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サフラン銭湯紀行~第21回~みつわ湯

(浴場名)みつわ湯
(所在地)末広5条1丁目 (訪問日)平成25年10月26日(土)

当銭湯紀行は日曜日の訪問が多いのだが、前夜は昔の職場の同僚の送別会で、しこたま飲んでしまったので、酒抜きを兼ねて訪問した次第。
 自宅から車で10分位の場所にある。数年前に一度訪れて、今日は2回目の訪問。
 いつものように開店すこし前に来ると既に先客が。

 写真1:みつわ湯外観。開店前に早くも行列が。
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 筆者が訪れたあとも続々と客がやってくるのである。

 写真2:脱衣室
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 脱衣室にも本棚があるのがお分かりか。あるのはジャンプや美味しんぼのコミックなど。脱衣室~浴室へのドアが自動なのに少しびっくりする。

 写真3:脱衣室から見た浴室
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 浴室の中央には東旭川:旭湯にもあった八角形のカラン。そして浴室内には演歌、ムード歌謡のBGM。これは神居のこがね湯と同じである。
 
 写真4:八画カランの上には西洋風の石像
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 浴槽の構成は主風呂、泡風呂、寝風呂と“催し風呂”。そしてサウナである。
 
 写真5:催し風呂
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 まずは催し風呂へ。何が“催し”なのか不明だが、多分少し大きめなのと、写真奥をご覧いただければ分かると思うが、滝みたいになってるからだろうか。
 次はサウナへ。無料なのが嬉しい。まちの銭湯のサウナにしては大きい乾式サウナ。 
 良く汗をかいたら体、頭を洗い、ひげをそる。最後に寝風呂、主浴槽に入る。主浴槽は十分に熱い。よく温まったら浴室をあとにする。
 
 写真6:待合室
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 写真7:しゅみの広場。なかなか魅力的だ。筆者の拙い文章では伝えきれないので是非一度ご訪問を
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 写真8:湯上がりの一杯、というか一個
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 お手頃価格帯のアイスはエッセル・スーパーカップやMOW(モウ)などあるが、筆者のお気に入りは“爽”。この日食べたのはグレープ&サワー。
 アイス類が充実していて、ソフトドリンクのほかにビールも常備されている。
 待合室の雑誌類はグラフ旭川、北海道経済、旭川新聞、週刊現代と女性誌2誌。
 色々な意味で“お得な銭湯”である。常連達が開店を待ちきれないのも良く分かる。気づいたら1時間半も長居してしまった。おかげですっかりアルコールが抜けた。
 今度来る時は奥さんにバイト代を払ってでも送迎してもらってビールを飲みたい。末広方面に在住の読者には是非一度お勧めしたい。

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2013.10.29 | コメント(1) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフラン大遠征~名古屋の夜と“大沢親分”の思い出~

 前回はラーメン店「天金」で「ドラマ:ラーメン刑事」の出演陣と出くわした顛末をお伝えしたが、今回も「思いがけず有名人と出会った思い出」をお伝えしたい。

 写真1:「平成25年10月7日付:道新」
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 写真1は(ちょっと古いが)10月7日の道新スポーツ欄のコラム「あの日」。
 3年前の2010年10月7日に元ファイターズ監督の大沢啓二氏が亡くなったことと、氏の人となりを紹介している。ちなみに掲載前日の10月6日は日本ハムの公式戦最終戦で、敗戦によりパリーグの最下位が確定した日でもある。大沢親分も草葉の陰で「栗山ファイターズ」にカツを入れているのではないだろうか。

 話はちょっとそれるが、今から丁度20年前、平成5年の夏だったと記憶している。
 当時所属していた部署で、同僚と二人、滋賀県の大津市と愛知県の豊田市に出張に行くことになった。
 恥ずかしい話だが、筆者は飛行機に乗るのが初めて。同行者は、年は7つほど上だが同期入社のS氏。幸運と言うべきか、S氏は前職で旅行代理店のツアコンをしていた方で、飛行機、新幹線や宿の手配まで全部お任せしてしまった。まだ二人とも若く独身の頃、しかも筆者は北海道を出るのが高校の修学旅行以来ということもあって、とても楽しい出張(もちろん日中は真面目に仕事していたが)だった。

 さて、大津、豊田市の順で行ったのだが、大津での思いではやはり琵琶湖である。遊覧船に乗ったのだが、あまりの大きさにびっくりしたのだった。そして次に訪れた豊田市。ゆとり教育世代はどうか知らないが、筆者の年令では「もともとは挙母市(ころもし)という市だったが、トヨタ自動車の企業城下町として、市名も豊田市となった」というのを社会科の時間で習ったと思う。出張先の業務を終えて、宿泊したのは日本3大都市の一つ、名古屋である。
 夜、居酒屋で夕飯を食べたあと、そう言えばプロ野球のナイターをやっているのでは、という話になった。そこで通りがかったタクシーを止めて運転手さんに聞いてみると「パリーグだが、やっている」との由。筆者もS氏も野球が好きなので、早速そのタクシーで球場に向かうこととした。(運転手さん曰く、「セリーグの試合なら行っても入れないだろう」とのことだった)
 球場に着いてみると、今でも憶えている、ファイターズと近鉄バファローズ(当時)の試合であった。もちろんファイターズは北海道移籍前だが、なぜかファイターズ側で観戦した。(S氏がファンだったからか。その辺は定かでない)
 途中から見たその試合、投手戦でファイターズが僅差でリード。9回の近鉄の攻撃のとき。好投を続けていた先発に代えてリリーフの起用(残念ながら選手の名前は忘れてしまった)。その後バッター3人を見事に仕留めて当時監督だった大沢采配が光った一戦であった。
 その試合では、当時の主力選手であった田中幸雄選手のナイスバックホームが見られるなど、これぞプロのスーパープレイ、というのを随所に堪能できたのだった。
 
 さて、十分にプロの一軍の試合を楽しんだあと、帰りは公共交通機関を乗り継いで宿(名古屋の東急インだった)に帰ったとき。ホテルの前に大型バスが駐まっている。なにごとかと思ってロビーに入ると野球のユニホームを着た大柄な男性達が沢山。たった今、球場で試合を見たファイターズの選手達の宿がたまたま同じだったのである。ロビーにはスターたちの姿を人目見たいとばかりファンでごったがえしていた。筆者もすっかり舞い上がってしまったが、同行者のS氏は田中選手に握手してもらってとても嬉しそうだった。
 
 興奮してS氏とツインの部屋に戻ったあと、筆者はシャワーを浴びて備え付けの浴衣に着替えると、ビールを買いに部屋を出た。(筆者は外でどんなに飲んでも、寝る前に一杯飲まないと寝られないので)確か筆者たちの部屋は9階くらい、(ここから先の階数の記述については、ちょっとうろ覚えなので“大体こんな感じ”という風に受け止めていただきたい)自販機があったのは2階であった。自販機でビールを買ったあとエレベーターで上に上がる。4階で筆者の乗ったエレベーターが止まり、開いたドアの向こうに見えるのは、やはり野球のユニホームを着た白髪交じりの初老で背の高い男性。背中には(横を向いていたので見えた)“OHSAWA”の文字が。そう、大沢監督だったのである。
 エレベーターに乗ってきたのは大沢監督と、やや若い、ポロシャツに下はジャージの(多分、トレーナーとか、そんな感じの方だった)男性の二人。筆者はドアの正面奥の壁に大沢監督と並ぶ感じで、トレーナー風の男性は横の壁に立った状態で、3人だけのエレベーターの中である。
 当時既に、コワモテの「大沢親分」というキャラでお茶の間の人気者であった親分と一緒。当時の筆者は何故か「何か言わなきゃ」とでも思ったか、「今日の試合、おめでとうございます」と言ってしまった。
 すると大沢監督、筆者の方を見もしないのだが「んっ、今日テレビでやってたかな?」と言うので「いや、球場で。ちゃんと日ハムの側で見てました」と筆者。
 ここで終わっておけば良かったのだが、やはり若かった、というかガキだったのだろう。続けて「あの、9回なんですが・・なんで○○投手(好投の先発)、代えちゃったんですか?」と、つい言ってしまったのである。
 すると大沢監督は(ここは今でも良く憶えているのだが)上の方の階数表示に目をやりながら
 「高めに来てたからなー」と言ったのである。
 ちょうどそのとき、大沢監督達が降りる6階にエレベーターが止まった。トレーナー風の男性が「さっ、(早く行きましょう)」とばかり監督を促してエレベーターを後にしたのだった。急ぐのもさもありなん。どこの馬の骨とも分からない若造が大沢采配にケチをつけているようなもの。男性にしてみれば気が気じゃない、といったところだったろう。
 ともあれ、滅多にできる経験ではない。部屋にもどりS氏にことの顛末を報告したあとは、しばらく興奮で眠れなかったものである。

 以上が懐かしの名古屋出張の思い出だが、この原稿を書いていて、20年前とは言え隔世の感がある。
 まず出張だが、今では「札幌日帰り」でさえ、なかなか予算がつかない。他に筆者が行った「遠いところの出張」は15年くらい前の鹿児島だが、恐らくそんな経験はもう無いであろう。
 また、滋賀に行って琵琶湖周遊くらいで済んだのが、やはり子どもだったのだろう。今の筆者なら万難を排してでも、我が国を代表する歓楽街の一つ、“O琴”(読者諸賢には釈迦に説法だろう)突撃を敢行していただろう。

2013.10.21 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

「川わき」と「ふらりーと」の思い出

今回は、故あって恒例の「かつて買物公園周辺にあった懐かしの飲食店シリーズ」を思い立った。

筆者がまだ若く独身だったころ、つまり20年位前なのだが、1週間の昼ご飯は殆ど「ふらりーと」で済ませていた時期があった。
「ふらりーと」とは(旭川市民には説明の必要もないと思うが)5条通7丁目の本通り(南側)から5~4仲(ごーよんなか)の中通りまで、焼き鳥屋や居酒屋、ラーメン店などが軒を連ねる小路のことである。もっとも筆者が通っていた頃はまだ「ふらりーと」の呼称はなく(「ふらりーと」と名付けられたのは10年位前だったか)、焼き鳥の名店が多いことから、人によっては「焼き鳥小路」なんて呼んでいたと記憶している。

写真1:これが「ふらりーと」だ。
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さて、その「ふらりーと」で当時、筆者が好んで通っていたのは、「奈良うどん」、「川わき」、「味よし倶楽部」、「ラーメンの天金」である。ちなみに当時「川わき」は「天金」という店名の居酒屋だった。ラーメン店の方との関係は不明。

「奈良うどん」閉店のときの筆者の落胆や思い出は当ブログの平成24年8月に記載したとおりなのだが、「川わき」が閉店するらしい、との情報を編集長からもたらされた。

写真2:「川わき」跡
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写真3:貼り紙によると9月末で閉店したようだ
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最近行ってなかったので記憶に頼って書くが、川わきのランチは通常メニューが3品と日替わりランチだったと思う。
たしか、しょうが焼きやフライ、メンチカツなど、どれも美味しくてボリューム満点、しかも、お値段も600円前後とお手頃であった。店内はカウンターに小上がり、そして1階が満席のときは2階に案内される。2階は和室、全面、畳貼りで他のお客さんがいないときは食後に畳の上に大の字で横になるのが何より嬉しかった。今は昼休憩が45分だが当時は1時間。午後の仕事に備えてバッチリ体力チャージができたものである。

また一つ、中心市街地の名店が消えゆくのはなんとも寂しいものだ。

「ふらりーと」つながりで「ラーメン天金」の思い出話にもお付き合いいただきたい。今は3-4仲(さんよんなか)9丁目で大繁盛しているが、かつてはこの「ふらりーと」の5条本通り、入り口にあったのである。筆者の記憶によれば「ふらりーと」の旧店舗が火災で全焼し現在地に移ったのだった。

写真4:「かつてラーメン天金があった場所。今は「旅籠」というお店がある。」
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もうかれこれ10年以上前だが、筆者が昼食に天金を訪れたときのこと。引き戸を開けると店内中央のテーブルに賑やかな団体が。ぱっと目に入ったのはガッツ石松さん。他には神田正輝さん、鈴木ヒロミツさん、大桃美代子さんといった面々。真っ昼間からラーメンとビールでほろ酔い気分だからか、とっても大賑わいだった。
さて、この面子。30代以上の旭川市民ならピンとくる人も居るのでは。
そう、ドラマ「ラーメン刑事、龍の殺人推理」出演の役者さんたちである。
ラーメン刑事とはテレビ朝日系列で2001年から2005年にかけて、土曜夜9時の2時間枠で5回にわたって放送されたドラマ。その第2回の舞台が旭川で、サブタイトルは「北海道旭川、氷点下41度の完全犯罪!雪の結晶は天からの証言者」という、とってもユル~いドラマであった。
恐らくそのロケ中に、出演者一同が旭川ラーメンの名店に行こう、となったのだと思う。
ともあれ、長く生きていれば街でバッタリ有名人に出くわす、なんてことは珍しくないが、これだけの人数とは初めてである。

ところで、このドラマには筆者の知人達が数多くエキストラ出演していた。なかでも筆者の目を引いたのが、鑑識役で出演した(もちろんセリフはないのだが)筆者の同期入社で日ごろ仲良くしていただいているT氏。「本当にこんな鑑識いそう!」と思わず心の中で叫んでしまった。あまりのハマリぶりに笑ってしまうくらいだった。
こう言っては失礼だが、六角精児さんよりよっぽど鑑識らしい、と思う程である。

2013.10.15 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン銭湯紀行・第20回記念~またひとつ消えゆく昭和銭湯

(浴場名)羽衣湯
(所在地)東8条1丁目 (訪問日)平成25年10月6日(日)

 新旭川地区の住宅街に佇む銭湯。今まで訪れた所はどこも、初訪問であっても「そこに銭湯がある」という認識はあったのだが、ここは全くノーマークであった。

 写真1:「羽衣湯外観」
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 写真2:「入り口になにやら張り紙が」
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 なんと!平成25年10月10日をもって閉店とのこと。今日の訪問を来週に延ばしていたら、間に合わなかったのである。
 幸運をかみしめつつ、中へ入る。

 写真3:「入ってすぐ脱衣室」
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 番台は今どき珍しい、番台から見渡せる「沖田艦長スタイル」。だが、旭鉱銭湯、ときわ湯など、昔の銭湯は全てこうだった。
 番台には60~70才くらいのおばあちゃん。料金を払って脱衣室に上がる。
 浴室の構成は主浴槽(流れ風呂の表示あり)と泡風呂、そして湿式サウナとシンプル。
 
 写真4:「主浴槽。流れ風呂というだけあって、お湯が流れている」
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 写真5:「主浴槽の横は(写真の右側)寝風呂になっている」
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 写真6:「泡風呂。写ってないが、この右にサウナがある」
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 まずは泡風呂に入ってみる。若干お湯がぬるめだが、熱い湯が好みでない人には丁度いいのだろう。サウナは無料のようだが今日はパス。体、頭を洗いひげを剃ったら主浴槽へ向かう。
 こちらは十分にお湯が熱い。もう皆さんお気づきだろうが、筆者の銭湯における最重要チェックポイントは“お湯が熱いか”である。ここは満足できる熱さだ。写真4、5で、水のカランがあるのがお分かりと思うが、出来ればこれもない方が嬉しいのである。

 写真7:「広告付き行灯時計」
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 春光の「こがね湯」にもあったこれ。ただ、こがね湯の方は番台の後ろにあり、しかも静止状態だったが(もちろん、時は正確に刻んでいた。こがね湯の名誉のために念のため)、こちらは浴室にあり、しかもゆっくりと回転しているのである。写真でお伝えできないのが残念だがちょっと感動してしまった。

 写真8:「ゲームテーブル」
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 写真3の奥の方に小さく写っているゲームテーブル。こんなところにも昭和テイストがあふれている。

 写真9:「故障中」
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 故障中とは残念。使えたとしたらゲームはなんだったのだろう。インベーダーか、それともギャラクシアンあたりか。

 写真10:「湯上がりの一杯」
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 ビールを別とすれば最強はやはりコーヒー牛乳である。飲みながら汗が引くのを待っていると、閉店を惜しむ常連の声が聞こえてくる。実は銭湯めぐりの順番はあらかじめ決まっている訳ではなく、その都度、決めているのだが、今回ここを選んで本当にラッキーだったと思う。
 この銭湯紀行を始めてから1年が経とうとしている。残り少なくなったが、これからもなるべくその銭湯の感じが伝わるよう、頑張って紹介していきたいと思っている。

2013.10.07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフラン一人呑み~週末の夜はサフラン流“ハイカラ”で

管野美穂さん出演のサントリーのCMをご存じだろうか。ハイボールにカラアゲで“ハイカラ”というやつである。なんだか美味しそうなので週末の一人呑みにやってみることにした。

写真1:「用意するもの。サントリー角とソーダ水にレモン」
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作り方は以前ご紹介した「トリハイ」と同じ。グラスに6等分カットしたレモンと氷を入れて、ウイスキーとソーダ水の割合はだいたい1:4。

 さて,カラアゲであるが、ここは筆者の好きなこれで攻めてみたい。

 写真2:「完成。角ハイボールと“からあげクン”」
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 “からあげクン”のない人生など考えられない。筆者はローソンのないまちには住めないのである。ちなみに写真は“からあげクン・レッド”

 写真3:「からあげクン・レッド。筆者的・最強おつまみである」
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 ネットで調べてみると、ローソンにおける“からあげクン“の販売開始は86年だそうだが、ここ旭川では、88年の秋である。
 何故こんなことを知っているかというと、以前、当ブログに書いたとおり、筆者は高校3年の頃にローソンでバイトしており、丁度そのときに、旭川の全店舗で“からあげクン”の販売が始まったのである。

 さて、その“からあげクン”、“あげ”というだけあって当然フライヤーで揚げるのだが、導入初期だからか、はたまたフランチャイズ店だからか、当時筆者が居た大町店では、本部から冷凍で送られてくるものを解凍し、仕上げにオーブントースター!で温めて出す、といった方法だった。
 それはそれで上手につくれば美味しくできたのだが、その“ユルさ”が後になって悲劇を起こすことになる。

 12月下旬のある夜のこと。その日は夜勤のシフトだったので夜10時頃に出勤した。前任者と引継ぎを済ませレジに入り、少し経つと電話がかかってきた。内容は以下のとおり。

 「俺は“す○しょう”(いわゆる“ヤ”のつく職業の方)の××という者だ。さっきお前のところで“からあげクン”というのを買ったら中まで火が通ってなかった。客にこういうものを出すとはどういうつもりか」(実際はもっと怖い口調)もちろん、それは筆者が作ったものではないのだが、相手には通らない話である。幸いにして店長代理がまだ残っていたので、対応をお願いした。(贈答用の菓子折持参で謝りにいって、ことなきをえた)

 ただ、その夜は変だった。前に書いたが、そのローソンはアルコールを扱ってないせいもあってか、深夜の来店は5~6人ということもザラだったので、その夜も筆者がウトウトしかかっていると突然「ガッシャーーン!!」という音が。外に面した窓ガラス、つまり雑誌の並んでいるところのガラスが割れたのである。
 よくよく見てみると、駐車する車がバックの目測を誤ったのだった。当たり前だが初めての経験、夜中なので筆者のほかに誰も居ないのだが、とりあえずドライバーさん(若い男性だった)の免許証をコピーさせてもらい、車のナンバーを控えてお帰りいただいたのだった。
 あとで聞いたところによると、その男性は“セルフ・ディフェンス・フォース”の隊員さんで、ガラスの修理代に、支給されたばかりの冬のボーナスが飛んだとの由である。

 ちなみに、大町店のからあげクンについては、筆者がバイトを辞めた平成元年の4月以後、ちゃんとフライヤーで揚げるスタイルになったと記憶している。

2013.10.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 酒場放浪記

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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