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サフラン身辺雑記~我がバイト遍歴

「アルバイトをしたことが全くない」という人は少ないだろう。筆者も18才で社会に出て以来、ずっと今の勤務先だが、学生時代は自分の小遣いを稼ぐためバイトをしたものである。ただ、そんなに多くはない。中学生のときは新聞配達、高校生の時はコンビニのパートである。
 新聞配達は確か中2の春から高1の夏までだったと記憶している。最初は道新の夕刊から始め、次に朝刊と夕刊。最後に朝日の朝刊を配った。(道新をやめた経緯は全く憶えていない。販売店との喧嘩ではないことは確かだと思う)
 その新聞配達、夏は雨の日を除けば楽勝なのだが、冬の寒さと雪は本当にしんどかった。寒さは厚着ではなんとかなるが、雪の方は、大雪が降るなか悲しい思いで空を見上げたのを憶えている。ちょっとしんみりしてしまったが、子供の小遣い稼ぎには十分だった。特に朝夕刊を配達していたときは給料が4万位もらえたものだ。(当時丁度、紙幣のデザインが変わるときで、福沢諭吉の1万円を初めて見たのが封筒から出した給料だったのを良く憶えている。)バイト代の多くは映画に使ったと記憶している。筆者の人生で一番映画を見たのが中学時代だった。(映画については別な機会で語りたい)あとバイト代でプロレスを生で観戦できるようになったことも嬉しかった。高1の夏でやめた理由は記憶が定かでないが、たしか当時、部活に熱中していて、合宿などで、まとまって休む必要ができたからだと思う。
 そして3年生の初夏、高校総体の予選が終わり(ということは見事予選落ち)時間が空いたのでまたバイトしようと思った。また新聞配達でも良かったのだが、なにか別なことをしたかったので、思い切って近所にあった、当時、しげく通っていたローソンに行ったのである。
 店長さんを呼んでもらいバイトの口はありませんか、と尋ねたところ「うちには求人はないが大町店に行ってみて」とのこと。今の護国神社の向かいのローソンではない。当時、護国神社の斜め向かいの方、お弁当の“ニューまごころチェーン”や居酒屋の“がんび”の並びにローソンがあったのである。
 その大町店に行き、店長代理さんに面接を受け(何故かその店は一番偉いのが代理)すぐ採用。
 このローソンでは仕事以外が楽しかった。新聞配達は人とのコミュニケーションがあまりないが、ここでは一緒に働く人がみんな同年代かちょっと上の人たち。学校以外に知り合いや友達ができたのが新鮮だった。また、10月下旬になると、就職も決まったため、午後10時から翌朝7時までの夜勤にも入るようになった。(もう時効だと思うので書くが完全に労働基準法違反である)(>_<)
コンビニの夜勤、というと高校生にはかなり刺激的な大人の世界を垣間見せてくれそうだが、なにせその店はアルコールを置いてなかったこともあり、深夜から早朝までの客が5、6人ということもザラだったので、そうでもなかった。ともあれ、夜勤にはいると生活がガラッと変わる。朝7時まで働いて帰宅後、すぐ登校。授業中は受験勉強にいそしむクラスメートを横目に居眠り。帰宅するとまたバイト、なんて日が続く。また夜勤は時給も高く、給料は最後の方では12万円位もらっていたのだから、とんでもない高校生もあったものである。結局そのローソンには就職直前まで働いていた。4月に新しい(つまり今の)勤務先からもらった最初の給料が、基本給が9万円台で手取りが8万円台、バイトの頃よりも下がったのを今でも良く憶えている。

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 写真1:「道新M販売店」今回この写真のために久しぶりに訪れたのだが実に懐かしかった。

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 写真2:「当時のローソン大町店だった建物」長くテナントが定着しなかったが、ここ数年はこの美容室で落ち着いている。筆者の娘(今春で丁度、高3)がここを懇意にしている事が感慨深い。

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2013.02.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフラン身辺雑記 ~ごく私的な“目”のはなし

先週末から休日にかけて目の異常に悩まされていた。
 具体的に言うと目の奥がゴロゴロし“目やに”が止まらない。朝起きてもまぶたがくっついて開けるのに一苦労、といった塩梅。
 分かった人もいると思うが“はやり目”、つまり“結膜炎”にかかってしまったのである。
 目を開けているのもつらい。これでは仕事にならないので眼科に行ってきた。
 お医者さんの診断はやはり急性結膜炎。処方箋を書いてもらい、薬をもらってきた。

 写真:「薬」
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 結膜炎の薬は2種類くれる。右の薬は菌を殺す薬。左は炎症やアレルギーをおさえる薬である。
 ちなみに左の薬はジェネリック。調剤薬局でジェネリックを薦められたのはこれが初めて。
 ともあれこれでひと安心である。薬さえ使えば1~2日で症状は治まる。
 筆者は高校卒業までは視力は左右ともに2.0であった。それが卒業後、仕事を始めてから視力が悪くなっていった。当時は今と違い書類は殆ど手書き。筆者の字を書く姿勢が悪いのも要因だがどんどん視力が落ち6年目にして遂に眼鏡をつくることに。以後、徐々に近視が進むとともに乱視が入ったりしてきたのだが昨年、遂に“アイツ”がやって来た。
 そう、老眼である。老眼とは皆さんご存じの通り近くにピントが合わない「離せば分かる」状態である。既になっている人には分かってもらえると思うが、眼鏡を外したりつけたり、また外したりつけたりと、とにかく面倒である。42才での老眼は早いのだろうか。筆者のまわりではあまり聞かないので、やはり早いのだろう。
 ところで「は・め・まら」という言葉をご存じだろうか。
 「は」とは「歯」、「め」は「目」、「まら」はちょっと下品だがいわゆる「イチモツ」のこと。
 普通、男はこの順番に悪くなっていく、というか役に立たなくなってくる、という意味である。
 (筆者はどちらかというと「は・まら・め」といった感じだろうか)。
 イチモツの話ついでに最後にジョークを一つ。
 
前線に送られた若い兵士。性欲の処理にどうしても困ってしまい、やむを得ず上官に相談した。
すると上官、
「よし分かった。あそこに大きい樽があるのが分かるな。あの樽の横腹に穴が開けてある。そこへ自分のナニを入れてみろ。」
 兵士はそのとおりにした。すると、なんとも言えない、素晴らしい感じがしたのである。
 さっそく兵士は上官のもとへ走った。
 「上官!大変気持ちよかったであります!自分はあれを毎日使えるのでしょうか?」
 「ああ、火曜日以外はな。」
 「火曜日はなぜダメなんですか?」
 「火曜日はお前が樽の中に入るんだよ。」

2013.02.20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフラン銭湯紀行(第7回)~17丁目ガード下近くの個性派~

(浴場名)「大黒湯」
(所在地)3条通17丁目 (訪問日)平成25年2月11日(月)

 今回お邪魔したのは3条本通り17丁目にある大黒湯。
 3条17丁目を走るJR石北本線の鉄道ガード下のすぐ近くにある銭湯。隣が「ホテル317」というラブホテルで、猥雑なこの界隈を象徴するような立地だ。
 筆者が就職したての頃は、竹で編んだ脱衣籠や、木製の下足札を刺す下駄箱、脱衣所方向を向いた番台など、「銭湯本来の姿」を色濃く残す歴史的な銭湯であった。
 しかし、時代の推移と、立地場所の周辺環境の変化などによって客足は遠のき、正直、「廃業も時間か」と思われた。
 
 ところが、十数年前だったと記憶しているが、経営者が若い関西人に代わった。
 詳しいことは承知していないが、創業者の娘婿なのかもしれない。
 このときから大胆な「てこ入れ」が行われた。建物は解体・新築され、浴槽の種類も増え、番台からカウンターへの改装、休憩コーナーの新設、風呂上がりの看板メニューであるソフトクリーム販売の導入など、いわば「コンパクトなスーパー銭湯」とも言うべき画期的な「改革」が行われたのだ。
 ラジオCMや雑誌広告など、メディアの活用も功を奏し、知名度も飛躍的に向上したのだった。
 旭川では「地場の銭湯が自力で生き残る経営努力」に成功した数少ない例ではないかと思う。

 写真1:「建物外観。なぜかローマ字表記でDAIKOKUYU」
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 当銭湯紀行は、できれば浴室の写真も撮りたいので、なるべく早い時間に行くことにしている。今日も開店5分前(PM1:55)に着いたのだが既に先客が3名(男2人、女1人)であった。
 靴脱ぎ場から待合室の入り口が自動ドアなのにちょっとビックリする。

 写真2:「待合室。ゆったりと広めでくつろげそうだ。」
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 写真はあきらめて浴室に入る。構成は大浴槽(泡風呂)と電気風呂、ラドン風呂(懐かしい!)とサウナ(有料)。
 まずは泡風呂へ。筆者には若干ぬるいが普通の人には丁度良いのだろう。ゆっくりと温まったあと例のラドン風呂へ。こちらはもっと熱めで筆者的に良かった。
 体を洗ったあとは、この銭湯の特徴である露天風呂へ入る。

 写真3:「露天風呂」
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 露天風呂の写真だけはどうしても撮りたかったので、浴室に入るとダッシュで行ったところ運良く誰も居なかったので撮影できた。
 奥が庭園風になっていて砂利の上に石が置いてあり、木が植えられている。お湯が緑色なのは今日が「ゆず湯」の日だから。
 なにせ住宅地にあるので露天といっても周囲が壁で囲まれていて、温泉の露天のように開放的ではない。だが、思うにこの露天の良さは夏の夕暮れ時ではないだろうか。夕焼けからゆっくりと夜に変わる空の色はとてもきれいではないかと思うのである。筆者の知る限り市内に露天風呂のある銭湯はここと他にあと1軒(スーパー銭湯は除く)なので、そちらもゆくゆく紹介していきたい。
 さて、露天を出て再び浴室へ。外で冷やされたタオルを顔にあてると冷たくてとても気持ちが良かった。再度ラドン風呂で十分に温まって浴室を出る。
 そして、この銭湯のもう一つの特徴。アイス類の充実である。

 写真4:「メニュー(1)」
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 写真5:「メニュー(2)」
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 ちょっと迷ったが結局「いよかんジェラート」に決める。
 写真6:「いよかんジェラート」
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 さわやかな甘みと食感がとてもおいしかった。トロピカルフロートを追加しようかと一瞬考えたがお腹を壊したらいやなのでやめた。
 開店とほぼ同時に行ったのに後から続々とお客さんが来ていた。恐らくこの辺の大成地区のサロン的な役割も果たしているのだろう。
 3連休の最終日にホッと息をつけるひとときを過ごせた。

2013.02.13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフラン身辺雑記 ~常用漢字あれこれ

歌舞伎役者の市川團十郎さんが2月3日に亡くなった。
歌舞伎には詳しくない筆者でもお顔とお名前は存じ上げている。昨年末の中村勘三郎さんとともに歌舞伎界は立てつづけに看板役者を失ったことになる。まことに残念である。
翌2月4日、各メディアは一斉に名優の早すぎる死を報じた。

写真1:「道新記事見出し」
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写真は道新の記事。見出しや記事中の「市川団十郎さん・・・」、「団十郎さんは・・・」などの
記述を読むたびに筆者は違和感、というより不快感をおぼえてしまうのだが読者の皆さんは如何であろうか。
これは“団十郎さん”ではなく“團十郎さん”と書くべきであろう。
なぜそう書かないか。それは“團”が常用漢字ではないからである。
常用漢字とは、簡単に言えば官公庁の文書や報道など、通常の日常生活に用いる漢字の目安を定めたもの。「高橋の手帳」を持っている人は巻末を見れば、たいてい一覧が載っていると思う。
随時見直しがなされ、「今回はこの字が加わった」とか、「この字が削除された」などと新聞やニュースで話題になるのは皆さんご存じのとおり。ちなみに直近の改正は2010年で、読者のお手元にある表が最新かどうか確かめるには「俺」があるかどうかで分かる。(あるのが最新)
 明治初期から敗戦後までの漢字排斥運動については話がとても長くなってしまうためここでは割愛するが、どうも新聞というものは、この常用漢字をさながら親の遺言のように大切にあがめ奉っているようだ。
 筆者の個人的な気持ちを言えば常用漢字などというものに意味はないし、全く従う必要はない、といったところである。「この字は使って良い」とか「この字は使っちゃだめ」なんてことをお上が決めるなんてナンセンスであるし、してはならないことだ。
話を最初に戻すが、このたび亡くなったのは歌舞伎役者「市川團十郎」さんである。団十郎さんでは重みも何もない、なんとも間抜けな表記で故人も浮かばれないであろう。  
いや、筆者はなにも絶対に、なんでもかんでも旧字体で書くべしと言っているのではない。“たけし軍団”が“たけし軍團”ではちょっとヘンだし“新マン”の主役は団次郎さんである。
 ただ、このたびの場合は我が国を代表する芸能の大名跡が亡くなったのである。それなりの敬意は表すべきであるし、それ以前に言葉のプロとして恥ずかしくないのか(恥ずかしくないんだろうな、きっと)、と言いたいのである。
 実は筆者の勤務先もこの「常用漢字」にしばられている。個人の思いと業務上の立場は別なので泣く泣く「きょう雑物」(簡単に言うと混じり物のこと)などとパソコンに打っているのである。
 「常用漢字絶対の原則」による書きかえは、主に最初に書いた“團”→“団”の旧字体の新字体への書きかえともうひとつ。上に書いた「夾雑物」→「きょう雑物」などの「平仮名書きかえ」がある。そしてこの「平仮名書きかえ」が文章の中に入ると、みっともない平仮名まじり語になってしまう。
 筆者のきらいな表記のひとつに「障がい者」がある。従来は「障害者」と表記されていたのが“害”の字が“害悪”や“害虫”などにも用いられるため害だけを平仮名に書き改めたものである。実は“害”とほとんど同じ意味の字に“碍”というのがあるのだがこちらは用いない。なぜなら常用漢字でないからだ。
 馬鹿げている。常用漢字などなんの強制力もないのだから堂々と使えばいいのだ。そんなものを大切に奉ってみっともない「平仮名まじり文」が気にならない神経が筆者には全く理解できないのである。
 思い入れの強いテーマになるとどうも長くなってしまう。実は上記の「常用漢字絶対の原則」による書きかえは、まだほかに、「平仮名書きかえ」よりももっと“たち”の悪い「音は同じだが全く別な字への書きかえ」があるのだが、それは別の機会に譲って今回はこの辺で終わりとしたい。ちなみに“碍”については常用漢字に入れて欲しい、との要望が各方面からされており、筆者は2010年の改正にはまず入るだろうと思っていて、結果にちょっと意外な思いをしたのだった。次回の改正では、まず間違いなく、新たに加わるだろうと思う。

2013.02.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフラン身辺雑記~「嗚呼冬まつり・ゲストに思うなつかしの昭和テレビ」

旭川の季節の風物詩、とでも言おうか。毎年この時期になると市内各所に冬まつりのパンフレットが置いてある。お昼に「はま長」に行ったらあったのでもらってきた。

 写真1:「冬まつりパンフレット」
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 さて、冬まつりのパンフレットを見るとき、まず最初に「今年はどんなタレントが来るのか」をチェックする人も多いのでは。筆者もそんな一人である。
 今年来るタレント。まずお笑い関係は小島よしおさん、山本高広さん、安田大サーカスの面々など、「いっとき見ない日はなかったが最近はそうでもない人たち(失礼!)」が来るのが、いかにも旭川冬まつりである。
 次に演歌、歌謡曲。すると一人の人物が筆者の心の琴線に触れたのだった。
 中条きよしさん、いや、三味線の勇次である。

 写真2:「2月9日(土)12:00~ 東芝スノーステージに出演」
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過去に“仕事人”の名を冠する時代劇はいくつかあるが、筆者のベストメンバーは断然「仕事人Ⅲ」である。
 
おりく:山田五十鈴さん
中村主水:藤田まことさん
三味線の勇次:中条きよしさん
飾り職人の秀:三田村邦彦さん
何でも屋の加代:鮎川いづみさん
受験生・西順之助:ひかる一平さん
 
そうそうたる面子ではないか!放送当時(1982~1983)筆者は子供で気づかなかったのだが、大人になってからCS放送なんかで見直すと勇次の男の色気というか、液晶越しにフェロモンが漂ってくるようである。西順之助の加入についても、主に中条さんが30代から50代まで、三田村さんが20代から30代の女性ファンを引きつけていたのに加え、新たに10代から20代の女性ファンの拡大が意図だったのだろう。(成功したかどうかは分からないが)
 その西順之助だが、殺しの方法が、最初のシーズンは“エレキテル”という、「江戸時代のスタンガン」みたいなもので筆者はすごく好きだった。ところが次のシーズンでは“投石機!”に変わってしまい、殺すには及ばない敵の“ザコキャラ”を気絶させるのが主な役割となってしまい残念に思ったものだった。恐らくアイドルに人殺しをさせるのもいかがなものか、という大人の事情でもあったのだろう。たいてい加代と二人で、加代が望遠鏡で相手との距離を測り、「“い”の五番だよ」(石を投げるアームのサイズ)なんてやってるのを毎週笑いながら見たものだった。
 ところで2月9日、中条きよし・オン東芝スノーステージ。「うそ」は歌うのだろうかなどと興味は尽きないのだが、だから筆者が行くかどうかといえば99%行かないだろう。だが「中条きよしさんが旭川冬まつりに来た」という事実だけは永遠に筆者の胸に刻まれるに違いない。(何言ってんだ、俺は)

2013.02.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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