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サフラン銭湯紀行~第13回(いこい湯)

(浴場名)いこい湯 
(所在地)5条通24丁目    (訪問日)平成25年6月23日(日)

写真1:「いこい湯外観。隣は“ヘアーサロンいこい”」
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訪れたのは開店10分前の午後1時50分。だが既に男湯だけでも先客3人。番台の感じの良い奥様に料金を支払い脱衣室へ。創業はかなり前なのだろう。脱衣室には懐かしの昭和アイテムの数々が。

写真2:「木製ロッカー」
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写真3:「ロッカーに据付けの扇風機」
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写真4:「ロッカーの上にはかつて使っていたのだろう、傘立て」
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写真5:「女湯との仕切り上部には地元企業の広告看板と天井扇」
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服を脱ぎ浴室へ入る。浴槽の構成は薬風呂、泡風呂、ゲルマニウム温浴とサウナ。

写真6:「手前から薬風呂、泡風呂、ゲルマニウム温浴。窓際には観葉植物が」
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写真7:「サウナ」
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まずはゲルマニウム温浴に入ってみる。昭和銭湯の多くには“ゲルマニウム湯”や“ラドン湯”があり、効能が色々と挙げられているのだが、実際のところ、どうなのだろう。細かいことはともかくとして、充分に温まったあとサウナに入ってみる。こちらも昭和テイストたっぷりの湿式サウナだが、中はとても熱かった。10分ほど、たっぷりと汗をかき満足してサウナを出る。当銭湯紀行を始めてはや10余軒。比較的新しい銭湯は乾式サウナ、古いところは湿式の傾向にあるようだが、どうも筆者は湿式の暴力的な熱さが好みのようだ。サウナのあとは体、髪を洗いひげも剃ってすっきりしたところで再び浴槽へ。今度は薬風呂、泡風呂の順に堪能して浴室を後にする。

写真8:「休憩スペース。手前は入り口と下足箱」
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しばし休憩スペースで汗が引くのを待つ。スポーツ紙、週刊誌がないのが残念だ。机の下のマガジンラックには古い「北海道経済」誌が数冊あるのみ。
ところで銭湯文化を語る上で欠かせなく、当紀行でも注視しているのが壁画、タイル画だと思う。こちら“いこい湯”では珍しく、サウナ内の壁にあった。というより、元々、壁画があった場所に後でサウナが置かれたのだろうか。ともあれ、こちらの壁画はタイル画。つまり小さなモザイクタイルの一枚一枚に色がつけられ、やや距離を置いて見ると綺麗に見えるというものである。題材は滝と渓流の前に洋装の若い女性が二人佇んでいる、というもの。写真7でおぼろげにお分かりいただけるだろうか。筆者と同様の“銭湯壁画フェチ”の方がいれば(いるかい!)ぜひ訪問いただければ、と思う。

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2013.06.27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフラン読書日記・7~「地上の記憶」

著者:白山 宣之    双葉社    1,200円+税

写真1:「デザインは大友克洋さん。」
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著者の白山宣之(しらやまのぶゆき)さんは21012年4月、59才の若さで、癌で亡くなった。本書は旧友たちが2013年4月に刊行した遺作集である。
五作の短編から成り、作品の合間〃〃に、大友克洋さん、谷口ジローさん、山本おさむさんなど錚々たる人々が追悼文を寄せている。
特に大友さんとは仲が良かったようで、一緒に酒を酌み交わし、夜通し映画について語り合ったり、あるときは互いにアシスタントのやりっこ!をしたのだそうだ。(人物の顔など共通点があるのはそのせいか)
さて、白山さんの作品について、とにかく画力がすばらしい。そして(全てのストーリー漫画に共通して言えるが、白山作品は特に)カット、コマ割など非常に映画的である。
それぞれの作品について言うと

写真2:「陽子のいる風景」
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母親は既に他界し父親と二人暮らしのOL、陽子の日常を淡々と描いた一作。皆さん、お感じのとおり“小津”である。著者は容易く描いているように見えるが、漫画でこのリズムを描くのは(筆者には)並大抵の技量ではないと思う。

写真3:「ちひろ」
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こちらは幼くして父を病気で亡くし、今また母が入院しており、(病状はそんなに重くはないようだが)弟の面倒をみながら将来に漠然とした不安を抱えている中学生、“ちひろ”の物語。舞台など詳細は明らかではないが、一連の“大林作品”に通ずるテイストを感じる。

写真4:「Picnic(ピクニック)」
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こちらは白山さんの好きだった“黒澤”だろうか。ちなみに題名の“ピクニック”とは、さむらいの合戦(本作では関ヶ原)が近在の村人や百姓たちには物見遊山であり娯楽である、という斬新な着想に基づくものである。

写真5:「Tropico(トロピコ)」
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一転して“バタくさい(死語?)”タッチで、かつ大胆な構図のアクション。まさに「何でもござれ」といったところである。

筆者もそこそこの“漫画読み”なのだが、これほどの実力者を知らなかった。
とにかく寡作の作家さんだったようである。
1974年、同人誌から始め同年、「ガロ」でデビュー。以来、漫画アクション、モーニング誌などに(メジャーどころはこの2誌ぐらいなようだ)短編を中心に発表。生涯で出した単行本が95年に1冊と97年に1冊。そして遺作集である本作のわずか3冊のみ!
安部愼一さんの追悼文によると、毎日2.5リットルの焼酎を呑んでシラフと変わらなかったそうだ。また、山本おさむさんによると「常に家賃に追われ、借金できるところからは借金し尽くし~中略~しまいにはベトナム味醂なる怪しげな焼酎をただ安いからという理由で常飲し、臓器がひとつ溶けてしまって病院に担ぎこまれ~中略~ファンタジーおじさん面目躍如の生活ぶりであった」との由である。
それにしても焼酎2.5リットル・・・どんなのを呑んでいたのか分からないが控えめに20度としても日本酒換算で約2升である。筆者も「嗜む程度の人なら“へべれけ”になって翌日はひどい目に合う」量を毎晩呑むが、これには叶わない。
今どき珍しい破滅型、芸術家タイプの作家さんであろう。
だが、死の翌年に多くの友人が遺作集を作ってくれ、こうして作品が残る。
“そうなりたい”とは決して思わないが“ものを創るひと”に、ほんの少しうらやましさを感じてしまうのである。

2013.06.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書

サフラン激辛グルメ~味の三平:旭川激辛の聖地~

超メジャーどころを持ち出して恐縮だが旭川の激辛グルメを語るうえでここを避け通る訳にはいかない。今日6月15日(土)は娘が校内合唱コンクールの打ち上げで夜は居ない。奥さんのリクエストもあり二人で訪れた次第である。

写真1:「味の三平外観」
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ここの名物は言わずと知れた“激辛三平味噌ラーメン”だ。迷わず注文。

写真2:「激辛三平味噌ラーメン。750円也」
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ガラケーの写真でも辛さが伝わるのでは。また、初めて見た人はその器の大きさに驚くのではないだろうか。丼というより洗面器である。

写真3:「麺は暖簾によると須藤製麺」
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麺を持ち上げてみると、スープの粘度が濃いので、すぐ流れ落ちずにからんでいる。麺だけ見たらソース焼きそばのようだ。
まずはスープをすすってみる。ここの激辛味噌の特徴は、最初、独特の甘みが感じられ、一瞬「あれっ」と思ったときにパンチの効いた辛さがやってくる。次に麺を攻めてみるが、このとき調子に乗ってあまり勢いよくすするとスープが喉の奥に飛んで、辛さにむせてしまうのでご注意を。実は筆者は須藤の麺は独特の臭いが正直苦手なのだが(カン水の使い過ぎと筆者は読んでいるが)、激辛ラーメンだとスープの味がそれを凌駕して、全く感じない。麺の茹で具合も“やや柔らかめ”で筆者好みである。調理と接客は主に馬場さんというおばさんがなさっている。感じのいい接客で、大きめの水の容れ物(氷を入れたばかり)を各テーブルに置いてくれるのも嬉しいサービスである。(と言うより水の助けを借りなければとうてい平らげることができないのだが)
大量の汗をかきながら何とか麺と具は完食できたが、“全ツユ”は断念する。それでも充分に満足して帰宅した。
あとは一人呑みが筆者を待っている。今宵のアテはこれ。

写真4:「ニッポンハム、二刀流ソーセージ」
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何でもかんでも大谷に引っかけりゃいいってもんじゃねーだろっ!的な一品だが奥さんが面白がって買ってきたもの。今日みたいな暑い日にはビールにピッタリだろう。

写真5:「“食べ方二刀流”だそうだ。ここまで商魂たくましいと、かえって清々しい。」
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写真6:「完成。スモークはボイルしてケチャップと、白は焼いて粒マスタードと合わせてみる」
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食べてみると普通に美味しかった。興味のある方は話のタネに一度試してみてはいかがか。
さて、今日土曜日、北海道は週刊文春、新潮の発売日である。新聞の広告に、週刊新潮の気になる見出しを見つけてしまった。

写真7:「大谷翔平に夜の二刀流を伝授する!?日ハム先輩投手の実績」
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記事を読んでいないので詳しく分からないが大谷クンを“すすきののエース”に育てようとする先輩がいるのだろうか。まぁ、読者諸賢には釈迦に説法だろうが19才くらいの男の頭の中なんて女のことで一杯である。ただ、同じ花巻東の先輩であるK池Y星選手の成績がしばらく芳しくなかったのも、一説によればK池が風俗遊びにはまったから(あくまでも“一説によれば”ですよ!)と言われているので、大谷クンも今のうちはまだ“すすきのの敗戦(性欲?)処理くらいに抑えておいてほしいと、老婆心ながらに思うのである。

2013.06.18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン檄辛グルメ ~今年最初の“リーの30倍”を食す~

久々の新コーナー。
唐突だが筆者は辛い物が大好きである。特に外食のときなど、辛さが選べるものは、つい最高の辛さを選んでしまう。本コーナーでは折にふれて、筆者が食した檄辛グルメを紹介していきたい。

写真1:「グリコ“LEE(リー)”30倍」
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レトルトカレーのリー、通常は10倍と20倍の2種類のラインナップであるが、毎年夏期限定で30倍が発売される。筆者宅にとっての夏到来はリーの30倍が発売されるときなのだ。今年も早速買ってみた次第。

写真2:「外箱から出したところ。」
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辛さ30倍であるが、附属の辛み増強ソースを使うことで45倍になる。

写真3:「辛み増強ソース」
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昨年まではたしか“ジョロキア”というソースだったはずだが、今年は“トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラー・ブレンド”という、やたら長ったらしい名前のものに変わっている。
それにしても“スコーピオン”ですよ!長州力もビックリではないか。

写真4:「スコーピオン・デス・ロック~サソリ固め」
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早速ご飯と合わせてみる。

写真5:「湯せんしてご飯にかけたところ。この段階では普通のカレーに見えるが・・」
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写真6:「辛み増強ソースをかけてみた。なんだか禍々しいものを感じる」
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一口、口に入れた瞬間強烈な辛さ、というか痛さが口の中に刺さってくる。個人的な感想だが去年より確実に辛くなっていると思う。ヒーヒー言いながらなんとか完食できたが、しばらくは口を閉じることができなかった。満足である。今年、あと何回、食することになるだろうか。
続いて紹介するのは、こちらも定番檄辛グルメ。

写真7:「カラムーチョ・燃えるチリ味・辛さ8倍」
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これは、筆者の辛いもの好きを知っている奥さんが買ってきてくれたもの(リーもそうだが)。
思い起こせばカラムーチョとの出会いは中学生位のことだったと思う。
その頃から辛いものが好きだったが、当時あったのはせいぜい柿の種。とうてい筆者を満足させるに足りない。そんなときに現れたのがこのカラムーチョである。未体験の辛さもさることながら、嬉しかったのがその“量”!常に腹ぺこだった筆者の食欲を充分に満たしてくれたものだった。
さて、ビールを準備して「燃えるチリ味・辛さ8倍」を試してみる。

写真8:「袋から出したところ。見た目はノーマルのものと殆ど変わりないが・・」
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これにはビックリした。なにせ1本、口に入れただけで辛さが口の中に突き刺さり、顔から汗が出てくるのだ。さすが“8倍”の面目躍如といったところだが、4分の1くらい食べたところで既にビールを1本飲み干してしまった。これでは、どれだけ呑めば良いのか分かったものではない。残りを袋にしまって後日いただくことにした。

初回はメジャーどころの紹介となってしまったが、まだまだ筆者の知らない檄辛グルメはあるわけで、今後も不定期に筆者が実食した檄辛フーズを紹介していきたい。

2013.06.13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン銭湯紀行~怒りの紫煙~

(浴場名)豊栄湯 (所在地)旭川市永山2条21丁目 (訪問日)平成25年6月9日(日)

 本日の天気は晴れ。最高気温は30度とのこと。明日から始まる1週間も30度超の日々が続きそうだ。やっと北海道の短い夏が始まった。
さて、こんな日は銭湯で汗を流してビールが一番である。訪れたのはこちら。

写真1:「豊栄湯外観」
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 国道39号線に面する銭湯。1階は国道から手前が整体治療院。奥が豊栄湯。2階はアパート(入居者募集中)になっている。
 午後2時30分の開店時刻よりやや後に訪問。番台の女性に料金を払って脱衣室へ。

写真2:「脱衣室。ロッカーが並ぶ」
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写真3:「あんま椅子と体重計」
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写真4:「かつてはどこの家にもあった“ぶら下がり健康器”と“ルームランナー”」
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まさに昭和テイストそのものである。嬉しい思いで服を脱いでいるとある物が眼に入った。

写真5:「コインランドリー」
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 今まで色んな銭湯に通って来たがこれは初めて。そういえば、ここは旭川大学の近くだった。学生が風呂に入る間、洗濯を済ますのだろうか。
 それはともかく浴室へ。既に先客がいて筆者に「“お前、誰や”光線」を放ってくるので写真はご勘弁いただきたい。まず入った時の印象は窓が無いこともあるのだろうが「薄暗い!」である。まるで田舎の鄙びた温泉のようだ。そして目を引くのが市内の企業の広告である。特に男湯と女湯の仕切りの上部にネオン看板があり、良い味を醸している。
 浴槽の構成は薬風呂(これが主浴槽)と泡風呂(バイブラーと表示)、それに超音波風呂とサウナ。
まずは薬風呂に入ってみる。若干ぬるいが今日みたいな暑い日にはかえって丁度いい。そのあとサウナへ。古い湿式サウナなのでどうかと思ったが入ってみると熱い!5分ほどで充分に汗をかいたあと体を洗い最後は泡風呂で締め。泡風呂は充分に熱く満足して浴室を後にする。
ちなみに桶は珍しい、白いケロリンおけ。

写真6:「白いケロリンおけ。黄色いのは良く見るが白は珍しい。」
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 そんなわけで、風呂には満足できたのだが非常に残念な点が一つ。
 待合室(番台の前のスペース)に休憩スペースがあるのだが、テーブルが一つとそれを挟むように長椅子が二脚。その横に大きな灰皿があり壁には喫煙所の表示が・・・。つまり非喫煙者は椅子に座って休むことができないのだ!(ちなみに待合室にはほかに十分なスペースがある。椅子とテーブルを置くだけで非喫煙者のための休憩所も作れるのだ。)
 幸い、今回はほかの客が居なかったため、ゆっくりと汗を引かせることが出来たが、スモーカー達が紫煙をくゆらす中で自分が小さくなっている姿を想像するとゾッとしてしまう。
 今どき、この非喫煙者に対する配慮の無さは呆れるのを通り越して驚きを禁じ得ない。再び筆者がここを訪れることは二度とないであろう。

Never、そう、Neverだ! (>_<)

2013.06.11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフランまちあるき~“しょうこんさい”の思い出と“なみだ雨”の謎

毎年、6月4~6日は北海道護国神社慰霊大祭である。多くの旭川市民は単に“護国神社祭”とか“常磐公園のおまつり”と呼んでいる、このおまつりだが、筆者には“しょうこんさい”の方が馴染みが深い。子どもの頃、周りの大人達がこう言っていたからだが、当時は意味が良く分からなかったものだ。大人になった今なら分かる、“招魂社”の“お祭り”だから“招魂祭”なのだと。
旭川で生まれ育った人なら、小さい頃から「戦争で亡くなった兵隊さんのおまつり」と「必ず“なみだ雨”が降る」の二つは耳にタコができるほど聞かされたのではないか。
 昔は学校が最低1日は休みになった。そして親戚中が集まり(ということは社会も休み状態だったのだ!)大人達から“お祭りのお小遣い”がもらえるのがとても嬉しかった。(夏の“プチお正月”みたいなもの)お小遣いを握りしめ、従兄弟たちと常磐公園にくりだし、型抜きやヨーヨーすくいに興じたことを昨日のことのように思い出す。
 護国神社は職場から自宅アパートへの帰り道にある。子どもが大きくなってからはとんとご無沙汰だったが久しぶりに寄ってみた。

写真1:「北海道護国神社」
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写真2:「露店が軒を連ねる」
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写真3:「必ず買ってしまうジャンボフランク」
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向かいのローソンで買ったビールとジャンボフランクを片手に神社内を散策してみる。

写真4:「神社本殿。多くの人が拝礼していた。護国神社への畏敬の念は旭川市民のDNAに組み込まれているのかもしれない」
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 写真2で見ると閑散としているように思われるかもしれないが、それは偶然のシャッターチャンスで、とても多くの家族連れなどで賑わっていた。
 ところで、かつて護国神社祭の期間内に行われていたのが北海道音楽大行進である。ところが、いつの間にか6月の第2土曜日になっていた。(なので今年は6月8日)
 これでは祭典期間内の開催はありえない。だが、昔、音楽大行進は慰霊の意味合いが強かったのである。(冠にはっきりと“慰霊”がついていた時期もある)
 筆者の在校時、知新小学校は6年生が全員参加だった。今はスタート地点が旭橋たもとのリベラインパークだが、当時は護国神社を出発点とし、国道40号線を行進して(片側車線規制)ロータリーと8条斜線の間でマーチング(というのだろうか、隊列を組んで色々な動きをするやつ)をしたのち、永隆橋通を南下して宮下通りがゴールであった。曲は今でも憶えている「錨を上げて」。
 護国神社がスタートでなくなり、そして祭典期間内の開催がなくなったことで慰霊の意味はどんどん薄まり、そして全く無くなってしまった。様々な事情があったのであろうが、どうも左寄りの意図を感じるのは筆者だけか。当ブログでは政治、信条的なことは書かない主義なので極力抑えるが、「お国のために」泣く泣く死んでいった英霊の魂に敬意を表し、悼むことの何が悪いのか、筆者に得心させることが出来る人がいれば(いないだろうが)出てきてほしい。
 書きすぎたか。最後に“なみだ雨”について。昨日は降らなかったし今日(6月5日)も夕方までずっと晴れである。明日も晴れの予想なので今年は降らないかと思っていたら6時を少し過ぎたころから急にパラパラと雨が降ってきた。「やっぱり降るものだな」と思いつつ散策も終わったので帰途に着いたのだが、ふと空を見上げると、あることに気づいた。

 写真5・写真6:「晴天と雨雲の境目」
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 写真5は護国神社の方から末広方面を見たもの。写真6は逆に末広方面から神社の方向をみたものである。晴天と雨雲の境目がくっきりと見てとれる。つまり、丁度、護国神社のある一帯を雨雲が覆っているのがお分かりだろうか。

2013.06.07 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

闘魂30年の呪縛

ここに丁度今から30年前の新聞がある。北海道新聞、1983年6月3日版。記事は3面の左側。(四コママンガの下)

写真1:「1983年6月3日付 北海道新聞」
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 記事の内容は前日に行われた新日本プロレスのIWGP(後述)決勝戦の結果を伝えるもの。有名な“猪木ベロ出し失神事件”である。見出しこそ「ひじ打ち一発“闘魂”も参った?」と茶化し気味だが記事の内容は終始「猪木選手」「ホーガン選手」といった具合で、真面目に試合結果、というより猪木が病院に搬送されるまでを伝えるものだ。 なお、記事中では“アックスボンバー”という技のことを“ひじ打ち”と表現しているが、鍛え上げたハルク・ホーガンの腕をガッツポーズのようにして、相手の顔面に叩きつける、という必殺技である。
閑話休題(それはさておき)、読者諸賢もご存じの通りプロレスの試合が一般マスコミで報道されるなど非常に珍しいことなのだ。この「猪木病院送り」は当日の日本テレビのニュースでも流れたとのことである。
 さて、プロレスに詳しくない人のためにIWGPとは何かというと、もちろん池袋ウエストゲートパークではなく、当時アントニオ猪木が世界各地の強者を集め本当のチャンピオンを決めよう、と提唱し、自ら保持するNWFチャンピオンを返上して(このタイトルもジョニー・パワーズというレスラーから金で買ったものだが)、世界各地域の代表を集め行ったリーグである。大人になった今から見ると、各地域の代表といっても疑問なレスラーも多く、また世界のマーケットがそんなことを認める訳もなく、日本の、いや、新日本プロレスのローカルタイトルに過ぎないのだが、筆者を含む当時のプロレスファンは充分に熱狂したし、昭和新日本プロレス、過激な仕掛け人の新間寿氏によると、タイガーマスクブームも相まって、新日史上最大の利益をもたらしたそうである。リーグ戦は日本各地で行われやがてシリーズ最終日の決勝戦、勝ち上がったのは順当にアントニオ猪木と“トップガイジンレスラー”として売り出し中のハルク・ホーガンである。
 試合の経過を簡単に振り返ってみる。

 写真2:「序盤~中盤は普通のプロレスの試合。猪木のコブラツイストがホーガンを責め立てる」
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 写真3:「ホーガンの全体重をブリッジで支える猪木。全盛を過ぎたとはいえ社長業をこなしながら、素晴らしいコンディションだ。考えてみたら今の筆者より3つ年下なのだ!(トホホ)」
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 写真4:「ぶれていて申し訳ない。場外乱闘の折、ホーガンに背中を見せた猪木の背後からアックスボンバーが襲いかかり、猪木は鉄柱に頭を打ち付ける」
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このあと、無防備にリングサイドに立った猪木に、先にリングに戻っていたホーガンが2発目のアックスボンバーを放つ。リングサイドから場外に転落した猪木はそのままKO。リング内に戻されるも、目をつむり、うずくまって舌を出した姿は昭和プロレス事件史の一つに数えられ、記憶にある読者も多いだろう。試合はそのまま猪木のカウントアウト負けとなり、結果、勝利をおさめたホーガンが、初代IWGPチャンピオンとなった。

 写真5:「猪木はベロ出しのあと大の字に。新日本プロレス関係者がリングに集まり場内は騒然となる」
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 写真6:「“どうなってるんだ?”といった表情のホーガン。対するのが昭和新日本プロレス過激な仕掛け人、新間寿氏」
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 試合の経過はざっとこんなところである。筆者を含め多くの多くのファンは猪木の勝利を疑っていなかっただけに、この結果は衝撃であった。そのため冒頭の道新を含め、少なくないマスコミもこの結果に関心を持つに至ったのだ。
 確か、筆者の記憶ではこの後、猪木は1月ほど療養目的で休場し、復帰戦の相手はディック・マードックがつとめた(卍固めで猪木の勝ち)と憶えている。
 さて、ここからが今回のポイントなのだが、この試合については近年、以下のようなことが言われている。
 曰く、そもそも人は気絶したときに舌など出さない。曰く、しばらくは絶対安静のはずの猪木がその晩、病院を抜け出していた。曰く、翌日、坂口副社長が机の上に「人間不信」と書いた紙を残ししばらく失踪した。などなど、つまりこの試合は、普通に猪木が勝つシナリオが書かれていたにも関わらず、猪木が勝手なアドリブで試合結果を変えてしまった、というものである。
 筆者の考えはどうか、というと、まず試合は猪木が勝つことになっていたと思う。それを伺わせるのがこの写真。

 写真7:「観客のコールをたしなめるホーガン」
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 この場面は何かというと、場内の観客が一斉に大猪木コールを始めたのだが、その声がかえって気絶中の猪木に差し障る、と考えてホーガンがファンに「押さえて、押さえて」という仕草をしているところである。表情を見ればホーガンが本当に心配しているのが見て取れる。
試合は猪木が勝つことになっていたとして、ではあれは本当に試合中のアクシデントか、それとも猪木の芝居か、ということになる。
 アントニオ猪木と言えばカールゴッチ仕込みのシュートテクニックを持つほかに、「箒とでもプロレスができる」と言われるほどのプロレス巧者である。ましてや自身のレスラー人生をかけた大一番。アクシデントで失神するといった失態をおかすとはとても考えられないのだ。(猪木のコンディションの良さは写真3のブリッジをみていただければお分かりだろう)
 だとしたら何故、猪木は多くのファンをがっかりさせ、大事な側近にまで不信感を抱かせかねない暴挙に及んだのか。
 ここで、特に45才以上のプロレスファンなら、この時期、猪木がある一つの言葉をしきりに叫んでいたのを覚えているだろう。「プロレスに市民権を!」“市民権”とは耳慣れない言葉だが、簡単に言えばプロレスも野球や相撲など他の競技と同様に扱って欲しい、試合結果なども普通に報道して欲しい、と訴えていたのだ。
 IWGP決勝戦、普通に猪木が勝っても、伝えるのは専門紙や専門誌のみである。一般マスコミはスポーツ面でも歯牙にもかけまい。だが衝撃的な猪木の敗北、病院送りならどうか、いやでも世間の耳目を集め、同時にプロレスの凄みを世間に伝えることができると猪木が考えたとしたらどうか。
 筆者はこのように愚考するのだがいかがだろうか。
事の真相について、恐らく猪木は墓場まで持って行くつもりだろうし、(引退後に書かれた自伝はかなりつっこんだ、つまり「ここまで書くか」といった内容だがそれでもこの件についてはスルーだった)関係者からもこの先、漏れてはこないだろう。
最後に翌年に行われた第2回IWGPについて少しだけ。決勝に残ったのは前年に続きアントニオ猪木VSハルク・ホーガン。今年こそ猪木の勝利を期待したファンだったが結末はなんと!場外戦になったときに長州力の乱入によりノーコンテスト。さすがに、これには納得できないファンが暴徒と化し、暴動に発展。蔵前国技館はしばらくプロレス興行禁止になったのではないか。これももちろん猪木の描いた絵なのだろうが、こんなことをして一体なんの意味があるのだろうか。つくづく猪木という人は不思議な人である。

2013.06.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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