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サフランモデラーズレポート~往年の名機“隼”を作ってみる

 
※先に断っておくが、今回は特に"盛り上がりも"“オチ”もなく進んでいくので、その辺はご容赦を。


 当ブログ1月6日付記事「北の護り~北鎮記念館」の回で「軍神:加藤建夫陸軍少将(戦死時は中佐)」についてちょっと触れた(筆者の高校生の娘が尊敬する旭川の人が加藤建夫さんだということ)が、その時ふと思い立ってしまったのである。

「そうだ。隼(はやぶさ)を作ってみよう」

写真1:「中島キ43一式戦闘機:隼1型。48分の1スケール」
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本町(もとまち)にあるヨシダ玩具店に行くと一つ残っていた。「田宮」ではなく「ハセガワ」製だ。

写真2:「中身のキット」
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写真3:「必要最小限の道具」
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そんなに“コる”つもりは無いので必要最小限(と思われる)道具を準備。ニッパー、筆、接着剤はもともとあったもの。(数年前に娘が城のプラモ(安土城など)を作ったときに用意した)
 塗料、うすめ液、サンドペーパー、デカールピンセットは今回新たに用意。買ったのはこちらで。

写真4:「近文町(ちかぶみちょう)にあるホビーショップ・タケウチ」
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 ご覧のとおり新しくきれいな店舗である。一昨年に市内の永山から現地に移転したとのこと。
今回用意した道具のうちサンドペーパー(今はフィニッシング・ペーパーと言うのだそう)が筆者の知る黄土色のものと全く変わっているのでビックリしてしまった。
 ともあれ作ってみる。
 プラモなんて作るのは何十年ぶりだろうか。ガキの頃は結構上手にできたものだが、格段に下手になっている。「俺ってこんなに不器用だったっけ?」と思いながら進める。
 ただでさえ下手なうえに夜、寝る前に少しずつやっていたので(酔っぱらってそのまま寝てしまった夜も多々あったのはご想像通り)こんなに時間がかかってしまったのである。
 
 写真5:「組立て終わったところ」
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 写真6:「色を塗ったところ」
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 なんやかんやで色塗りまで終わった。正直言うとこれで終わりにしたいのだが、そうは行かない。次はプラモ作りで一番神経を使う作業。デカール(シール)貼りである。
 
写真7:「デカールを貼り終わったところ。これで一応、完成」
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写真8:「機体底面」
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 先に自分で断っておく。
 「ハッキリ言って下手クソです!」
 だが今回、久しぶりにプラモを作ってみて思ったのだが、作業の間は「そのことしか考えていない」というか、他の雑念が全くないのである。
 これは1日の最後の気散じに、とても良かった。読者のなかで、仕事なんかでストレスがたまっている方がおられれば、是非一度、プラモ作りをお薦めしたい。
 筆者は一瞬、“プラモセラピー”なんてものを主宰しよう、なんて思ってしまった。

 作り方説明書の注釈文によると、陸軍は昭和12年、中島1社に対し次期戦闘機の試作指示を出した。(中島飛行機は、当時世界最先端の技術を擁した我が国のトップメーカーである。戦後は「富士重工」となり、「スバル」のブランドで数々の名車を世に送り出している事実はあまりにも有名である。)
 翌年の12月に試作一号機が完成するも、先行の97式戦闘機(キ27)に比べ運動性が劣り次期戦闘機としては力不足であった。その後試作を繰り返すも軍を納得させることが出来ず、あわや不合格のレッテルを貼られる寸前の昭和16年、当時の戦況から航続距離に活路を見い出し、戦闘能力も改善されたことから昭和16年5月に一式戦闘機として正式採用が決まり、以後、終戦まで量産が続けられた、とのことである。

 昨年のジブリ映画や、最近なにかとお騒がせの百田尚樹さんの小説などで、ゼロ戦には注目が集まっている昨今であるが、こうして作ってみると、隼にもゼロ戦とは一味違った良さや魅力があるのがよく分かる。
(陸軍の代表的機体が「隼」=加藤隼戦闘隊、海軍のそれが「零戦」=ラバウル航空隊という図式である。)

 ここで、加藤建夫氏について少し。Wikipediaを一部借用するが、明治36年、上川郡東旭川村(現在の旭川市東旭川町)というところに生まれる。(全く余談だが筆者の祖父の一つ上の人だと分かった)
 仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て陸軍航空兵となる。陸軍大学校卒業後、太平洋戦争緒戦時「加藤“隼”戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い活躍した、日本軍、いや、世界を代表するパイロットの一人である。その性格は豪放磊落かつユーモアにあふれ、部下思いでもあり、中佐という高級将校でありながら自ら隼に乗り隊を率い(これは異例のことである)、そのモットーは個人の武功を求めず常に任務を重視し、それを部下にもきつく命じていた。
 その最後は1942年、ビルマ戦線においてイギリス空軍と交戦中、敵機からの連射に被弾し壮絶な爆死を遂げた。
 因みに(完全に個人的な話だが、ブログとは“そんなもの”だと筆者は思うので)加藤氏の一歳下の筆者の祖父は、第二次大戦時は小柄すぎたため主に武器修理担当兵として従軍したと聞いている。終戦後は市内の菓子製造業者に勤める傍ら三男四女を育て上げ、老年にかかってからはワケあって祖母とともに筆者を引きとり、1988年暮れに他界した。手塩にかけて育ててくれたことについて、筆者は一生涯かけても感謝しきれない。

 ちょっと“おセンチ”になってしまったようだ。
 ところで加藤建夫氏は、仙台陸軍幼年学校入学前、旧制旭川中学(東高OBは親しみを込めて「旭中(キョクチュー)」と呼ぶ)に在籍していたとの由である。
 旧制中学とはいえ筆者の、そして筆者の娘の大先輩だったのだ。ちょっと親しみが増した、と言っては目上の方に失礼だろうか。(因みに“旭中”のほかの偉大なる先輩といえば、皆さん良くご存じの「ビクトル・スタルヒン」が思い浮かぶ)

 さて、こうして隼は作り終わったのだが、塗料など道具はまだ残っている。また先述のとおり“一杯ひっかけながらのプラモ作り”が一日の最後のストレス解消にとても良いことも分かった。その内またやってみようかと思うので、完成の暁にはまた、当ブログ誌上でレポートしたい。
 今度は何にしようか。戦車なんか良いかもしれない。特にドイツ軍の戦車の恰好良さは、言葉に尽くせないほどである。これに関してだけは「恰好良さなどクソ食らえ!」とは言えない。
 実は、筆者とは職場の同期採用組で、かつては麻雀仲間でもあった、今は情報処理部門に勤務する仏頂面の友人が、戦車模型作りに関してはまさに名人芸の域に達している。
 次回、戦車に挑むときには、彼に教えを乞うことにしようかと思案中である。

 本格的なプラモデル製作のブログは他にごまんとあるので、今回の「プラモ作りのまねごと」は、以前のカップ麺附属のガンプラを作った時と同様に、「生ぬるい目」でご容赦いただきたい。 

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2014.02.24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフラン激辛グルメ~八海・ピッキーヌラーメンと冬まつりの思い出~

折にふれお伝えしている激辛グルメだが今回訪れたのはこちらのお店。

写真1:「八海」
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緑町、血液センターの向かいにあるラーメン店。ご存じの方も多いだろう。
濃厚な豚骨ラーメンがウリのお店だが激辛ピッキーヌラーメンも有名である。筆者の目的もそれ。迷わず注文する。
注文から間もなく、カウンターの向こうでフードプロセッサーというのだろうか、何かを延々、数分間、砕く音がする。それが止んだかと思うと、今度は“恐らく砕いた何か”を油で盛大に炒める音が聞こえてきた。注文から10分近くたって出てきたのがこれ。

写真2:ピッキーヌラーメン。見るからに辛そう
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スープの上に浮いている青唐辛子のようなものがピッキーヌ。もちろんスープのなかにもたっぷりと入っている。ご主人に伺うと“タイ原産”とのこと。また、ハウスでなら旭川近郊でも栽培可能(鷹栖の農家さんが成功されたそう)との由である。スープの表面に浮いた泡のようなものに何か禍々しいものを感じるのは筆者だけであるまい。
持ってきてくれた女性従業員の方が「今から計りますね」という。そう、こちら八海では毎年2月に、このピッキーヌラーメンを10分以内にスープも含めて完食した人に(女性は20分)1ヶ月間、ラーメン無料食べ放題、というイベントをしているのだ。
だが筆者は、それは無理だと分かっているので「いえ、平らげるのが目的なので計らなくていいです」と断る。(カウンター内のご主人の奥さんに笑われてしまったが)
実食してみる。
一口すする。むせる。また一口すする。またむせる。最初しばらくは、その繰り返し。
だんだん口の中の“辛さセンサー”が悲鳴を上げてくる。顔全体と首に汗が浮かび、あらかじめ用意したハンカチでぬぐう。途中で一旦休もうかとも思ったが、多分一度止まってしまうと、もうリカバリー不能と思ったので、とにかくすすり続ける。

写真3:なんとか麺と具は完食
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20分以上かかったが、なんとか麺と具(と言ってもネギくらいしか無いのだが)は完食する。実はここに来る前に、飲むヨーグルトでお腹の調子を整えてきたのだが、それでもやっとであった。
奥さんに「スープも含めて平らげる人が居るのが、ちょっと信じられない」と言うと、筆者の隣に座っていた青年が「僕は完食しました」と、ツラっと言ってのける。筆者も「辛いもの耐性」は結構ある方だが、世の中には凄い人がいるものだ。
奥さんからアイスキャンデーを貰い、しばらく休んでから会計。帰り際、「今度はおいしいもの食べてって」という声に「そうします」と心の中で答えて店を後にした。

さて、前回記事の後半で冬まつりについてちょっと触れたが、今回も少しお付き合い願いたい。
たしか去年くらいからだと思うが、常磐公園会場を廃止して、石狩川河畔に会場を一本化したことについて。

写真4:石狩川上流側から眺めた冬まつり会場
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だが、長く旭川に住んでいる人なら憶えていよう、昔は常磐公園だけが会場だった。河川敷まで拡充されたのは確か筆者が高校生のとき、1987年前後だったと記憶している。以来、旭川冬まつりは、河川敷では大雪像、常磐公園では大氷像と雪あかり(ライトアップやイルミネーション)と、“雪”、“氷”、“あかり”を三つの柱として開催されて来た。今般の会場縮小については(筆者は今の冬まつりの内情は詳しくないが)、恐らくは不況による資金難や市民レベルでの担い手の不足などが原因だろう。現に「パンフレットの紙質」が今年からかなり劣った物に変わった事に気づいた人は多いはずである。

会場のほかに、昔、筆者が子供だった頃と今の冬まつりで情景が大きく変わっていることがある。ここから先は書こうかどうか少し迷ったのだが、なにせ昔のことであるのと、特別、隠すことではないと判断した次第である。
昔の冬まつりでは、縁日の屋台、そう、普通の神社祭などで見られるものが、常磐公園会場だけではなく、7条緑道にもずらっと並んでいたのである。(筆者も小さい頃は、鼻を垂らしながらフレンチドッグなどを良く買ったものだった)
ここでちょっと脇道にそれる。いわゆる「反社会的勢力」とか言われる人たちは「テキ屋系」と「博徒系」の二つに大別される。
そして冬まつりは行政が深く関わっている。(実行委員長は市長が就任することに事実上なっている)
つまり市が関与するイベントに、「そういう人たち」の出店が大規模にされることが問題視され、お引き取りいただくことになったのだ。
これはかなりの英断だったろう。もちろん「そんな人たち」に「これこれこういうことですから」と言っても簡単に「うん」とは言ってくれないだろう。実行委員会単独ではとうてい無理な話。道警始め関係機関と密な連携を図ったうえでのものと推察される。
実は筆者は20年位前に、当時の事情を記したものをちらと見たことがあるのだが、実行委員会のうち家族のある者は、家族を一時期、実家に帰したこともあったようだ。
今、冬まつり会場に行くと、皆さんご存じと思うが、実行委員会が設置する売店ブースに、様々なお店が出店して多くの来場者で賑わっている。今年は「冬マルシェ」とか「汁マルシェ」と称して、多くのお客さんの胃袋を満たしていたようだ。(何でもかんでも“マルシェ”を付けりゃ良いってもんじゃないだろ!的なネーミングではあるが)

 写真5:旧来の出店(でみせ)は現在、何店舗かに限り出店しているようだ。かつて家族を実家に帰すことまでした、当時の実行委員会担当者は、この光景をどんな思いで見るのだろう
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 さて、“胃袋を満たす”と言えば、筆者の胃も激辛ピッキーヌで満たされたワケだが、その晩、筆者がどんな地獄を体験したかは改めて書くまでもないだろう。「ウソぉ」と思う人や「ターメリックマン、その程度で“激辛耐性アリ”を名乗る資格は、お前には無い!」とおっしゃる方は、まだ1月無料キャンペーンがあと2週間くらいあるので、是非一度、お試しされることをお勧めする。

2014.02.17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフランまちあるき~買物公園の穴場的スポットで出会った伝説のカルト漫画~

前から気になっていたのだけど、どうも“ふんぎりがつかない”というか、行く機会を逸している、そんな所が誰にもあるのでは。今回は筆者のそんな場所への潜入ルポである。(大げさ?)

写真1:3条本通り7丁目。トーエーパチンコと豆源ビルの間の小路
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写真2:入ってすぐ右の階段を下るとその先に
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「コーヒー&フード・漫画茶屋」ずっと気になっていたのだが、そのマニアックな店構えと「一見さんお断りオーラ」の前に敷居の高さを感じていた。だが本日、意を決して入ってみる。

写真3:新しいとは言えないものの、思ったより明るくきれいな店内
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店名からも想像できるように、ネットカフェが広まる前に流行った、いわゆる漫画喫茶。ただ、普通こういう所は時間制なのだが、こちらは「料理を注文すればいつまででも居て良い」システムである。お店はマスターと奥様で切り盛りされている。その感じの良い奥様にオーダーしたのが

写真4:ナポリタン。630円
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やはり“サ店メシ”と言えばこれをおいて他にあるまい。注文から程なくして供されるそれは「あらかじめ茹でおきされた“柔らかい麺”」,そして具は定番のハム、ピーマン、マッシュルーム。決して“パスタ”ではない“スパゲッティ”こそが、筆者にとって貴いのである。(前回の記事中の“星一徹の口調”で)「アルデンテなどクソ食らえ!」な筆者なのである。

写真5:アフターコーヒーは230円
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食後のコーヒーは230円。一口すすった瞬間に「ん!」と思った。その味はとても「漫画喫茶のおやじが手慰みに淹れたもの」ではない。なにかこう、本格的な、昭和のサ店のマスターが淹れたような深い味わいなのである。(そのワケは後述)

さて、空腹も満たされたところで店内を探索。写真3でお分かりの通り、中央のラックには雑誌や新聞類が。そして壁一面には本棚が配置され、漫画がぎっしりと並べられている。写真の死角にも所せましと漫画が。またそのラインナップだが、古い作品が多いのが嬉しい。ゆっくりと物色する筆者の視界にある作品が。

写真6:「聖(セント)マッスル」全4巻
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聖(セント)マッスルではないか!70年代に一世を風靡したふくしま政美さんの作品である。しかも復刻版などではない、講談社KCコミックス350円。奥付を見ると昭和52年1月20日第1刷とある。筆者が小学校に上がる前ではないか。
本作は1976年から約1年に亘って週刊少年マガジンに連載された。筆者もオンタイムでは読んでないものの、近年、この作品の存在を知ってからは「一度読みたい」と思い、古本屋などに訪れた際にはチェックしていたのだが未だ会えずにいたのである。(「ネットで古本、買えばいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが、そうではない。あくまで「偶然の出会い」が欲しかったのである)さて、その内容であるが

写真7:立ち上がる全裸の青年。聖マッスル。因みに写真はお店の人の目を盗んで撮っているので見づらい点はご容赦を
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写真8:自らの記憶がないことにいきなり強烈に苦悩する
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写真9:何かの力に誘われるように入った建物。しかしその天井一面に人面が!
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写真10:人間城の主。信じられないかもしれないが一応、人間のようだ。
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先に写真を披露してしまったが、これを見ただけでお腹一杯になったのでは。
物語の始め。広大な花園で目覚めた一人の青年。なぜか全裸でしかも筋肉隆々(写真7)。だが、間もなく青年は記憶が全くないことに気づき、激しく動揺する(写真8.左上のセリフは「思い出せない!何もかも」)。さまよい歩く青年はやがてある建物に入ってゆく。しかしそれは、全てが人体で作られた人間城だったのである(写真9)。その城の主は、これまた全裸で、主人公とは対照的に、たっぷりと脂肪をつけた中年の男(写真10)。写真をご覧いただければと思うが、筆者は未だかつて“人間の歩く音の擬音”を「ズジャッ、グジャッ、ズジャッ、グジャッ」と表現する漫画を本作以外に寡聞にして知らない。
この後の展開は、人間城の主は主人公を、人間城の最後のパーツとしようとするのだが、主人公が間一髪、難を逃れこの化け物を倒す、というものである。ここまででコミックス1巻の7割位。筆者もこれ以上ご紹介する体力が無いので、興味のある方は是非こちら「漫画茶屋」を訪れてみては。

作者のふくしまさんは主に70年代を中心に活躍された。まず目を引かれるのはその書き込み!今回ご紹介した写真だけで十分お分かりだろう。特に「絵で読者を驚かせたい」と思っていたようで、そのため常時多くのアシスタントを雇っていたが、それでも心配でアシスタントに細かい指示を出していたそうだ。また、本作では緻密な筋肉描写が特徴。これは後の80年代にジャンプ誌上で「ケンシロウ」や「男塾」にソフィスティケートされた形で伝承されてゆく。まさに「早すぎた北斗の拳」「早すぎたジョジョの奇妙な冒険」と言っては褒めすぎだろうか。
この、ふくしまさんは、80年を境にふっつりと消えてしまった。一度91年に作品を発表したらしいが往年の迫力は全くなく、その後は「消えた漫画家」をまさに体現している一人と言えよう。

さて、入店からかれこれ2時間と少し。料理とドリンクで860円は十分お得と言える。「もっと早くに来るんだった」と少し後悔した位である。会計を済ませながら奥様に「いつから営業なさっているのか」聞いてみる。奥様曰く、現店舗では11年くらいだが、その前から、かれこれ30年に亘り“サンロク”で喫茶店をなさっているのだそうだ。コーヒーが美味しいのも頷ける訳である。「また来ます」と言って店を後にする。実際、そう遠くないうちに「また来て」しまうだろう。

店を出るとそのまま昭和通り(市外の読者の方へ。そういう名前の通りがあるのです)を北に向かってブラブラ歩く。凍えそうになりながら辿り着いたのは石狩川河畔、旭川冬まつり会場。

写真11:旭川冬まつりメイン雪像
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今年のテーマは3年連続でトランスフォーマー。初めてこのデザインを報道で見たとき筆者は「これは“像”ではなく“レリーフ(浮彫り)じゃないか!」と心中、ツッコんだのだった。ただ聞くところによると今年の冬まつりではプロジェクション・マッピングを行う、ということである。
去年の札幌雪まつりのトラブル(雪まつり雪像にプロジェクション・マッピングを行ったところ、余りにも多くの人が押しかけて中止に追いやられた)を聞いたとき筆者は、旭川冬まつりこそプロジェクションマッピングに適している(理由はメイン雪像が大きくて“のっぺり”としていることと河川敷会場が“だだっ広い”点)と感じていたので、これはすごく良い試みだと思う。
そういえば、筆者にとってトランスフォーマーと言えばCGを駆使したハリウッド映画ではなく、80年代中盤の、セル画アニメの“それ”なのだが、コンボイ率いるサイバトロン戦士に対する悪の軍団“デストロン”の首領“メガトロン”の声をあてていたのが、当ブログ前回記事で訃報をお伝えした加藤精三さんだったなあ、と、ちょっと感慨にふけってしまった。

話は元にもどるが、今回、漫画茶屋で奇しくも「聖マッスル」には出会えたわけだが、ふくしま政美さん作品では他に、聖マッスル連載前に「エロトピア」誌上で連載していた「女犯坊」(どんなタイトルだ!)も探している。(こちらはさすがに漫画茶屋にはなかった)
もし見つけることができたら、また当ブログでご紹介する予定なので、その日が来ることを楽しみにしていただきたい。(えっ?そんな人いないって?)

2014.02.12 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン身辺雑記~声優界の2大巨星、墜つ

前々回の記事で「大江戸捜査網:デアゴスティーニ・DVDブック」を買った顛末を書いたが、今回もその話から。
1枚のDVDに4話が収録されているのだが、その2話目を見ていたところ。
作品は1973年9月29日放映の「仕掛けられた身代金」。ある脇役の顔貌と特徴のある声が、どこかで見聞きしたような気がした。

写真1:チンピラの“さぶ”
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「良く見れば池田秀一さんではないか!」

と言ってもお分かりにならない方も多いか。

機動戦士ガンダムの主要キャラクター、以前、当ブログでもちょっと触れた“シャア・アズナブル”の声を担当された方である。
それにしてもお若い!20代中~後半くらいだろうか。池田さんと言えば筆者には声優のイメージが強いのだが、若かったころは俳優業もおおいになさっていたのだろう。

話はちょっと変わって少し前のことだが、2014年1月27日、永井一郎さんが亡くなった。サザエさんの磯野波平の声をなさっていた方として余りにも有名である。

また1月17日には加藤精三さんが亡くなっている。こちらは、巨人の星の星一徹役が有名だろう。つい最近まで某携帯電話会社のCMで今をときめく剛力彩芽さんと共演していたので、若い読者にもなじみがあると思う。(職場のコンピュータ管理部門に勤務している筆者の友人は、星一徹のモノマネが大得意で、麻雀をしながら、頻繁に「星一徹・往年の名セリフ」を延々と披露していたほどである。)

たった10日ばかりの間に我が国の俳優、声優界は二人の大きな先達を失った。と同時に二人の本邦「二大・頑固オヤジ(波平&一徹)」を失ったことになる。
お二人ともかなりお年を召されていたので(永井さんは82才、加藤さんは86才だったか)早すぎる逝去ではないと思うが、やはり残念だしショックなことである。
永井さんの逝去を伝えるマスコミ報道は、(知名度があるので仕方ないにしても)殆どが「波平の声を担当していた」と紹介していたが、筆者に言わせれば、波平が「国民的お父さん」なら、星一徹もまた「昭和の頑固親父」の象徴であり、実写版の寺内貫太郎と並んでリスペクトされるべき偉大な存在であるはずだ。

筆者は、この両者の著しい扱いの格差に痛憤と落胆を禁じ得ない。
年齢層や性別に関係なく一定の評価が得られるような「安全牌」である「サザエさん」だけに光が当てられ、アクが強く影の部分が多い「巨人の星」を意図的に小さく扱うようなことがあってはならない。

ここで追悼の意を込めて、加藤精三さんが演じた星一徹の言葉を贈りたい。

「かっこよさなどクソ食らえ!」

写真2:星一徹の決めポーズ
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ところで、余計なお世話だろうが、今、フジテレビは大騒ぎなのではなかろうか。
聞くところによると2月9日放送までの録音は済んでいるとのこと。恐らくは脚本陣に頑張ってもらって何話かは波平の出ないエピソードを作り、その間、大急ぎで後任者を探しているのでは。
なにしろあの「バッカも~ん!!!」が板につく声優さんは、そうはいないだろうから。

ここでふと思ったのだが、(敢えて調べはしないけど)加藤みどりさんや増岡弘さんも結構お年を召されているのでは。なにしろ加藤さんなど、昔のロボコン(高専の学生さんがやるロボット大会じゃないよ)で、ロボコンがお世話になるお宅の奥さん役をなさっていた位である。

いっそのこと、永井さんが亡くなったのを機に、という訳ではないが、ドラえもん方式で声優陣の入れ替えを検討しても良いのでは、と思うのである。(ドラえもんに出来ることがサザエさんに出来ないとは思えない)
永井さんのお仕事で筆者が印象深いのはこれである。

「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた。
 地球の周りの巨大な人口都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を生み、育て、そして死んでいった。
 宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。
 この1カ月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦は総人口の半分を死に至らしめた。
 人々は自らの行為に恐怖した。」

冒頭に少し触れた、1979年放送開始の機動戦士ガンダム、いわゆる「ファースト・ガンダム」とか「1年戦争」と呼ばれるもののオープニング・ナレーションである。
また、ある本で読んだのだが、1年戦争での永井さんはナレーションのみならず、本編での声優としても大活躍、というか、ありえない程の「コキ使われっぷり」である。(以後は読者がガンダムを知っている、という前提で進める)
物語の前半ではホワイトベースが避難民を収容したまま航行するが、駄々をこねたり座り込んだりする老人の役は主に永井さんが担当。他にもデギン公王やシャアの副官ドレン、そして中年から老年までの脇役キャラを何十名も演じ分け、(第13話では難民キャンプの老婆の役まで演じた!)一説には全登場人物の半数にも至る、とのことである。

写真3:“機動戦士ガンダムの常識・一年戦争編”中央図書館所蔵なので興味のある方は御一読を。ガンダム世代には嬉しい小ネタが一杯
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さて、池田秀一さん(シャア)や永井さんのお話しをしてきたが、ガンダムで忘れてならないのは主人公のアムロ・レイ。声をあてていたのは古谷徹さんである。
そして古谷さんの仕事でアムロと並ぶものというと、筆者より上の年代の方は良くご存じの星飛雄馬(アニメ「巨人の星」の主人公)である。
時をほぼ同じくして亡くなった声優界の2大巨星が「サザエさん」と「ガンダム」という2大国民的アニメでつながったようである。もっともお二人とも第一線で活躍していたので当然周りの人や仕事も一流どころ。つまり必然の要素が多いとは思うが、でも筆者は何か“つながり”の様なものを感じてしまうのだ。

ファースト・ガンダムの放映時、筆者はまだ小学校中学年のガキだった。その頃、漠然とだが、自分の前には明るい未来が開けているような気がしていたものだった。
だが今、四十半ばを過ぎて、日々“のんべんだらり”とした毎日を送っている。
今回の記事は自戒の念を込めて、自らにこう問うて終えたい。

「君は 生き延びることが できるか」

2014.02.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 懐かしの80年代

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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