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サフラン銭湯紀行リターンズ~美瑛町・松の湯

・訪問日:平成26年3月29日(土) ・所在地:美瑛町西町1丁目

平成25年11月の「梅の湯の回」を最後としていったん終了した銭湯紀行であるが、必須訪問条件が「旭川市浴場組合加盟店で旭川市内にある銭湯」だった事を覚えておいでだろうか。なぜわざわざ「市内にある」としたかと言うと、旭川市浴場組合加盟店には近隣町にある銭湯が二つあったため、とりあえず必須条件から外したのである。
だが最近、暖かく春めいてきて雪解けもだいぶ進んできたので「旭川市浴場組合コンプリート」を目指してみる事とした。
3月29日は天気が良く、また、前日は定年退職者の送別会だったので、ドライブとアルコール抜きを兼ねて出かけてみた。
国道237号線を南に向けて走り、美瑛町にさしかかった所で左折。JR富良野線を過ぎて少ししてから今度は右折。美瑛町のメインストリートにあるのがこちら。

写真1:「松の湯」
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外壁に“1973”とあるのが創業開始年なのだろう。もっとも外壁のサイディングは昭和の終わりごろにリフォームしたと思われる。美瑛町に行けば分かるが、特にメインストリートに並ぶ建物の多くは外見を主にタイル張りやサイディングとし、統一的な景観としている。“丘のまち観光”だけでなく、市街地も魅力ある街並みを目指しているようだ。
さて、松の湯に入ってみる。

写真2:「待合室」
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番台にはやや無愛想なおじさん。漫画類はゴルゴ13、北斗の拳などの定番に加え松本零士の“銀河鉄道999”など懐かしい作品も。ジャフメイトがあるのは入会しているからだろう。暇な時は充分に時間つぶしできそうだ。脱衣室で服を脱ぎ浴室へ。

写真3:「浴室」
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ネットで調べた開店時刻(2時30分)の10分後に訪れたのだが先客4人。常連客の「お前、誰や光線」が無いのでゆっくりできそうだ。浴槽の構成は主浴槽(左)と泡風呂(右)、それにサウナとシンプルな構成。

写真4:「サウナ」
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まずは主浴槽へ。若干ぬるいが呑んだ翌日にはかえって心地よい。しばらく半身浴したのちサウナへ。サウナは乾式で充分な熱さだ。無料なのも嬉しい。
サウナで汗を流した後は体を洗い今度は泡風呂へ。主浴槽よりこっちの方が熱い。良く温まって浴室を後にする。
待合室でテレビを見ながら汗が引くのを待つ。写真2でお分かりのとおりテレビはお約束の日ハム戦。先発は斉藤佑ちゃんで結果はご存じのとおり、6回9安打4失点。新聞によればいったん一軍登録を抹消し二軍で調整するそうである。たった1試合の結果が芳しくなかったからと言って今シーズンの出来を云々できまい。昨オフは腕の故障を癒し、特にシュートに磨きをかけたそうだ。フォーク、スライダー全盛でシュートを放るピッチャーが少ない今、是非復活を遂げてほしいと筆者は思う。

話は変わるが旭川、いや、上川圏で少年時代を過ごした人に次の歌を聞かせてみると・・・

♪しら~か~ば~の~、♪はやしを~ゆけば~、

必ずこう返してくれるはずである。

♪とか~ち~だ~け~、♪くもまに~、よ~ぶよ~♪

ご存じ、美瑛町、白金にある、「国立大雪青年の家の歌」である。

旭川、上川圏で育った人なら、少なくとも中学と高校の2回は宿泊研修でお世話になるはずだ。
いや,上川圏ならずとも,北海道の高校の宿泊研修では常連の施設だったのだ。
(当ブログの編集長は石狩管内の高校出身だが,いまだにこの歌を3番まで諳んじているという。)

そして大雪青年の家の体験プログラムで欠かせないのが十勝岳登山(自信のない人は,少し低い隣の「前十勝岳」登山も選択可)である。
登山は午前からなので青年の家からお弁当を出していただけるのだが、中学の時のそれが、おにぎりとレトルトのハンバーグ。(まるしんハンバーグみないなの。どうやって食べるか疑問の人もいるだろうが、袋から押し出して直接かぶりついて食べるのである)
そして3年後の高校の宿泊研修、やはり黒岳登山があり、お弁当も全く同じ。心中「またこれかい!?」とツッコんでしまったのも実に良い思い出である。

今,大雪青年の家は「大雪青少年交流の家」に名前を変え,指定管理者制度などを活用したスマートな施設に衣替えしているため,かつてのような「毛布の折り目が合わないとやり直し」「飲酒はおろか,規定の時間帯以外でのお菓子も禁止」などの「鉄の規律」はなくなってきているらしい。

機会があれば,大人になった「かつての青少年」達で一泊してみるのも楽しいかもしれない,と思うのであった。

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2014.03.31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフランまちあるき~常磐公園・ふたたび~

以前にも常磐公園界隈の旧施設(図書館,体育館等)や公園名の由来などについて取り上げたが、筆者にとって常盤公園は「地元」そのものであり、ここでの思い出も数多い。
題材として再度取り上げることをお許し願いたい。

先日来、常磐公園内にある旭川文学資料館(旧・青少年科学館内)で「広告ポスターとチラシ展」が開催されていたが、今日(2014年3月22日・土)が最終日。
奥さんと子供が不在で、たまたま天気も良かったので行ってみることにした。

写真1:展示室へ続く廊下には昔の映画の新聞広告が。コアな映画ファンにはたまらないのでは
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写真2:会場内。所狭しと陳列されたコレクションの数々
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この展覧会、市内在住の郷土史家である百井(ももい)さんという方が長年に亘って集めた新聞広告やチラシ、ポスター、タバコなどが展示されている。後述するが「よくもまあ、こんな物までとって置いたなあ」と思わず感心してしまう程の“物もちの良さ”である。(筆者も百井氏のことは個人的に存じ上げている。)

写真3:「日本のまつり旭川」のポスター
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今年の3月3日付でご紹介した、1990年「旭川市開基100年記念イベント・日本のまつり旭川」のポスターである。懐かしさに思わず見入ってしまった。見づらいかも知れないが右列の上から3番目、「陣」の文字のところにあるのが、筆者がお世話させていただいた「石川県・御陣乗太鼓(ごじんじょたいこ)」である。

写真4:イトーヨーカ堂・旭川店オープン時の新聞折り込みチラシ
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1980年7月1日、イトーヨーカ堂旭川店のオープンの時の新聞チラシ。まあ良くこんな物とって置いたものだ。この頃のことは良く覚えている。(筆者は小4)ヨーカ堂の出店は中央、大成、朝日地区の買物地図を一変させた。筆者宅でもそれまで買物は市場、個人商店、それらに無い物は買物公園のデパートで済ませていたがヨーカ堂出店以降はほぼ90%以上、そこで済ませるようになった。(それを考えると未だに粘り強く続いている「銀座通り商店街」の頑張りは素晴らしいと言わざるを得ない)

写真5:「入浴マナー向上啓発ポスター」
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発行は「旭川連合衛生組合」とある。今の浴場組合の前身なのだろう。見づらいかも知れないが右が悪い例で左が良い例。悪い例を見ると“浴槽内で体を洗っていたり”、“洗濯していたり”、右下では“ガキに放尿!させたり”と、本当にこんな奴ら居たんかい?とツッコみの一つも入れたくなるが、まあ不心得者はいつの時代にもいるのだろう。
(稚内では、これとほぼ同じ内容のポスターがロシア語で作成されている。)

写真6:市内の様々な店舗の「マッチ」
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百井さんは中々の愛煙家と見えてタバコ関連のコレクションが豊富である。写真のマッチの外にもタバコのパッケージや広告チラシが沢山陳列されていた。
今はマッチそのものを見かける機会が減ってきた。十代の連中の中には「マッチを見たことがない」「マッチって何?」という輩もいるのではないだろうか。

写真7:「宮崎美子さん」
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テレビの“なつかCM企画”などで必ずと言って良いほど放映されるので若い人にもお馴染みかもしれない。(もちろん筆者はオンタイム)
「♪今の君は~♪ピカピカに光って~♪」の例のアレである。
宮崎さんはこう見えても熊本大学法学部の才媛。それまでの定説だった「バストの大きい女性は頭が悪い」を覆した彼女の功績は大きい。(何、言ってんだ、俺は)
いわば「グラドル」だった彼女が、今は朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」で祖母役を演じているのだから、このような展示の題材になるほど時が流れた、ということなのだろう。

とまぁ、ざっと駆け足でご紹介したワケである。紙面の都合もあるのでこれ以上は割愛するが、まだまだこんなものでは伝えきれない。当ブログでは通常こんなとき「興味のある方は一度ご訪問されては」的な形で締めているのだが、悲しいかな今日が最終日。もし文学資料館ご関係の方が当ブログをご覧になっていたら(可能性は低いと思うが)再度、開催されることを是非ご検討願いたい。(筆者もまた見たいので)

文学資料館に1時間ほど居たらちょうどお昼時。
空腹を覚えた筆者が常磐公園をぶらぶらと横切って訪れたのが5条通り4丁目にある「ときわ市民ホール」。15年ほど前になるが、筆者は4年間、同ホールの中が勤務地だった。
そのとき良く昼食や残業時の夕食に利用していたのがこちら。

写真8:レストラン:“りっか亭”
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市民ホールに隣接する施設「サン・アザレア」にある。家族経営のアットホームなお店だが、何より特筆すべきは威勢の良い(というか“良すぎる”)おかみさんであろう。
かのサフランマン氏も絶賛するおばちゃんのキャラクターは今も健在だ。
今回久しぶりに訪れたのだが筆者の顔を憶えていてくれた様で嬉しい限りである。
定食、ラーメン、カレーなど一通りのものはあるが、筆者がダンゼンお薦めするのがこちら。

写真9:ルースー丼:600円
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メニューにはカタカナ書きだが恐らく「肉糸丼」だろう。細く切られた豚肉、筍、玉ねぎとスクランブルエッグがやや甘めのタレとからんだ一品でまさに絶品である。常磐公園周辺で食事をされる機会があれば一度お試しあれ。(ただ市民ホールや勤労者福祉会館で大きな催しがあるときは、昼時は大変混雑すると思うのでご注意いただきたい。)
 (考えてみれば、市民ホール内で勤務していた頃、筆者の子供は0~4才だったのだが、その子供がこの春から大学生である。毎度、当ブログで言っているが、時間の経つのは本当に早いものである。)
 ルースー丼はボリュームも満点。空腹を満たして久しぶりに懐かしい思いに浸ってしまった。
 
 大相撲大阪場所は、3月23日(日)で千秋楽を迎えた。詳しくは前回記事をご覧いただきたいが、新進気鋭の若手力士、遠藤が見事勝ち越し三役昇進を果たして四股名「清水川」を襲名できるか、と記事を終えたところである。
 では遠藤の成績はと言えば、残念ながら6勝9敗の負け越し。上位陣との対決が続き仕方ないとはいえ、やはり序盤の連敗が響いたようだ。だが、まだ若い遠藤ならいつかは三役入りを果たしてくれると信じている。益々の精進を期待したい。
 そして遠藤と同様に今場所、好角家の注目を集めていたのが“綱とり”のかかっていた大関・鶴龍(かくりゅう)。結果は皆さんご存知の通り14勝1敗で見事優勝。場所後の横綱昇進は確実である。
 それにしても朝青龍以降、白鵬、日馬富士、鶴龍と4人の横綱は全てモンゴル人である。筆者は決して人種的偏見を持たないが、それにしても一体どこの国の国技だよ、と言いたくなる。日本人力士の奮起を強く望むところである。

 ところで「鶴龍」という四股名を聞く度に、筆者など40代の昭和プロレスファンはある連想をしてしまう。
 かつて全日本プロレスで活躍した「鶴龍コンビ」とか「鶴龍タッグ」と呼ばれたものである。
 これは未だに現役で「ミスター・プロレス」と言われる天龍源一郎とジャンボ鶴田(故人)のタッグチーム名なのだ。
 「鶴龍コンビ」で一つ笑ってしまった事があったので最後にご紹介して記事を終えたい。

 あれは80年代半ばのことだろうか。テレビマッチだったので大会場でのビッグマッチだったと思う。試合は鶴龍コンビと、当時ジャパンプロレスとして全日本プロレスに参戦していた長州力と谷津嘉章とのタッグマッチだった。
 先に入場したのは長州組。アナウンサーは「長州力、専修大学、レスリング部出身!谷津嘉章、日本大学、レスリング部出身!」とアナウンス。
 次いで入場の鶴龍コンビ。アナウンサーは今度は「ジャンボ鶴田、中央大学、レスリング部出身!」とアナウンス。ここで筆者はギクッとした。なにしろ天龍は中学在学中に角界入りしているはず。大学はおろか高校にも行っていない!さあ、どうするアナウンサー!
 そんな筆者の心配をよそにアナウンサーは声高らかに言ってのけた。

 「天龍源一郎、今日も元気です!」

 恐らく日本中のプロレスファンがズッコケただろう。それにしても“今日も元気です”ってアンタ。
「二所ノ関部屋出身です」とか他にも言いようがあったろうに。テレビの前で大笑いした事を今でも覚えている。
(もっとも、天龍本人にとっては、角界を去るきっかけになった「二所ノ関問題」のゴタゴタが想起される部屋の名前は、出されない方が良かったのかもしれないが。)

2014.03.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン激辛グルメ~「尻から赤い彗星!」・3倍辛いシャアザクカレー


 先月(2014年2月)末、ちょっと用事があって5日間ほど奥さんと子供が千葉県に行ってきた。そのついでに寄って来たのがこちら。

 写真1:幕張にある「ガンダムカフェ」
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 ガンダムカフェは全国にいくつかあるが、ここ千葉のそれはジオン軍をモチーフにしているそうだ。なので入り口でお迎えしてくれるのは「シャア専用ザク」というワケ。

 写真2:奥さんが食べたカレー。ご飯がザクヘッドの形をしている
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 そして留守番の筆者に奥さんが買ってきてくれたお土産がこれである。

 写真3:箸とマドラー
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 箸は「ガンダム名セリフ箸」。左側に「勝利の栄光を君に!!」とあるのがお分かりか。シャアがザビ家の末弟・ガルマに送った言葉である。“ガルマがらみ”では他にも「坊やだからさ」や「君が悪いのではない!君のお父上が悪いのだよ!」(細かい言い回しが違ってたらごめんなさい)などがあるが、あえてこれを選んだセンスに敬意を表したい。
 マドラーは最近筆者が1日の締めにレモン酎チューハイを好んでいるので。そして今回の目玉となるお土産がこれ。

 写真4:「3倍辛い」シャアザクカレー
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 面白いのでしばらく食べずに置いていたのだが奥さんと子供が居ない夜、満を持して食してみることにした。他に用意したのは・・・

 写真5:インスタントのご飯と赤ウインナー
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 写真6:筆者もご飯をザクヘッドの形に盛ってみる。赤ウインナーは顔の横のパイプに
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 写真7:カレーをかけたところ
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 色からして辛そうだ。実はレトルトパックを開けた瞬間に実にスパイシーな香りが筆者の鼻腔を刺激したのだった。大いに期待が持てそうだ。早速、食べてみる。
 「見せてもらおうか!連邦のカレーとやらの実力を!」(ってジオンだけど・・)

 スプーンでカレーをすくってみると思ったよりサラサラとしている。スープカレーと普通のルーカレーの中間くらい。一口、口に入れると最初はあまり感じないのだが、数秒すると強烈な辛味が襲ってきた。食べ進めるうちに、こめかみの辺りから汗が滴り落ちてくる。これは辛い物好きでも十分満足できる仕上がりだ。だが、ただ辛いだけでなくトマトの酸味がすごく効いていて、サラッとしたソースは北海道民の口に合うのではと思った。読者諸賢の中でガンダムカフェに行かれる方がおられれば是非一度お試しされることをお薦めしたい。(お土産には他に「ニュータイプ・バターチキン味ガンダムカレー」なる物もあるので、そちらも後日、実食レポートしたい)

 話は変わって連日盛況の「大相撲大阪場所」について。今場所も変わらず好角家の人気を集めているのは新進気鋭の若手力士「遠藤」である。(地元出身の「勢(いきおい)」と同じくらい、いや、それ以上か。なにしろ会場には「遠藤コール」が沸き起こるほど。大相撲の本場所で「コール」というのは筆者は初めて見る)
 
 以前、当ブログで遠藤の四股名について少し触れたのを憶えておいでだろうか。その時の記述を要約すると「同郷(石川県)の先輩・輪島に倣って本名のまま横綱になろうとしているのでは」と書いたのだが、先日、新聞を読んでいると遠藤の四股名は実はもう決まっているのだそうだ。
 その四股名は「清水川(しみずがわ)」と言い、大正から戦前にかけて活躍した大関のもので遠藤が籍を置く追手風部屋の歴史ある、由緒正しい四股名である。
 では何故すぐにでも襲名しないのかと言うと、三役昇進に合わせて襲名する予定なのだそうだ。
 つまり“必ずや三役になる”という決意の表れだと筆者は思った。その意気やよし、くれぐれも怪我にだけは気を付けて必ずや「清水川」を襲名し、やがては三役、とは言わず横綱まで登って欲しい。そう期待するのは筆者だけでは無いはずだ。

 なぜ「怪我にだけは気を付けて」と望むか。数年前、故・久島海の早すぎる訃報に接したとき(亡くなったときは親方だったが、あえてこの四股名で呼ぶ)筆者は故人が三役になっていなかった事に一寸驚いたのだった。(関脇はともかく小結には絶対になっていたと漠然とだが感じていたので)。そして一説ではあるが、あれほどの素材に恵まれた久島海が伸び悩んだ理由というのが、あるときの本場所の取り組みで立会い同時に旭道山から食らった張り手で失神してしまい、膝から崩れ落ちたのが原因で膝を壊してしまった、とのことである。(たしかその後、旭道山の張り手も禁じ手になったと記憶している)

 そして今場所、前頭筆頭の遠藤は勝ち越せば三役である。では今日(8日目)現在、遠藤の勝ち越しの望みはどうか。初日の大関・鶴竜戦を皮切りに横綱、大関との連戦で4連敗を喫するも、5日目に大関(とはいえ不調の)稀勢の里に勝利するとその後は2連勝。今日は同年代のライバル、エジプト出身の大砂嵐戦に勝利。遂に星を4勝4敗の五分に戻す。しかも序盤に横綱、大関と総当たりしたため勝ち越しの目は十分に残されている。今場所の結果についは次回の記事でお伝えできると思うので今から楽しみである。

 話は最初に戻ってガンダム。1979年の本放送開始以来、今年(2014年)で35周年を迎えるのだが実に息が長い。真偽は確かでないが未だにバンダイの売り上げの何割かはガンダム関連だとか、ガンダム専任の役員がいるだとか(文字通り“専務”だ)などの噂も、あながちデタラメとも思えない。
 筆者などはまさに、本放送開始からオンタイムでつぶさに見てきた世代なのでガンダムのこの「息の長さ」については後日考察したいと思っている。

2014.03.17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン一人呑み~“チューダー”片手に伝説の梁山泊に思いをはせる

追悼~ビル・ロビンソン

 新日本プロレスは2014年3月4日、イギリスが生んだ往年の名レスラー、ビル・ロビンソンさんがアメリカの自宅で亡くなっていたと発表した。75才だった、とのことである。

 日本では国際、新日本、全日本プロレスの3団体のマットに上がった。(もしかしたらインディー団体への参加があるかもしれないが、あえて無視する)
 ビリー・ライレージム仕込みのシュートテクニックに加え、ダブルアームスープレックスのような華麗な技でも観客を魅了した。今、主流のスポーツライクなプロレスを我が国に定着させた功績は多大である。
 日本での試合で有名なのはやはりアントニオ猪木との60分フルタイムドローに終わったNWFヘビー級選手権だろう。(猪木も自らのベストバウトの一つに挙げている)
 また2000年代初頭、旧UWFの宮戸氏が主宰する「スネークピット・ジャパン」で“高円寺のレスリング・マスター”として後進たちの指導にあたった事は記憶に新しい。
 また一人、昭和レトロの名レスラーが逝ってしまった。心よりご冥福をお祈りする次第である。

 さて、久しぶりの一人呑みである。筆者があまりにも「焼き鳥缶」を褒めるので一部の読者の間では「ホテイから何かもらっているんじゃないか」なんて話があるらしい(笑)が、筆者は“市の土木建設課長さん”では無いので、それは「下衆のカングリ」というもの。
 だが、いつもホテイやイナバでは面白くないので、今宵の一人呑みの“アテ”はこちら。

写真1:国分(株)缶つま・レストラン~厚切りベーコン・プレーン
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写真2:同じく国分(株)~ムール貝の白ワイン蒸し風
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 なんでも今、ちょっとした缶詰ブームなのだそうで、そのブームを前出のホテイやイナバと共にけん引しているのがこの「国分K&K缶つまシリーズ」である。値段はちょっとお高めだが今日(3月8日)、プライベートで結構、嬉しい事があったので奮発して買ってみた。

写真3:少し湯せんしてフタを開けたところ。厚切りベーコン
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写真4:同じくムール貝。アテに合わせる酒は今回はこれを用意する。
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写真5:焼酎とサイダー
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写真6:「焼酎をサイダーで割ってみる」之図
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これを見てピンと来た方は結構な漫画ファンである。そう、かつてトキワ荘に集った若き漫画家たちが愛した、その名も「チューダー」である。

 写真7:藤子不二雄A著“まんが道”より。「寺田ヒロオ氏(テラさん)が藤子不二雄A氏(我孫子素雄氏)に初めてチューダーをふるまうくだり」
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 まず“缶つま”だが、お値段の価値は十分にあると言えよう。ベーコンにしてもムール貝にしても、ちゃんとした器に盛って出されれば、知らなければ筆者には缶詰とは分からない。気になるお値段はどちらもドンキホーテで400円を切る位。次は定番のオイルサーディンでも試してみるつもりだ。
 またチューダーは酒呑みには若干甘いが、お酒の苦手な人なら味や“喉ごし”が丁度良いと思う。自分で作るので濃さも自由に調節できるのも良いだろう。(筆者は濃いめにした)写真7でテラさんが「夏にはこれが一番スカッとする」と言っているが、本当にそのとおりだと思う。漫画ファンならこれを飲みながらトキワ荘に思いをめぐらすのも良いのでは。
 こういった“缶つま”が流行るのも、リーマンショック以降の不況に伴う“家呑みブーム”が影響しているのだろう。筆者も若いときには毎週の様に居酒屋、スナックに通っていた。だが今、外で呑むのは年に3~4回くらいである。ただ“サンロク街”の衰退も深刻だという話も聞いている。今回の記事を書いて、これからの歓送迎会シーズン、久しぶりにかつての馴染みの店に顔を出したいと思った次第である。

 話を漫画に戻そう。“トキワ荘”という言葉自体を知らない人は少ないと思うが、詳しくない人のために、筆者の記憶の範疇内で捕捉したい。
 昭和30年代初頭、東京都豊島区、椎名町の1軒のアパートに未来の「手塚治虫」を夢見て多くの若き漫画家たちが集まった。その“若き漫画家たちの梁山泊”がトキワ荘である。
 もっとも1棟全てではなく2階なのだが、その面々の名前を挙げると、先述の寺田ヒロオさん、藤子不二雄さん(我孫子さんと藤本弘さん)、赤塚不二夫さん、石森章太郎さん、鈴木伸一さん、もりやすなおやさん、よこたとくおさん、水野英子さんである。藤子さん、石森さん、赤塚さんなど“知らない日本人は居ない”人も居れば、漫画ファンでなければ「誰?」という人も居るかも知れない。だが例えば水野さんなど、我が国の少女漫画の発展の礎となった方であるし、鈴木伸一さんは後にアニメを主戦場とされ、その発展に寄与された。ラーメンの小池さん、といえば分かりやすいか。

 トキワ荘そのものは1982年、老朽化のため取り壊され、今は跡地の近くに建物のミニチュアと記念碑が残されている。
 また、かつて住んでいた漫画家たちも多くが鬼籍に入ってしまった。今日現在(2014年3月)ご健在なのは我孫子さん、水野さん、よこたさん、鈴木さんを残すのみである。
 当時のトキワ荘の雰囲気については(若干のフィクションは混じっているが)我孫子さんの「まんが道」が良く伝わると思うので興味のある方はご一読されたら、と思う。(一部欠損はあるが中央図書館閉架書庫にあり)また、トキワ荘の若き漫画家たちが愛した松葉のラーメンはまだあるので、筆者も一度は味わってみたいと思っている。

 最後に冒頭のビル・ロビンソンさんについて一寸触れて今回の記事を終えたい。
 新日本プロレスから全日本プロレスに移籍して間もなくシングルマッチが組まれ、ジャンボ鶴田と引き分け、ジャイアント馬場には敗れた。
 つまりロビンソンと引き分けた猪木=鶴田と同格、馬場より弱い、というロジックを成り立たせたワケ。だが、ヨーロッパの実力者であるロビンソンが、まだまだ売出し中の鶴田と引き分けというのは変だし納得いかない。故人の事は悪く書きたくないが、ちょっと馬場さんの“ちっちゃさ”を感じてしまうエピソードである。(まぁ、それだけ当時の全日本プロレスと新日本プロレスの仲が悪かったという事なのだが)
 ちなみに後年、ビル・ロビンソンさんは人から「なぜ馬場なんかに負けたんだ?」と問われた時に、こう答えたと言われる。
 
「たしかにババと私が戦えば10回のうち9回は私が勝つだろう。つまりあの試合はその10回のうちの1回(馬場が勝つ方)だったのさ」

2014.03.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

サフラン的“日本のまつり旭川”の思い出

写真1:1本の太鼓のバチ
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ここに1本の太鼓のバチがある。表面にマジックで何か書いてあるが写真では読みづらいと思う。「H2.8.13 御陣乗太鼓」とあるのだが、その意味は後ほど。

さて、前回に引き続き、当ブログ1月6日付け記事「北の護り~北鎮記念館」の回を思い出していただきたい。文中で「明治23(1890年)旭川、神居、永山の三村が開村した」と書いた。つまり行政区域としての旭川の誕生年が1890年だということである。
以来、今年(2014年)に至るまで124年を数える本市であるが、そのあいだの節目々々に周年行事が行われてきた。そして今をさかのぼること24年前の平成2年(1990年)には、遂に100年を迎えることとなったのである。
当時の内部事情は詳しくないが、100年という記念的な年だということ、バブル華やかりし頃で(今でこそ青息吐息、中核市の中でも最低の財政基盤である本市だが)資金が潤沢だったと思われ、これまでにないビッグイベントをやろう!という事になったのは想像に難くない。
そうして企画されたイベントが「開基(かいき)100年記念・日本のまつり旭川」だったのだ。
“開基”とは耳慣れない言葉だが、広辞苑によると「物事の“もとい”を開くこと」とある。(もっと分かりづらくなったか)
ともあれ、イベントの具体的な内容は(タイトルどおりなのだが)、日本各地にある様々な祭り団体を当地、旭川に招聘し、そのパフォーマンスを披露いただくという、まさにバブリーかつ壮大なものだった。

写真2:ネットで“日本のまつり旭川”を検索するとユーチューブで“旭川市で日本のまつりin旭川開基100年記念”がヒットする。約9分に亘って当時の様子が紹介されているので興味のある方は一度ご覧になってみては
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それほどの大イベントである。当然、実行委員会だけでは人が足りず、筆者の勤務先も大量の応援が動員され、当時若手だった筆者もその中に居たのだった。
応援スタッフといっても様々な役どころがあるが、筆者と同じ係の後輩・Nという男が仰せつかったのが「招聘班」。具体的な仕事は、例えば日本各地からやってくる祭り団体の方々は、多くは旭川どころか北海道も初めて。そしてプロの芸能人というより地域の祭りの担い手であり、普段は一般人としての顔を持つ。当然、実行委員会や広告エージェントとの橋渡しや連絡係が必要になる。また夜には、晩ご飯は美味しくお手頃な店にご案内したり、その後二次会となれば、自分の行きつけのスナックにご案内する。他にも(これが結構重要なのだが)市内には各県の県人会というのがあり、これとの間にも連絡調整が必要になる。(そして県人会の会長さんというのが結構、偉い人というか、そこそこの会社の社長さんだったりするので気を使うのである)つまりは祭り団体の皆さんが旭川におられる間のマネージャーなのである。
そしてやっと話は冒頭に戻るのだが、筆者と後輩Nがお世話させていただいたのが、石川県、御陣乗太鼓(ごじんじょたいこ)の皆さんだったのだ。

さて、その“日本のまつり旭川”、今すぐに思い浮かぶだけでも青森ねぶた、秋田傘灯(かんとう)、手筒花火、四日市大入道、島根石見(いわみ)神楽etc 、他にも沢山の日本中のまつりが常磐公園と昭和通りをメイン会場として披露され、その様子はまさに“圧巻”の一語に尽きた。また、先ほどのユーチューブでも少し流れているが、イベントを通じての総合司会はあの小林克也さん!また、各団体控え室や実行委員会本部は会場から近い「ときわ市民ホール」と「勤労者福祉会館」にあり、ケータリングには各種ドリンクとビールが山の様にあり、(もう時効だと思って書くが)筆者も「祭りがシラフでやっていられるか!」とばかり浴びるように、とまでは行かなくてもビールを呑んだものである。

担当した御陣乗太鼓の話にもどる。簡単にご説明すると16世紀、上杉謙信の襲来を受けた能登の村人達が、満足な武器も無いなかで村の古老の指示により、樹の皮の仮面と海藻で模した毛髪を身につけ、鬼気迫る迫力で太鼓を打ち鳴らし上杉勢を追い払った、という伝説に基づく伝統芸能である。
これは担当したから“えこひいき”で言うのではない。道具と言えば太鼓だけ、人数も確か7~8人くらいと少人数だったが、その迫力は、大がかりな仕掛けと人数を誇る他団体を圧倒するものだった。(確かお客さんのアンケートでもかなり上位だったと記憶している)

写真3:先述のユーチューブで見られる御陣乗太鼓のパフォーマンス。残念だが画面ではその迫力は僅かしか伝わらない
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そうしてなんとかイベントは無事終えることができ、最後のお別れのときにメンバーの一人の方(当時30過ぎの一番若い方だった)から、筆者と後輩Nが1本ずついただいたのが、冒頭の写真の、御陣乗太鼓のバチなのである。
あれからもう、ほぼ四半世紀が過ぎた。長いようで短かったが、筆者の若きころの良き思い出である。

ちなみにその後の周年行事について、110年のときは、たまたま西暦2000年だったことで「日本のまつり・ふるさと旭川2000」という日本のまつりを若干縮小したもの、そして120年のときは、“開村120年イベント”として、今も続く「食べマルシェ」が開催されたのである。

さて、なぜ唐突にこんな話をしたか疑問に思う読者も多いだろう。実を言うと2012年夏に始まった当ブログは今回100回を迎えるのである。そのため何か“100にちなんだ話”をしたかったというワケ。

始めた頃は100回なんて想像もしてなかったが案外続くものである。こうなったら200回を目指してみるか。お察しの通り当ブログは、大体“週イチ”ペースで更新している。このままのペースで行けば2年後になろうか。(2年後の自分が想像できない、というかそもそも筆者が生きているかどうかが甚だ怪しいのだが)
編集長などは「週イチを宣言して自分の首を絞めることはない」と言ってくれている。そのとおりなのだが、人気ブログなら多少、間を空けても読んでもらえるが当サフラン放浪記はそうではないので、ある程度定期的に更新したいのと、今のところ週イチなら何とかお題を見つけられている。もちろん余り面白くない回やごく平凡な回もあるが、コメントなどに再三書いているとおり「ヒマでしょうがない時のヒマつぶし」と思っていただければ幸いなので、今後ともよろしくお願いいたします。(^_^;)(次回以降はしばらく“まちあるき的な”記事が多くなると思う)

写真4:日本のまつり当時のグッズで今も残るのはこの定規だけ。まつり終了後しばらくは様々なグッズや、後日販売された記録のVHSビデオテープを保存していたのだが、引っ越しなどのドタバタに紛れ無くなってしまったようだ
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写真5:太鼓のバチをくれた方は本職が輪島塗の職人さんだった。これは後日送っていただいた輪島塗の夫婦箸である。結婚してからかれこれ20年近く経つが、もったいなくて使えないまま現在に至っている
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2014.03.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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