。
寅さんの物まねをする芸人は他にもいるが、原さんは故・渥美清さん公認であり、トランク、帽子、腹巻き、お守りの“寅さん4点セット”は渥美さんから“公認の証”としていただいたのだそうだ。
時を近くして亡くなった高倉健さんや菅原文太さんのように、誰もが知る主役級の芸能人ではないかもしれない。だが昭和芸能史のうえで欠かせない芸人がまた一人逝ったことは本当に残念でならない。偉大なる先輩の逝去に対し、心から哀悼の意を表する。

 さて、例によって土曜日は奥さんが仕事。子どもが居ないとどうも外食が多くなるようで、夕食に訪れたのがこちら。

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写真1:アジア金星堂外観。ちなみに写真は昼に撮ったもの。

 他の多くのブロガーさんも書いているが、かつて永山駅の近くにあった「寝釈迦(ねしゃか)」という店が名前を変え、新旭川地区に移転したのである。
 寝釈迦は「タージマハール」や「インド」とともに、旭川の「アジアンカレーの“はしり”」だったと記憶している。(サフランマン生誕の聖地「タージマハール」は随分前に旭川撤退、インドも今や緑が丘に1店を残すのみで、まことに寂しい限りである)
 筆者も「寝釈迦」時代、しばしば訪れていた。特に10年ほど前、永山の上川支庁(現・上川総合振興局)が勤務先だったときは同僚たちと昼食などによく利用していたものだが、移転後のアジア金星堂に来るのは初めて。久しぶりの訪問にちょっと緊張しつつ店内へ。

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写真2:店内の様子

 店内は様々な調度品により、「寝釈迦時代」よりもアジア・テイストに統一されている。全席禁煙なのがとても嬉しい。
寝釈迦時代と変わらず“ひょうひょうとした”風情のご主人に注文したのがこちら。

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写真3:筆者の注文した「ムルギー」

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写真4:「こちらは奥さんのキーマカレー、いかゲソ・トッピング」

 “ゲソ”と言えば先日の「ケンミンショー」でゲソ丼が旭川の地域グルメとして紹介されていた。イマイチ(と言うより全然)パッとしない「しょうゆ焼きそば」よりずっと地元B級グルメとしてプッシュしたら良いと思うのだが読者諸賢はいかがだろう?
 
閑話休題(それはさておき)、久しぶりに寝釈迦、いや、アジア金星堂のカレーを食べてみる。井之頭五郎風に独白すると・・・
 「これだよ~~!これ、これ!この味だよ~~!」90年代に入り、それまで定食屋系・業務用○ーモントカレーしか食べたことの無かった筆者がインドや寝釈迦などで初めてアジアンカレーを食べたときのことは忘れられない。「世の中にはこんなものがあるのか!」と衝撃を受けたものである。その後、現在に至る旭川のカレーシーンは、90年代半ばからの札幌スープカレーの爆発的な台頭により、奥芝商店、クッテミレールに代表される札幌スープ系、米米亭やアンクルペパリーなどのスパイシー・ルーカレー系、そしてインドやアジア金星堂などのアジアン系が群雄割拠する、まさに“三国史状態”といったところか。
 ところで、このアジア金星堂、お店の特徴が一つあって、それは「注文してから出てくるまで、やたらと時間がかかる」ということ。
 より美味しいカレーを提供するために事前の作り置きは極力避けて、出来るだけ注文の後に調理を始めているのだろう。今回は空いていたので15分位で出てきたが、少し混んでいると1時間コースはザラである。
 あと、調理から配膳、その他もろもろ全てご主人一人でやっているのも遅い理由か。確か昔は、奥さんと思しき女性と二人で切り盛りしていたはずである。その女性の姿が見えなくなったのが、丁度筆者が上川支庁にいた10年位前のこと。同僚達と「逃げられたのかな?」なんて話をしたのも懐かしい。
※注:もちろんこれは筆者たちの“根も葉もないたわごと”である。

最後に、冒頭に記した原一平さんについて少し。
もうかれこれ7年前、筆者たち平成元年卒業生が高校の同窓会の当番期をつとめた年。他の高校は知らないが、筆者の出身校は8月の同窓会の実行委員会を前年の10月頃に立ち上げる。そして実行委員の最初の大きな仕事が、手分けして年末年始の先輩たちの忘・新年会に伺い、同窓会のPRをすることである。そのPRは二人一組で(昔の熱湯コマーシャルをイメージいただきたいが、若い人には「?」だろうか)一人がポスターを持ち一人が同窓会への参加を呼びかけ、許されればその場でチケットやグッズを売りまわる、というもの。そして筆者が受け持った中に原さんの期があったのである。PRが終わり一人一人の先輩にチケット販売。順番に席を巡り、ついに筆者の前には原さんが。普段、芸能人に接することなどなく緊張しつつお願いしたところ「当日参加できるかどうかは分からないので」ということで、快くグッズをお買い上げいただいたことを憶えている。当番期は大変だったが、そんなことも良き思い出である。
原さんのご冥福を心からお祈り申し上げる。

2014.12.15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン回想記~NHK杯の思い出


 先日まで大阪でフィギュア・スケートのNHK杯が開催されていた。テレビなどで見た方も多いと思う。次から次へと新しいスターが現れ、国際大会でも常に日本人がトップを占めるフィギュアは今や我が国きっての人気スポーツと言えよう。NHK杯に合わせた訳ではないだろうが、12月2日(火)放送のTBS系「マツコの知らない世界」のゲストはこの人だった。

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 写真1:MCのマツコ・デラックスとゲストの伊藤みどりさん。マツコは伊藤さんに心酔している事を日ごろから公言している。

 テレビ解説などにあまりお呼びがかからないため若い人には馴染みが薄いかもしれないが、ほぼ同世代の筆者にとっては、まさに同じ時代を生きたヒロインである。“あまりお呼びがかからない”理由は筆者が思うに「ビジュアル面でのキツさ」と「テレビ出演時の振る舞いや言動の品の無さ」あたりか。(伊藤さん、ごめんなさい!)
 
フォローにならないかもしれないが彼女のジャンプは本当に凄かった!今でこそ女子も4回転を飛ぶ時代だが、見た目の凄さは今の選手の4回転よりも伊藤さんの3回転の方が上だと筆者は思っている。
 普通の選手のジャンプは少し腰を沈めた、つまり“タメた”状態から、縮めたバネが跳ねる様に飛ぶのだが、彼女のジャンプにはそれが無い。“フワッと浮かんだ”と思うと“クルクルクルッ”と回転してまたフワッと着氷する。身長150センチあるかないかの彼女が、まるでゴムまりの様に、誰よりも高く飛ぶのだ。筆者は未だかつて彼女以上のジャンプを見た事が無いし、今後も無いだろう。今はネット動画という便利なものがあるので一度ご覧いただけば、筆者の言いたい事が良く分かってもらえると思う。(筆者がもっとも好きな演技は88年、カルガリー五輪でのフリー。全てのジャンプを終えた後のガッツポーズが印象深い。)

 さて、その伊藤さんの全盛時の滑りを筆者は一度、生で見ている。たしか1990年の暮れ、NHK杯が旭川で行われることになり、ネットやローソンチケットなど無い当時、寒空の下、NHK旭川放送局前の行列に並び二枚のチケットを入手したのだった。
 チケット二枚の理由は、当時憧れていた年上の女性をデートに誘うためである。
 
(フィギュアだけに)話はいきなり当日に飛んで、いよいよ女子シングル・フリー。伊藤さんの小柄な姿がリンクに現れるだけで会場内は大歓声の嵐。遠目に分かるほど圧倒的なオーラを発していた。肝心の演技の方も次々とジャンプを決め、結果、貫禄の優勝だった。
 えっ?デートの結果はどうだったって?それが「麗しの君」は、来るには来てくれたのだが、予定があるとかで途中(確か男女ペアの辺り)で帰ってしまい(これで筆者がどの程度に思われていたか良く分かるだろう)、後半は偶然会場で出くわした友人と一緒に観たのである。
その女性とはその後も何度か、デートに誘い出す事は成功するものの進展は全くなし。しばらく後に、苗字の変わった「結婚しました・ハガキ」が届いたのだった。(T-T)
 
そのNHK杯から1年と少し後のアルベールビル五輪。伊藤みどりさんが女子として初めてトリプルアクセルを飛び、見事、銀メダルを獲ったのは皆さん良くご存じのとおり。
 「マツコの知らない世界」で久しぶりに彼女の顔を見ていたら、ついそんなことを思い出してしまった。今にしてみれば良い思い出である。

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写真2:会場となった旭川市大雪(たいせつ)アリーナ。今ではほろ苦い思い出が残るだけだ。

2014.12.08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

またひとつ消えゆく名店~まる八~

 当ブログは激辛、読書、テレビ、まち歩きなど、いくつかのコーナーがローテーションする形にしている。
 そんなコーナーの中で、なるべくやりたくない、というより「“お題”が出来て欲しくない」というのがこの「かつてあった懐かしの飲食店」コーナーである。
 
※「だったら、やらなきゃいいじゃん」という声が聞こえてきそうだ。ごもっともだが、そもそも当ブログは2年前に筆者が、かつて9条8丁目にあった「牡丹園」という中華食堂の思い出を書き綴って編集長:マッサマンに送ったところから始まったのである。つまり「当ブログのルーツ」とでも言うべきテーマなので「やらないのもいかがなものか」といった感じなのだ。
 
最後にこれをやったのは、ほぼ1年前「そね食堂」の閉店を伝えたものだが、再度の掲載は真に残念な次第。
 さて、先日、買物公園のマルカツ地下に行ったところ目にした光景がこちら。

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 写真1:マルカツ地下。“まる八”があったところは既に石膏ボードで覆われている。ポツンと1台、取り残されたカートがものがなしい

 まる八とは「ニバ~イ!!ニバ~イ!!By ジェシー・クハウルア(本名)」・・・・ではなく、八条はま長は別格として、市内のそば屋では筆者が一番好きだった店である。(これまたわかる人の年齢がバレる昭和ネタだが)
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写真2「ニバ~イ!!ニバ~イ!!」之図

 以前は昭和通りに面した8条6丁目、今「竹八」というレストランがある場所にあった。
 そこにあった頃は昼休みに良く通っていたものだ。マルカツ地下に移ったのは10年位前だと思う。移転の理由はやはり“儲からない”とのことで、ご主人曰く「あの職場から通って来てくれるのは“お宅(筆者のこと)”くらいだよ」との由であった。

 やぶ源(これもかつて6条10丁目にあった名店。その跡は一度「庵奈」というそば屋が入ったが同店が豊岡に移転して以来、空家状態である)で修行したご主人の作る蕎麦は真っ白な更級系。ぶっかけそばが人気メニューで、他の人のブログなどを見ると「エビ天ぶっかけ」をオススメしているが、筆者のイチオシは何と言っても「キス天ぶっかけ」である。
 カラッと揚がったキス天は中が「フーワリ」として正に絶品であった。(と言ってももう食べられないのだが)
 マルカツの地下に移転してからは行く回数はグンと減ったが、それでも難しい仕事を終えた後などには足を運び、美味しいそばを食べつつご主人と昔を懐かしんだものだった。
 そのご主人はまだまだお元気そうだったので、今回の閉店には大変驚かされた。急に体調を崩されたのだろうか?「もっと行っておけば良かった」と残念がっても後のまつりである。

 ※店主は、「元気なうちに一線を退く決意を固めた」とのことで、今後は一般向けの「そば打ち教室」などで講師を務めたりして、良質なそば技術の啓発・伝承に力を注ぐ考えもあるという。(編集長注釈)

ちなみに1条25丁目、厚生病院の向かい辺りにも同じ「まる八」というそば屋さんがある様だ。何か関連があるのか、機会があれば訪ねてみたいと思っている。

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写真3:マルカツ外観

マルカツも買物公園の中ではすっかり“古株”になってしまった。運営会社(東栄グループ)の経営破綻などありながらも頑張って続いていると思う。これからも「純地元」の老舗として買物公園を見守っていてほしい、と願ってやまない。

2014.12.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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