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左利きで良かったと思ったこと~キューティー鈴木さんと握手

突然だが筆者は左利きである。文字を書くのは幼い頃に右に矯正されたが、箸を持つなどのほかの動作(特に細かい作業)は左である。
 よく左利きは右利きに比べ短命だというが特に不便を感じたこともないし、筆者の生活習慣なら右利きであったとしても長生きはできないであろう。
 だが、42年の人生の中で一度だけ「左利きで良かった」と思うことがあったのである。
 もう20年ほど前のことであろうか。旭川に女子プロレスの興行があり観戦に出かけたときのこと(筆者は女子プロレスに興味があまりないので多分タダ券をもらったか義理で買わされたりしたのであろう)。
 この手の興行では良くあることだが全カードの半分位が終わったところでグッズ販売とサイン会が行われた。サインをするレスラーは当時人気絶頂であったキューティー鈴木さんである。
 キューティーの周りを取り囲んでいたのは殆どがティーンエイジャーの少年たちであったが、筆者も「これは負けられない」とばかり行列に並んだのである。
 やがて筆者の番が。Tシャツを購入するとキューティーに差し出しサインをしてもらった。
 美少女レスラーの草分けとあって、間近で見るキューティーは、それは若く可愛らしかった。
(今ネットで調べてみたのだが筆者の一つ上、当時22~23才だったわけだ。)
 さて、サインを書いてもらったので筆者は「キューティーさん、頑張って下さい」と、すっと左手を差し出した。彼女は一瞬ポカンとしたが、サッと筆者の手を握り替えしてくれた。
 と、その時である。周りの女子レスラーや団体関係者とおぼしき男性が「だめ!だめ!」と言うのである。
 今度はこっちがポカン、である。スターとのサイン会(こっちはTシャツまで買っているのだ)、握手は当然OKであろう。筆者が「えっ、だめなんですか」というと「だめです」とのこと。もっとも、バッチリ握手してしまっているのだが、全く悪気のない行為なのでお咎め等はなかった(当然である)。
 ここで読者諸賢の中には「左利きと何の関係があるんだ」と思われる方もおられるのではないか。
 こういうことである。もし筆者が右利きだったら当然右手を差し出したであろう。その時キューティーは右手にサインペンを持っているので、サインペンを置いて手を出すことになる。つまり「ペンを置く」というワンアクションの間に周りの関係者に止められてしまうのだ。
 そう、あの握手は筆者が左利きであったために起こりえたことなのである。
 えっ、あまりにも下らないって?まあ、若き日の想い出ってことで読み飛ばしておくんなさい。

 ※写真キャプション1:Tシャツ表面。一回も着てないのに汚れまくり。真ん中近くにキューティーのサインが。
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 ※写真キャプション2:Tシャツ裏面。大塚製薬がスポンサーだったことが分かる。
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2012.09.28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

真夏の相棒たち

やっと涼しい風が吹くようになった今日この頃であるが(9月24日)今年の夏も相変わらず暑かった!
 自宅ではエアコンをガンガンかけるのだが問題は勤務先である。筆者の勤め先にはエアコンがないうえに、おびただしい数のパソコンと周辺機器が一斉に放熱している。しかも体を使う仕事なら、かく汗も気持ちいいものだが、ずっと机の前に座ってジワジワとかく汗は例えようもなく気持ちの悪いものなのだ。
 そんな訳で今回は、そんな地獄の夏をなんとか乗り切ることが出来た頼もしい相棒たちを紹介したい。
 
1.卓上扇風機
 同様の人も多いと思うが筆者の勤務先も組織をあげて節電に取り組んでいる。(部分消灯の奨励、コーヒーメーカーや電機ポットの使用禁止等)なおかつ筆者の所属部署では冷蔵庫も使用禁止だ。  そんな中で、卓上扇風機の使用は本来、好ましくないのだろうが、なにせ筆者は人一倍暑さに弱いのである。これがなければ今年の(来年以降もだろうが)夏はしのげなかっただろう。
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2.ギャツビー3点セット
 これは父の日に子供(娘)がプレゼントしてくれたもの。とくに手前のボディペーパーには本当に助けられた。一番暑い2時~3時頃にこれで上半身をサッと拭いてから上記の扇風機の風にあたると本当に生き返る心持ちがしたものである。
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3.ガリガリくん
 これは勤務時間に限ったものではないが、何本食べたか分からない。毎年夏になると品不足になるのも当然と言えよう。写真はソーダ味だが筆者のお気に入りはチョコ味である。


追記
 読書日記1で取り上げた「孤独のグルメ」ドラマ版第2シーズンが、第1シーズン同様、松重豊さん主演で10月から放送されるとのことで楽しみである。興味のある方は是非ご覧いただきたいと思う。

2012.09.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフラン読書日記・2

 こんな風に毎回駄文を披露しているわけだが、筆者の文章の理想というか憧れは故ナンシー関女史である。(あと何十年たっても女史の足下にも及ばないが)
 多くの人が指摘していることだが、大部分の日本人が漠然と不快に感じていることを明快かつ論理的に、まさに過不足無く表現する女史の文章力はまさに天賦の才能なのだろうと思う。
 女史が亡くなったときの気持ちはショックというよりも心にポッカリと穴が空いたような感じだった。
 未来永劫、彼女の代わりは現れない。陳腐な表現だが本当に惜しい人を亡くしてしまった。
 もちろん女史関連の著作は何冊も持っているが、印象深いものをご紹介したい。

 1.「評伝 ナンシー関 心に一人のナンシーを」  著者:横田 増生
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 女史の没後10年の今年(2012年)に刊行された。
 青森に生まれてから大学進学のため上京。出版界に足を踏み入れ、やがて売れっ子コラムニストになり、若くして没するまでを描いている。
 いまどきのノンフィクションライターなら女史の生涯だけでなく70~80年代にかけてのサブカルシーンなどもみっちり書き込むところだが、この著者はそうしない。ナンシーの生涯にのみ焦点をあてているためページ数も少なくあっというまに読み終えてしまう。
 特に筆者が目をひかれたのは、それまであまり詳しく語られることのなかった、上京後まもなく、既に名の通っていた、えのきどいちろう氏やいとうせいこう氏らに才能を見いだされて、少しずつ作品を発表していく頃である。また、山藤章二氏の「ナンシーは文章ですでに100点。消しゴム版画で20点。版画の余白に添えられる一言で10点。それで合計130点。」というコメントはまさに言い得て妙であると思った。女史のファンで未読の方にはぜひおすすめしたい。

 2.「ナンシー関の 顔面手帳」
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 ナンシー初の単行本。表紙の「歌丸の顔の連続版画」に衝撃を受け、ろくに中身を見ずに買ってしまったが、読んでみるとあまりの面白さに一気に読了してしまった。それまで「ナンシー関」というコラムニストがいる、と漠然とは知っていたが(多分週刊プロレスに短い文章と版画を載せていたからだと思うが)こんなに面白いものを書く人なのか、と、この1冊でファンになってしまった。
 晩年に比べると版画が荒削りなのも(後期の上手さが超人的だからなのだが)味がある1冊である。

 3「ナンシー関 大ハンコ展」
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 これは本ではなく、2008年11月に札幌パルコで開かれた展覧会に行った(そのためだけに札幌へ行ったのだ!)際のチラシなどである。
 このときの感動は言葉では言い尽くせない。今まで自分が何度となく見てきた消しゴム版画の原版が目の前にあるのである。(もちろん上記の歌丸の連続版画も)。
 またナンシーが消しゴムを彫るきっかけとなった伝説の「ゴダイゴ」の原版を見たときは思わず身が震える思いをしたのを憶えている。

2012.09.18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書

サフラン読書日記

今時の若者の娯楽といえばやはりネットになるのだろうか。
 入浴と食事のとき以外は常にケイタイの画面に見入っている若者の姿、なんてのも全く珍しくない昨今である。
 さて、筆者が若い頃の娯楽と言えばまずは読書、そして映画であった。
 今は週休2日であるが、筆者が社会人となった頃、勤め先の体制は「4週6休」であった。よく分からないと思うが、平たく言うと日曜日は休み。土曜日は休みと半ドン(若い人は40才以上の人に意味を聞いてほしい。)が交互に続く、というものである。
 出勤の日の土曜日はお昼で仕事が終わるのであるが、行きつけのサ店で昼食を食べながらお気に入りの一冊を読む、というのは実に楽しいひとときだった、と思うのである。
 若いときに比べ激減してしまった読書量であるが、随時、気になった1冊をご紹介していきたいと思っている。(映画については別稿でお話する。)
 
1.「なにもないシアワセ 大東京ビンボー生活マニュアル」著者:前川つかさ
最近買った1冊。 
本書は86年から89年までモーニング誌に連載され単行本も発行された作品を、2011年に一冊にまとめ(全エピソードではないが)、再度刊行したものである。内容はと言えば、地方から上京した青年「コースケ」(詳しい人物設定はなし、見た感じで20代中盤、通学や仕事をしている描写はなく、単発のバイトや仕送りで生計をたてているものと思われる。)が貧乏ながらも節約し、東京生活をそれなりに楽しんでいる様子がユル~く描かれている。物語の舞台は昭和60年前後、つまり筆者の最も好きな時代である。なにも考えずに適当なページを開き、昭和の雰囲気を感じることができる1冊である。



2.「孤独のグルメ」著者:原作・久住昌之 絵・谷口ジロー
  松重豊さん主演でドラマ化されたのでご存じのかたも多いのではないか。主人公は個人で輸入雑貨を扱う「ゴロー」。1人の時間を大切にし、とにかく食べる。あるときは山谷の食堂でつい注文しすぎてしまったり、あるときは行列のできる餃子店でライスが無いことにショックを受け、自分が下戸であることを残念がったり、たまたま入った洋食店のマスターの態度が悪く、たしなめたところ殴りかかられ、スタンディングでのキムラロックでこらしめたりと大活躍である。
  谷口ジローさんの精密かつあたたかいタッチの絵が、物語との相性抜群の一冊なのである。

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3.「かっこいいスキヤキ」著者:泉昌之
  上記の「孤独のグルメ」原作者の久住昌之さんと泉晴紀さんとの合作名義「泉昌之」による1冊。
  「ダンドリくん」が有名なのでご存じの方も多いと思う。
  さて、本書であるが、ギャグ短編集であり各作品とも面白いのだが、中でもイチ押しなのが「夜行」である。 ハードボイルド風にキメた男が夜行列車の中で駅弁を食べる、という話なのだが(これ以上は書かないが)、はっきり言ってこれを読むためだけに本書1冊買う価値があると思う。

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2012.09.11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書

「常磐」と「常盤」~二つの「ときわ」についての考察

前回ちょっと常磐公園について触れたので余談をもう一つ。
旭川には「ときわ」という地名があり、まず一つは「常盤通○丁目(ときわどおり)」というのと「中、上常盤町○丁目(なか、もしくはかみときわ町○丁目)」という、盤の字の下が「皿」のもの。そしてもう一つが、前回も出てきた「常磐公園(磐の下が「石」の方)」である。このことは、もしかしたら少なくない市民もあまり意識していないのかもしれない。市内を運行する二大バス会社のそれぞれの停留所表示が、道北バスは「常磐公園前」、旭川電気軌道が「常盤公園前」と違うのである。(ちなみに、この二つのバス亭表示は仲良く並んでいるにもかかわらず。)
 筆者は様々な印刷物を見るとき、常磐公園の表記があるときはまずチェックするくせが、無意識についてしまっている。数年前には、なんと北海道で圧倒的シェアを誇る天下のH新聞にも「常盤公園」を見つけてしまった。
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写真(上) 道北バスのバス停

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(写真上)こちらは旭川電気軌道のバス停。「常盤」の表記だ。

 なぜこのような食い違いがあるのか。諸説あるのだろうが、良く聞く話は以下のとおり。
「昭和初期、常磐公園の碑が出来ることになり、揮毫(きごう:筆をふるうこと)を頼まれた当時の大日本帝国陸軍第七師団の渡辺師団長が、本来『常盤(皿)』と書くべきところを間違って『常磐(石)』と書いてしまった。だが、偉い師団長に誰もそのことを指摘できずにそのまま定着してしまった。」
 このような話が、戦後の軍国主義批判とあいまって、まことしやかに流布され、地元ではすっかり浸透してしまっている。
 筆者も、このことについては色々調べたり考えたりした。そして、筆者の出した結論は以下に記すとおりである。(あくまでも筆者個人の考察である。) 
 まず、「渡辺師団長が揮毫した」というのはそのとおりだと思う。ただ、師団長が「間違った」のくだりだけは、「ちょいと待っておくんなさいよ」と言いたい。
 考えてもみてほしい。今でさえ自衛隊の師団長といえば防衛大卒の秀才である。ましてや、明治、大正、昭和初期までの日本の身分ある男の教養たるや、現代人の感覚を遥かに上回るものなのだ。小さい頃から厳しくしつけられ、やがて我が国の指導者としての責任、自覚を持つに至る。読書量、勉学量が全然違うのだ。漢文なども簡単に読んだであろう。
 また、「常磐公園」とは水戸の偕楽園の別名である。
 このことから、恐らく以下のようなやりとりがあったのだと思われる。

 部下:「師団長、一つ揮毫をお願いしたいのでありますが。」
 師団長:「おう、そうか。分かった。で、何と書けばいいんだ?」
 部下「はっ、『ときわこうえん』であります!」
 このときに師団長は思ったはずである。「ほう。この北の地に偕楽園のような公園を願っているのだな。」
 そして、「常磐公園」と揮毫した…と筆者は考えるのだが、皆さんは如何であろうか。


(写真上)旧第七師団長の揮毫による園名碑は、今も緑の中に厳然たる偉容を誇っている。

2012.09.04 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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