fc2ブログ

サフラン銭湯紀行(第1回)~心の故郷・元祖娯楽の殿堂編~

 時代の流れにより著しく数が減少、さらには消えつつあるものがある。銭湯はその代表格といってもいいかもしれない。内風呂の普及や燃料費の高騰などにより廃業を余儀なくされた銭湯は、今筆者が思い出すだけでも結構ある。もはや、単に体を温めたり洗ったりするだけではなく、「日常のなかの非日常」的なものを演出していかないと生き残っていけなくなっているのでは、と感じている。この新コーナーは、そんななか頑張って営業を続けている市内の銭湯を紹介していく予定である。同様の企画をなさっている方は多いが、なるべく筆者なりの独自の視点で綴っていければ、と思っている。

 第1回 旭鉱泉湯(八条プレジャー)
(浴場名)「旭鉱泉湯」 (家族風呂名)「八条プレジャー」
(所在地)8条通9丁目

 すでに当ブログで2回ほど出てきている。筆者が物心ついたときから来ていたところ。今の建物が出来たのは平成元年頃だったか。その前はいかにも(まるで昭和のホームドラマに出てくるような)街の銭湯だった。経営されているのは(筆者の記憶が確かなら)長く旭川浴場組合の組合長を務めておられた杉尾さん。
 ちなみに、隣の呉服店はその親戚で、呉服店の長男は筆者の小・中学校の同級生だった。ここの一番の特徴といえば2階が家族風呂(一般に知られている「八条プレジャー」は、この家族風呂の名称だ。)と麻雀荘!ということ。ただし麻雀荘はもうかなり前からやっていないようである。家族風呂の方は、筆者が4つか5つの頃、親戚のおばさんに連れて行ってもらった記憶がある。麻雀の方は、社会人になってからは同僚とここで何回か卓を囲んだものだ。

 筆者が今までの人生で、唯一、役満に振り込んでしまった(1枚切れの白を捨てたところ国士に当たり)のがここなので、いささか苦い記憶がある。

 しかし、22才で実家を出てからは、あまり来ていない。最後に来たのは十四、五年位前ではなかったか。今回、久しぶりに(24年10月21日)訪れたのだが、正直行く前までは記憶がはっきりと浮かんでこなかった。 だが玄関に入った瞬間、かつての記憶が鮮明に蘇ってきたのである。
 大浴場は、入って右に半円形の大浴槽。女神?の銅像が心なごませてくれる。奥に若干ぬるい寝風呂と泡風呂、左奥にサウナ室(別途料金)がある。
 今回はサウナには入らなかったが、大浴槽のお湯は熱く、身も心も温かくなれた。昔かよっていたときは、大抵サウナにも入っていた。同じく常連の、近隣の中小企業の経営者の方(筆者からしたら父親みたいな年齢の方。お互い名前も知らない)などと良く世間話に花を咲かせたものである。
 久々に懐かしい思いに浸ることができた。永く続けてほしい、と思う。(番台には三十台とおぼしき男性が座っていた。杉尾組合長さんの息子さんだろうか。跡継ぎだとしたら頼もしい限りである。)
 場所は8条通9丁目。文化会館の向かいなので迷うことはないだろう。店の前の緑橋通を歩くと、ほのかに銭湯特有の良い香りが漂ってくる。今年のような猛暑の時には、つい暖簾をくぐりたい衝動にかられてしまう。
 大型の入浴施設も悪くはないが、やまり「街の銭湯」も捨てがたい魅力があるものだ。

写真1:「建物外観。“ゆ”の大きな文字が目を引く。」
蜀咏悄18-1_convert_20121026174054

写真2:「8条スタルヒン通りを東から西へ見たところ。写ってはいないが左側に文化会館がある。」
蜀咏悄18-2_convert_20121026174121

写真3:「スタルヒン通りの由来の説明看板」
蜀咏悄18-3_convert_20121026174153

写真4:「待合室。帰るとき(4時半くらい)には家族連れやお年寄りで混んでいた。」
蜀咏悄18-4_convert_20121026174226

写真5:「湯上がりの一杯。今回は筆者の好物のフルーツ牛乳」
蜀咏悄18-5_convert_20121026174249

スポンサーサイト



2012.10.26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 銭湯紀行

サフラン身辺雑記~土曜日の昼食~

本コーナーでは筆者のサフラン的日常(どんな日常だ?)をユル~く綴っていきたい。

永谷園「お鍋ひとつで!鶏南蛮そば」

 筆者は基本的に週休二日であるが、土曜日は奥さんは仕事のときが多く、高校生の子供も部活などで不在勝ちなため、昼食は一人であつらえることが多いのである。
 今日(10月20日)の昼ご飯は、先日、玉木宏さんのCMで見たのがすごく美味しそうだったので奥さんに買って置いてもらった「永谷園・お鍋ひとつで!鶏南蛮そば」にしてみた。

写真1:「ドンキホーテで買った」とのこと。
蜀咏悄17-1_convert_20121022180941

写真2:用意した具材は、「長ねぎ、鶏もも肉、天かす、玉子」
蜀咏悄17-2_convert_20121022181010

 この商品のウリはその名前にもあるとおり、お鍋ひとつで作れる、ということ。湯切りのためにザルを用意したり、つゆのために別途お湯を沸かす手間と、その分の洗い物がなくなる点にある。
 作り方に従って作っていく。作り方に記載の無いこととして、鶏肉を煮るため若干、灰汁(あく)を取る作業が必要であるが、大した手間ではない。

写真3:完成品。「サフラン流・特製 鶏南蛮たぬき月見そば」
蜀咏悄17-3_convert_20121022181111

 ある人のブログでは、長ねぎと鶏肉を用意しなければならない「鶏南蛮そば」なんて、明太子を用意しなければならない「明太子スパゲティ」の様なもの、とかなり否定的に書いておられたが、筆者はこれで良いのでは、と思う。そばには目がない筆者だが十分おいしく食べられた。

写真4:BGMは、もはや惰性で毎週聞いている「ウィークエンドバラエティ・日高晤郞ショー」(STVラジオ)
蜀咏悄17-4_convert_20121022181137

 ところで、筆者は音楽や歌についての才能が全くないので、その方面に素養のある方にお聞ききしたいのだが、晤郎ショーのエンディングの「街の灯り」。あれは上手なのだろうか、それとも下手(味?)なのだろうか。
毎週疑問に思っているので良ければご意見を伺ってみたいものである。(^_^;)

2012.10.22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフランまち歩き~「買物公園の母」の居ない光景

少し前の事だが家で奥さんとテレビを見ながら雑談していた時のこと。
話の流れは定かでないが、話題が占いの事になったとき、奥さんが「そう言えば買い物公園の女の占い師の人、亡くなったよね」と言うのである。 
筆者はそれを知らなかったので、一寸ビックリしてしまった。
旭川市民で「買物公園の女性占い師」を知らない人が居ればその人は「モグリ」である。
いつも買物公園の5条付近で机1つ、椅子1つで佇む姿は、まさに買物公園の風景の1つとして溶け込んでいた。冬に近くを通りがかる度に筆者は「この寒いのによく平気でいられるなあ」と心の中で驚嘆していたものである。筆者や友人達は「銀座の母」をもじって「買物公園の母」と呼んでいた。
さて、その「買物公園の母」が本当に亡くなっていたとしたら驚きである。インターネットで「買物公園」「占い師」と検索して調べてみると、ある人のブログに行き着いた。それによると、どうも本当に亡くなったようで、前後の事情は北海道新聞2012年1月27日号に詳しく載っているとのこと。さっそく中央図書館2階資料室に赴き、道新のバックナンバーを閲覧した。以下は道新の記事の抜粋である。
~占い師の名前は中川さんという。周囲には昭和23年生まれと語っていたので亡くなったとき(後述するが2010年)は62才になる。幼少時は空知管内のまちで育ち、中学卒業後旭川に移る。男の易者に弟子入りし20才頃に独立する。最初は36街で営むが酔客にからまれるなどし、近辺の商店主らの好意により5条に商売の場所を移す。以来、ずっとその場所で易者を営み、やがて買物公園の顔として親しまれるようになるが、2007年頃、警察の指導により廃業を余儀なくされる。その後も(まるで意地のように)買物公園のベンチに座り続けるが、2010年の12月中旬頃から姿を見せなくなる。同月20日、心配した5条の商店主らが自宅マンションを訪ねてみると倒れているのを発見され、そのまま死亡が確認された。~
亡くなっていたのは事実だった。
実は筆者は一度、この人に占ってもらったことがある。
もう20年位前のことになるが、あることに悩んでいた時期があった。会社帰り買物公園を歩いていると「買物公園の母」が座っているのが視野に入った。「ああ、そう言えば俺、この人に占ってもらったことないなあ」と思い、自然に彼女の前の椅子に座った自分が居た。
その後、様々な事情が重なり、アドバイスいただいたとおりにすることは出来なかったのだが、こうして亡くなってしまった今、一度占っていただいて良かった、と思うのである。

写真キャプション1:道新の記事。見出しは見づらいかもしれないが「買物公園40年」「街の人情に育てられ」とある。
豈榊・逵滂シ狙convert_20121015132201

写真キャプション2:「買物公園の母」が座っていた場所。シャッターが閉じているのは、かつてスポーツ店だった。
豈榊・逵滂シ胆convert_20121015132237

2012.10.15 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

昭和ノスタルジー~もう見られない懐かしい光景

かつて「コインスナック」というものがあった。
 
筆者の記憶によれば旭川に初めて24時間営業のコンビニエンスストアが出来たのは恐らく中学生位の頃、つまり昭和58年前後だったと思う。良く憶えているのは5条本通りの佐久間病院の隣(今は確か鍵屋さんか何か)にあったのと、あと3条に1軒、イトーヨーカ堂の近くに1軒、都合3軒が「サンチェーン」の名前で営業を開始したのだったと思う。その後「サンチェーン」はローソンと名を変え、やがてセブンイレブンも出店を始めてからのコンビニの隆盛は皆さんよくご存じのとおりである。
 ではコンビニ出店以前、夜中に急にひもじい思いをした人々は朝まで待つしかなかったのかというと、さにあらず。かつて「コインスナック」というものがあったのである。
 若い人には「なんのこっちゃ」であろうが、要するに建物の中に食べ物の自動販売機(必ずあるのが、そばやうどん)があって、24時間営業しているのである。
 当時筆者は子供だったので夜中に出入りすることはなかったが(夏休み前に学校から配られる「休み中の心得」的なプリントにも「コインスナックに出入りしないこと」と書いてあったものである)昼間、友達と遊んでいるときに何か買いに入ったことはある。
 思い出深いのは、中学生の頃、友達と遊んでいて、ちょっと小腹が減ったので末広のコインスナック(40号線と環状線が交差するところにあった。ずいぶん前に廃業したが建物は廃墟状態で、かなりしばらく残っていたのでご存じの方も多いのでは)に入ったときのこと。友人の一人である「やっち」(「やすのり」なので「やっち」)がチーズバーガーという表示に目を引かれ自販機にコインを投入。出てきたその「チーズバーガー」はハンバーガーのパンの間に薄いスライスチーズをはさんだだけの代物であった。
 その場にいた一同、「バーガー」の要素、全然、ねーじゃねーか!と大爆笑したのを憶えている。
 もっともコインスナックがなくなってしまったのは旭川の話で、ちょっとネットで調べてみても日本全国には魅力的なところがあるようである。当然わが北海道にもあるようなので、いつか機会があればコインスナックめぐりなんてのも楽しそうである。
 それにしてもコンビニが無くしてしまった貴重な光景は少なくない。エロ本の自販機なども非常に味のあるものだった。筆者が中学時代に自販機で買ったエロ本は・・・あっ、紙面が尽きてしまったようなのでこの話は別の機会に。

写真1キャプション:9条通7丁目。水道局のはす向かい。ここに昔コインスナックがあった。
蜀咏悄・疎_convert_201210091310182


写真2キャプション:40号線と環状線が交差するところ。長らく廃墟状態で非常に見苦しかったが今は建物も撤去されている。
CSconvert_20121009133241.jpg

2012.10.09 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

«  | ホーム |  »

プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR