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かつて買物公園周辺にあった懐かしの飲食店~ボツネタ編

 前々回の“1周年記念”の回で書いたように、当サフラン放浪記は1年前の2012年8月に、かつて旭川市役所~買物公園周辺にあったが、諸般の事情により廃業、閉店してしまった個性的、かつ愛すべき飲食店に思いをはせ郷愁にひたろうという企画で始まったのである。最終的に11軒のお店について筆者の思いを綴り、以降は身辺雑記や銭湯めぐり、読書日記などのコーナーが主となり現在に至っている。
 だが、実は当時、頭に浮かんだものの、「どうも話がふくらみそうにない」と判断しとりあげるのをやめた店もあった。
 しかし、筆者の方で盛り上がらなくても、読者のみなさんの中には思い出に残っている店が無い、とも言い切れないので、1周年企画の第二弾として(第一弾はもちろん、“サフラン誕生の瞬間”)ここに記してみる。読者諸賢の心に琴線に触れることを祈っている。

 ○エリカ

 「別に・・・・(怒)」いや、こっちじゃない。

 6条本通り8丁目、遠野ビルの地下にあった、いわゆる典型的な軽食喫茶。勤務先からすごく近かったので、たまに昼食で利用した。階段を降りて店内に入ると、マスターと年配の女性二人で切り盛りしていた。薄暗い店内はソファー、テーブルが数脚と漫画雑誌がそこここに雑然と積まれていたものである。今でも良く憶えているのが、ランチは「和風」と「洋風」の2種類。普通、料理で和洋を分けるのは調理法なのだが、ここは、調理法の別は一切問わず和風は魚、洋風は肉、という非常に潔い分け方なので、洋風ランチが「豚肉のしょうが焼き定食」なんて現象もみられたものである。さて、そのランチ、確か600~650円位と記憶しているが、ある日、食べていると例の年配女性が「コーヒーいかかですか?」と聞いてくる。「下さい」の一言がのど元まで出かかった瞬間、いやな予感が走ったので「いくらですか?」と聞いたところ「200円です」。おいおい、こちらは600なにがし払って「ランチ」と名の付く物を注文したのだ。アフターくらいサービスしようよ、と思ったものである。それか、言うにしても「200円でアフターコーヒーつきますが」の一言が欲しいものだ。勘違いしてアフター代払わされた人が結構いるんじゃないか、と思ってしまった。(筆者がセコいだけ?)ちなみに、この店の閉店理由ははっきりしていて、同じビルに入居していた自民党の旭川支部が移転すると、程なく閉店してしまった。なお、買物公園では他にも、かつてあった魅力的なサ店が無くなっている。筆者は映画館とサ店がそのまちの文化度を測るバロメーターだと思っているので寂しい限りだ。サ店文化やサ店メシについても、追々語って行きたいと思っている。

 写真1:「エリカ」のあった6条本通り、遠野ビル。左のパイプシャッターのかかった入り口から地下に降りていく
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 ○だるま屋

 5-4仲(ごーよんなか)8丁目にあった店。残業時の夕飯に出前でたまに利用していた。出前持ちの兄さんがいつも「まいどさんで~~す」と独特の節をつけてもってきたものだ。美登利のおじいちゃん(いかりや長介)、幸来のマスター(小林さん)、とともに買物公園周辺の3大名物出前だったと思う。
 筆者の所属部署では残業での利用だったが、昼食の出前をとっていた部署もあった。たまあに11時半頃という神をも恐れぬ時間帯に「まいどさんで~~す」の声がして、程なく「ズルズル」と麺をすする音が響いたものである。もっとも、そんなときでも昼の休憩は普通に12~1時まで、という、なんとも長閑(のどか)な時代が本当に懐かしい。
 閉店の事情は良く知らないが、内情を知る人に聞いたところ「丼勘定が過ぎたようだ」とのこと。本当だとすれば、そば屋とはいえ、どんだけの「丼勘定」なんだ!である。まるで力道山死後の日本プロレスの末期のようではないか。

 写真2:「旧だるまや店舗」もう随分前に廃業したはずだが、未だにこのまま。何か事情があるのだろうが、非常に見栄えが良くない
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 ○ギンレー食堂

 4条昭和通りにあった。漢字では“銀嶺”(雪が降り積もって銀色に輝くみね)と書く。まさにザ・昭和食堂、といった感じのお店。やはり昼食で、何回か利用したものだ。このお店のスタイルは、まず、ご飯とお味噌汁の「基本セット」とでも言うべきものを頼み、おかずはガラスケースの中から選ぶ、というもの。ここで注意したいのは、庶民的な店の風貌とうらはらに、おかずを思いつくままにたのむと軽く千円を超えてしまう、ということ。注文の時は、はやる気持ちをぐっと抑えて、おかずは1品、奮発して2品くらいにしておきたい。(て言ってももうないけど)
 ちなみに当ブログのタイトルにして筆者(ターメリックマン)の師匠サフランマンはある女性とのファーストデートのディナーでこのお店を選んだそうだ。彼の実直かつ飾らない性格に惚れたのであろう。その女性こそサフランマンの現在の奥様である。
 高級フランス料理がもてはやされたバブル期に、あえてギンレーデートを打ち出したサフランマンのセンスは、やはり只者ではないが、その彼を生涯の伴侶に選んだ現サフラン夫人は、それ以上の大物と言えそうだ。

 写真3:「ギンレー食堂」跡。4条昭和通り。しばらくは暖簾がかかっていたが今は跡形もない。ちなみに右の窓に貼ってあるポスターは旭川出身のムード歌謡、演歌歌手である若原りょうさんのディナーショーのもの。
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 いかがであろう。ご存じの店はあっただろうか。良く考えてみると、どの店も結構前に閉店しているので(一番直近がギンレーで2~3年前の閉店だったはず)若い読者には馴染みが薄いかもしれない。“だるまや”のところで書いたような光景は、昔は当たり前だったが、今ではまず見られないだろう。筆者が社会に出てから、たかだか20年とちょっとだが、昔はやっぱりおおらかだったと思う。
 今回もまた「昔は良かった」と、おやじっぽく締めたい。

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2013.08.28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン銭湯紀行~第17回~菊の湯

(浴場名)菊の湯
(所在地)神楽5条14丁目 (訪問日)平成25年8月25日(日)

 独身時代に車でよく訪れていた銭湯である。“豊岡方面に住んでいた”と、たびたび書いてきたが、常に金欠状態だったころにガソリン代をかけてわざわざ通った理由はのちほど。

 写真1:「菊の湯」外観
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 久しぶりの再訪問。いつもどおり開店5分前の1時55分に行くが、男湯だけで既に先客が10人近く。あんたら何時に来てるんだ?と言いたいところだが老人はヒマなのだろう。
 そんなわけで浴室の写真はご勘弁願いたい。

 写真2:脱衣室にもソファーとテレビがある
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 写真3:脱衣室から撮った浴室
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 銭湯にしては広めの浴室へ入る。構成は主浴槽(打たせ湯あり)、寝風呂、泡風呂、主浴槽2(浅め)、そして有料サウナ。
 まずは主浴槽に入る。打たせ湯に打たれると思わず「あ~~~」と声が出てしまう。十分に温まったあとは寝風呂へ。バイブが心地よく、また、うなってしまった。寝風呂のあと、ちょっとサウナの中を外から覗いてみる。乾式で、広く清潔そうだ。浴槽もそうだが、まちの銭湯というよりはホテルのサウナみたいな風情である。体を洗ったあと、泡風呂でもう一度温まり浴室をあとにする。
 さて、かつて筆者が車でよく通っていた理由、それは漫画類の充実である。

 写真4:広い待合室に漫画がずらりと並んでいる
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 今にして思えば、金はないけど時間だけは売るほどあった独身時代。いかにしてヒマをつぶすかが日常のテーマだった気がする。なにしろネットカフェはおろか(そもそもネットがない)漫画喫茶もない時代。そんななか、“風呂”と“漫画”という“筆者の二大好きなもの”が400円以下で楽しめたのである。(当時の銭湯料金は390円位だったと記憶している)サウナを足してもワンコイン以下なのだ。またガソリンが安かった!筆者の記憶に寄ればリッター70円位だったと思う。
 今回、久々に訪れてみて、懐かしい思いに浸ることができた。
 筆者的にはお湯が若干ぬるかったが、気になるほどでは無いと思う。
 浴室の写真をご紹介できなかったので興味のある読者は一度訪れてみてはいかがだろうか。

 筆者の大切な友人の一人で,当ブログの愛読者でもある「おーじろう」氏が,若かりし頃,この銭湯の近所に住まいし,この浴室と漫画を愛用していたという。
 いつか機会があったら,一緒にここの薬風呂(とはいっても,ガムやキャンディーのような甘い匂いの入浴剤が入った毒々しい色の湯があるだけだが)に入りながら語らいたいものだ。

2013.08.26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

感謝!サフラン放浪記・1周年~サフラン誕生秘話

早いもので「懐かしの飲食店・紹介シリーズ」として始まった当ブログも1周年を迎えることとなったわけである。
 編集長(当ブログの管理人は筆者ではなく,別な人物にお願いしている。)に聞くと、かような駄文に毎回お付き合いいただいている方が何人かおられるとのこと。まこと感謝にたえない。
 思い起こせば1年前。かつて9条通8丁目にあった中国料理店「牡丹園」のことを不意に思い出し、懐かしさにかられて思い出を一気に書き上げた文章。何か書いたら誰かに読んでもらいたくなるのが人の習い性か、筆者と一番近い感性を持っている(と筆者が思っている)当ブログ管理人に送ったところ、あれよあれよと言う間にブログ化の話が進み現在に至っている次第である。飲食店シリーズ終了後、何回かネタ切れの危機に瀕しつつも何とか読者の皆さんの声援をいただき、前回で70回を数えることができた。今後とも1週間を目処に更新していきたいと思っていますので、ヒマつぶしにでも思っていただければ幸いである。
 さて、以前、タイトルの「サフラン放浪記」の“放浪記”の由来についてご説明したが(“吉田類の酒場放浪記”からの部分借用)、今回は“サフラン”についてお話ししたい。
 と言っても難しいことは何もなく、これは筆者(ターメリックマン)の師匠である“サフランマン”にあやかったのだが、では今回はサフランマン誕生の瞬間を披露したい。
 あれはもう20年以上前になろうか。同期入社数人で仕事終わりに晩ご飯を食べていこうとなったときのこと。(その現場には,管理人=編集長も居た)
 我々が向かったのは、当時あった旭川エスタの5階。飲食店街のなかの「タージマハール」である。席につきオーダーのとき。ランチタイムならお得なセットがあるが、夜なのでカレー、ナン、ライスなどをそれぞれ単品で注文しなければならない。各自注文を済ませ(筆者は金欠だったので飲み物かなにかでお付き合いしたと記憶している)、やがてO氏(これがのちのサフランマン)の番。彼は良くメニューを吟味したのち力強く「サフランライス!」とのたもうた。
 もちろん、これだけでは定食屋で「ご飯!」と言ったのと同じ。彼が続けてカレーのオーダーをするものと一同待っているが一向にその気配なし。なんと、(写真入りのメニューでライスに色がついているせいでもあるまいが)、サフランライスをチャーハンかなにかの類と思い、それだけの注文なのだ!もちろん店員さんはあきれ顔。 我々同席者も恥ずかしいので、普通は別にカレーを頼むものだ、とか、筆者も金欠だったが「Oさん、俺もお金出すから何か注文しましょうよ」と持ちかけるも聞く耳もたず。結局、そうして出てきたサフランライスはもちろん、多少の香味はあるものの特段、味があるわけでもなく、だがO氏は「美味い!美味い!」と言って食べているのである。
 さて、驚愕すべきなのはこのあと。最初は引っ込みがつかなくなって負け惜しみでサフランライスを「美味い!」と言っているのかと思ったが、その様子をよくよく見てみると、どうもO氏はただのサフランライスを本当に“美味い”と感じているようなのだ!これには一同、唖然としたものである。また、この夜のO氏は絶好調。インド料理店でインド人のことを「あいつらはバカだ!」と罵倒するなど、まさに“ブレーキの壊れたダンプカー”状態だった。
 以上が輝ける“サフランマン誕生の夜”である。
 ちなみに,かのサフランマンは,夫人と2人の子供に恵まれ,良き家庭人として,今もこの街で暮らしている。

 実は,この話には後日談がある。
 数日後、当ブログの管理人がサフランマンの家に遊びにいったときのこと。二人でパソコンなどをしていると、つい夜遅くになってしまった。
 お互いまだ若く独身で、実家住まいをしていたときのことである。サフランマンのお母さんが夜食にとカレーライスを振る舞ってくれたのだが、管理人によると、「そのカレーのまずいこと、まずいこと!」(普通に市販の固形ルーを使って作るカレーを、どうやって不味くできるのか、読者も不思議だろうがこれは事実である)続けて管理人曰く、「そりゃあ、物心ついたときから、あんなもの食べてたら、ただのサフランライスだって美味しいよなあ」に、筆者と二人で腹をかかえて笑ったものだった。
 では“まともな”サフランライスの食べ方を、

 写真1:職場近くにあるネパールカレー専門店「ニッサル」。たまに昼に利用している
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 写真2:「ランチAセット。野菜チキンカレーにサフランライス、サラダに加えラッシーがつくのが嬉しい」
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 写真3:「サフランライスにはやっぱりカレー。」
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 最後になるが,2年目に入った当ブログ。これからも、なるべく1週以上あけないで筆者のサフラン的日常を綴っていきたい。そして管理人ともどもブログ界の「ゆでたまご先生」を目指して頑張っていく所存なので,読者諸兄には末永くお付き合いをお願いしたい。

2013.08.20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 未分類(その他)

サフラン一人呑み~真夏の夜は“三冷ホッピーで暑気払い

このまちに生まれ育ってかれこれ40年以上になるが夏の暑いのには全然慣れない。(かえって弱くなっている気がする)
8月7日(水)は33.5度だったそうだ。同様の方もおられるだろうが、筆者の職場にはエアコンがないため、ここ数日は意識がもうろうとし仕事の効率もガタ落ちである。(いつものこと?)
そんなわけで帰宅後の一杯のビールのために仕事をしているようなものだが、今宵の一人呑みは気分を変えて三冷ホッピーといきたい。
三冷とは、そういうメーカーがあるわけではなく、“三キン”とも言うのだが、ジョッキ、ホッピー、焼酎の3つが良く冷えていること。
通常、居酒屋でホッピーを頼むと、常温のジョッキに氷と焼酎、そして、やや冷やしたホッピーが出てくることが殆どだが、筆者は自宅で三冷を楽しむことにしている。
用意するものは

写真1:「キンキンに冷やしたジョッキ」
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写真2:「こちらも良~く冷やしたホッピーと焼酎。焼酎は“金宮”で攻めてみる」
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もちろん帰宅後に冷やしたのでは不十分。朝、ジョッキは冷凍庫、ホッピーと焼酎は冷蔵庫に入れてから出勤するのだ。

写真3:「完成。三冷ホッピー」
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かつての一人呑み(トリハイの回)でジョッキが“サッポロクラシック”であることに気づいた読者から「トリスなのにジョッキがサッポロ?」とご指摘を受けたが、筆者宅にはジョッキがこれしかないのでご勘弁を。(それにしてもスルドイ人がいるものである)
ホッピーに合わせる今宵のアテは

写真4:「赤ウィンナー」
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筆者は赤ウィンナーが大好物である。(子供かい!)ちなみにメーカーは絶対プリマハム!

写真5:「ホッピー&赤ウィンナー炒め。なんてヘルシーなんだ」
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ちなみに金宮焼酎298円、ホッピー105円×2本=210円、しめて508円で大体2杯。CS放送のアメリカドラマなんかを見ながらの一人呑みで、日中の疲れも癒されるのである。

話は変わるが8月6日(火)の道新にちょっと気になる、というかショックな記事をみつけてしまった。

写真6:「8月6日付道新、旭川地方面」
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記事によれば4条買物公園のゲオ旭川ビルが解体されるとのこと。要因として、テナントだったコールセンターの撤退と、駅に直結するイオンモールの新築の影響が挙げられている。また、同じく4条の中川ビルもテナントの撤退が進み、買物公園の空洞化が懸念されるとして、記事を結んでいる。
 あれほどの建物が無くなるとすれば影響は計りしれない。6条では須貝ビルが取り壊し駐車場になってから数年がたつ。ゲオ旭川ビルについては、官民挙げて真剣に跡地利用を考えなければシャッター商店街どころか駐車場商店街と化してしまうだろう。
 ところでこの建物はゲオホールディングス(名古屋)のものになる前、そうご電機だったのを憶えておられる方は多いだろう。そうご電機時代、筆者の思い出といえば、小学生の頃、朝並んでガンダムのプラモデル(ガンプラ)を買ったのを思い出す。(当時、結構レアだった「旧型ザク」だったか。)
 だが、本当の意味で思い出深いのは、ここが「まるせんデパート」だった頃である。小学校に上がるか上がらないかの頃だが、たまに祖父に連れられて行ったものだ。
 向かうのは地下。色とりどりにライトアップされた噴水を憶えている。そして食堂で食べたやきそば。いつもカウンターで食べたことと(カウンターしかなかったかもしれない)金属製のお皿に盛ってあったこと、さすがに詳しい味までは覚えていないが「とにかく美味しかったこと」を良く憶えている。

 写真7:「ゲオ旭川ビル。写真には写っていないが向かって左側の壁には取り壊すための足場が組まれている」
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2013.08.12 | コメント(4) | トラックバック(0) | 酒場放浪記

サフラン身辺雑記~筆者的旭川No.1ソフトクリーム

サフラン身辺雑記~筆者的旭川No.1ソフトクリーム

 筆者の正体を知る読者からは「その顔でえ~~?」と言われるかもしれないが、実は筆者は美味しいソフトクリームと聞くと食べずにはいられない男なのだ。
 そんな筆者のイチオシがここである。

 写真1:「田村ファーム。訪れたのは25年8月4日(日)。ここに来て“行列に並ばないことはない”のだが、この日は天気が良かったせいか、今までにない大行列だった」
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 既に行かれた方も多いだろう。スーパーメジャー級を持ち出して恐縮だが、色々試してみて、やっぱりここが一番、好きなのである。
 年に最低1回は必ず奥さんと子供の3人で訪れている。色々種類はあるのだが筆者はシンプルに、

 写真2:「ソフトクリーム」
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 写真3:「この景観を見ながら食べるのが最高だ」
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 筆者宅からだとちょっとしたドライブだが今年中にもう一度は来たいと思う。
 さて、せっかく東神楽まで来たので空港をのぞいて帰ることにした。

 写真4:「旭川空港」
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 駅といい、空港といい、筆者が子供の頃から考えると随分立派になったものだと思う。

 写真5:「レルヒ少佐(最終階級は陸軍少将)像」
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 本邦スキーの祖と言われるレルヒ少佐の銅像。そういえば“れるひ君”という高校生のジャンプの選手がいたと記憶している。(余計なお世話だが)ご両親の望み通りスキーの一流選手になって本当に良かったと思う。これで運動神経が無かったら目もあてられない。単なるDQNネームの兄ちゃんであろう。(本当に余計なお世話ですね)

 写真6:「嵐のパネル」
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 美瑛町でCM撮影を行った嵐の写真パネルがあった。ちなみにCM撮影の行われた周辺は多くのファンが訪れ、大変なことになっているそうだ。聞いた話なのだが、耐えかねた地主さんがわざと景観を崩すため、件(くだん)の木の横に、新たに別な木を植えたとの由。

 写真7:「利尻昆布ラーメン」
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 ここまで来たからには何か収穫が欲しかったので、売店で利尻漁協作製の「利尻昆布ラーメン」を買ってきた。「マツコの知らない世界」で絶賛していたやつである。しばらくは熱いラーメンが食べたい気温でないので、涼しくなって実食したときに再度レポートしたい。
 最後に、今年、今までのところ食べたソフトクリームをご紹介したい。

 写真8:「東光の生協の近くにある“ハッチ”。クリームはすっきりとした味わい。コーンも美味しかった。」
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 写真9:「“えきなか”のソフトクリーム」
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 駅には久しぶりに行ったのだが(普段行く機会が全くないので)随分と変わっていたのでビックリしてしまった。ソフトクリームを食べるためだけに行ったのだが、彫刻美術館の分室などもあり、楽しいときを過ごすことができた。ちなみに写真のソフトは普通に美味しかった。立ち食いそばなどにもトライしてみたいと思うが、再訪する機会はかなり先のことだろう(職場からは自転車で数分なのだが)。前にも書いたが筆者はやはり“ショボい”旧駅舎、特に地下のステーションデパートが本当に懐かしいのである。
 ソフトクリームは他にも東旭川のエスペリオ(こちらも超メジャーですね)に行ったのだが写真を撮るのをつい忘れてしまった。濃厚さやコクで言えばナンバーワンだと思う。なんだかんだ言って旭川の夏は短い。あと何軒行けるか分からないが頑張ってみたいと思う。

2013.08.08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン銭湯紀行・番外編~ときわ湯界隈の思い出

(浴場名)ときわ湯
(所在地)中常盤町2丁目  (訪問日)大昔

 前回の銭湯紀行で「今は無き“ときわ湯”で友人と逃亡犯のネタの応酬をした」という記述をしたが、当ブログを良く読んで下さる方の中には「おや、お前さんが子どものころ通っていたのは“旭鉱泉湯・八条プレジャー”じゃないのかい」と思った方もおられるのでは。
 確かに小学生までは旭鉱泉湯オンリーだったのが、中学に上がってからは「ときわ湯」が加わったのである。
 なぜかというと、ときわ湯へ行けば日章小学校から上がってきた友人達に会えるから。
 読者諸賢にも経験があるだろう。中学に入ると別な小学校から上がってきた奴と妙に気が合って仲良くなる、というアレである。それともう一つ、ときわ湯にはサウナがあったのである。※旭鉱泉湯(前の建物)にはサウナがなかった。(家族風呂の方にはあったのだろうが)
 そんなわけで中学に入ってからはときわ湯の方が多くなっていった。オールスターで桑田と清原が対決し、清原がホームランを打ったのを観たのもときわ湯、今でも良く憶えている。
 さて、筆者宅からときわ湯へ行くには常盤町界隈、分かりやすく言うと水道局の辺りを通って行くのだが、かつてこの界隈にはなかなか味がある飲食店が点在していた。今から約15年前、1999年と現在の住宅地図をご覧いただきたい。ピンクで色づけしてあるのがそれら飲食店で、「ときわパラダイス」、「薄野花街」、「銀扇」など、なんとも優雅ではないか。

写真1、2:「1999年と2013年版の住宅地図。ピンクが懐かしの飲食店(の跡地)。青がときわ湯のあったところ。赤で線を引いたのが(文字通り赤線だが)旧大門通り。」
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また、それらの飲食店の中には「あいまい屋」というか「チョンの間」みたいなのがあって、さすがに今は居ないと思うが、中学時代、友人が“立ちんぼ”をしている嬢(というより“やりて婆”といった方が近いのだが)に声をかけられたり(残念ながら筆者にはその経験が無い。むくつけき友人達と違い紅顔の美少年である筆者に声をかけるのはさすがに婆たちも憚られたのであろう)、これまた中学の先輩が勇猛果敢にも挑んだ結果、数回シゴかれただけでウン万円まきあげられたらしい、などの武勇伝が駆け巡ったものだった。(ちなみにその先輩にしてもまだ中坊である。一体どんな中学なんだ!?)
だが、2013年の地図を見ていただければ一目瞭然、今は全て廃業してしまったようだ。ブログにだけはその残滓を残しておきたいので、「ときわパラダイス」、「薄野花街」の入居店名を地図の別表からそれぞれ拾って書き残しておく。「ときわパラダイス」~・津軽屋・初恋・いずみ 「薄野花街」~・ゆめじ・夜・よりみち・れいこ・小春・・・・時代の流れとはいえ、こんな味のある飲食店がなくなるなんて、なんとも残念な限りである。

写真3:「ときわ湯跡地」
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写真4:「銀扇跡地。後ろのブロック塀がわずかに建物があったことを偲ばせる」
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写真5:「ときわパラダイス跡地」
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写真6:「薄野花街跡地。右のモーテル(筆者はラブホテル、というよりこっちの呼び方が好きである)の駐車場と成りはてた。ほかも車庫や駐車場ばかりである」
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 なぜ、この界隈にこのような飲食店が複数あったか。当ブログの読者には説明無用であろう。詳しくは当ブログ2012年12月10日付、「銭湯紀行:亀の湯の回」をお読みいただきたいが、写真1、2の地図上で赤く引いた線の通りが通称「大門通り」と言って、その大門通りから道楽橋を渡って牛朱別川(の当時は支流)を越えたところに、明治から戦後にかけての旭川の一大花街、「中島遊郭」が、今の金星町の辺りにあったのである。近年まで常盤町界隈にちょっと怪しげな飲食店が残存していたのは、その名残なのだろう。

写真7:「今も唯一“中島”の名残が残る中島交友会館」
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写真8:「“立ちんぼ”の歴史は八条の稲荷小路に細々と引き継がれている。ある人のブログによればここは北海道に現存する唯一の「チョンの間」だそうではないか。行政は文化遺産として大事に保護しなければならないだろう(学芸員として筆者が常駐しても良い)」
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結局ときわ湯には中学から高校のあいだ通ったと思う。高校のときは部活で減量が必要になったときに良くサウナを利用したものだった。
 最後に話は変わるが、かつて駅前から買物公園の両側をひさし、アーケードが覆っていたのを中年以上の読者はご存じだと思う。今は全て撤去されているが、撤去の少し前まで老朽化が問題視されていた。そんななか撤去を決定づけたのが、一部のアーケードが雪の重みに耐えかねて落ちてしまったことである。幸いにもそのとき、下に人は居なかったのだが、もし居たら、まず助からなかっただろう。その崩落事故で一気にアーケードの全面撤去が決まったのだった。何故こんな話を書くかというと、筆者は崩落の1時間ほど前に、ときわ湯に行くために、まさにそのアーケードの下を歩いていたのだ!あと1時間、筆者が自宅を遅く出ていたら・・・・このような駄文を披露することも出来なかったわけである。

写真9:「崩落のあった八条斜線。買物公園の終了地点。画面に切れているが右側がロータリー」
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写真10:「かつてはアーケードの上を歩行空間にするプランがあった。その名残が残るのがヨシタケパークビル。2階部分が(写真のほぼ中央)ガラスの出入り口に出来るようになっているのがお分かりか。メイドカフェ・エデンには、いつか潜入ルポを敢行してみたいと思っているのだが、中々ふんぎりがつかないでいる。」
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2013.08.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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