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旭川市総合体育館 常磐(ときわ)分館

今、旭川でプロレス興行を行うとしたらどこでやるのだろうか。多分、大きい団体なら神楽の地場産業振興センター、小さい団体だとイトーヨーカドー横の大成市民センターといったところか。
筆者が高校生位の頃までは旭川でプロレスのメッカといえば常磐公園内にあった「旭川市総合体育館常磐分館」であった。(普通は「ときわ体育館」と呼ばれた。筆者や友達は「ブンカン」などと呼んでいた)
鉄筋の古い建物で大きくもなく綺麗でもなかったが、ここで見るプロレスはなんとも昭和スパイスの効いた味のあるものだった。(会場が小さいため2階席でもレスラーが身近に感じられた。あまり裕福でない筆者及び友人たちはもちろん2階席。リングサイドなど夢のまた夢なのだ。)分かりやすく言うと、雰囲気的には後楽園ホールが近いと思う。
さて、ちょっとでもプロレスが好きな人なら「ケロちゃん」という人物を知らない人はいまい。かつて新日本プロレスで美声を誇った名物リングアナである。
このケロちゃん、文才もなかなかのもので新日本の巡業模様などを綴ったエッセイ集を何冊も出している。
ある日この人の書いたエッセイを読んでいると(何で読んだかは忘れた。恐らく月刊プロレス誌か新日本の会場パンフレットか、とにかく日本中の人が目にする媒体)、日本全国、最低の会場ランキングといったテーマであった。
第10位:○○市○○体育館、第9位:××市××スポーツセンター、といった感じに読み進めていくうち遂に第1位。(もう展開読めているでしょうが)なんと、「旭川市総合体育館常磐分館」とあるではないですか!ケロちゃんによると、会場が古いというのも理由であるが、なによりも当日、音響設備が不調でマイクではなく拡声器でコールした、というのが決定打だそうだ。「そりゃー、プロレス界一の名物リングアナに拡声器じゃあ怒られて当然だよなあ」と筆者も妙に納得したのであった。
その常磐分館であるが今はもう無い。跡地には現在、旭川市中央図書館がある。
あそこで見た猪木、馬場、長州、藤波、鶴田、天竜らの勇姿は今もなお少年時代の思い出として筆者の中に蘇ってくるのである。

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(写真上)「旭川における昭和プロレスの殿堂・常磐体育館」の跡地は、現在の旭川市中央図書館が建っている場所だ。

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2012.08.30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

うどん・奈良

 五条ふらりーと(焼鳥屋、居酒屋など小さな飲食店が軒を連ねる小路。有名なラーメンの「蜂屋」もここにある)で営業していたうどん屋さん。
 そばやラーメンもあるが、やはりメインはうどんであろう。実質的には旭川で最も古い「うどん専門店」だったのではなかろうか。
 以前、「廃業残念度」などという安易な造語を披露したが、筆者としては廃業残念度ナンバーワン、無限大のお店である。
 麺は柔らかく、のどごし滑らかで、スープは薄味だがしっかりと出汁がとってあり、ついつい飲み干してしまうおいしさ。
 また、特筆すべきはそのお値段。一番安い煮込みうどん(いわゆる「かけ」)は320円。かき揚げの乗った天ぷらうどんや卵を落とした卵うどんは370円で一番高い鍋焼きうどんは420円。(夏期限定の冷やしたぬきは450円位だったか)天ぷらや卵うどんとおにぎり120円で、ワンコインでお釣りが来るのである。
 また、店主夫妻のおだやかな人柄と心地よい接客。いつも綺麗な店内で過ごす時間はまさに至福のひとときであった。

 実は、筆者はここの閉店前後はしばらく足が向いてなかったのである。(一時期、胃腸の調子が悪かったのと、店主ご夫妻はまだ十分にお若く、まさかやめるとは夢にも思っていなかったので。)閉店すると分かっていたら無理してでももっと行っておくんだったと、後悔してもしきれないのである。

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(写真上)現在の「奈良」跡。店の趣はそのままに,別な店となっている。
かつてはこの小路に立って、のれんの間から店内の様子をうかがうことのできるオープンな店構えだった。

<追伸>
 何回かに分けて、旭川買物公園北部を中心に、筆者の独断で選んだ「懐かしの飲食店」を紹介してきたが、いかがだったであろうか。「懐かしの飲食店」シリーズは、本稿をもってひとまず完結としたい。
 文章に書いて改めて思ったのだが、多くの個性的で良いお店が諸般の事情で廃業してしまうのは本当に残念であり、筆者としてはこの連載が復活しないことを心から祈るばかりだ。
 今後、このブログの方向性がどうなるか、まだはっきりと決まってはいないが、筆者が人生で一番映画を見た中学生の頃の映画や昭和プロレス、身辺雑記的な事が中心になる見込だ。
 引き続き、見ていただければうれしく思う。

2012.08.30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

そば・やぶ源

白くきれいな更科そばのお店。
それほど広くないためお昼時(といっても昼しか営業しないのだが)に行くと満員であきらめることも多々あった。特に、近くに上川支庁(現上川総合振興局)があった頃はほとんどいつも満員状態だった気がする。
おそばは冒頭に書いたとおり、筆者好みの更科系。つゆも甘すぎず辛すぎずとても美味しかった。
また、特筆すべきはその量。盛りそばなどは普通なのだが「ぶっかけ」となると食べきれない位のボリュームなので普通のそばでは量が物足りない、という人にはうってつけだったろう。現在は同じ場所で「庵奈」という店が営業している。やぶ源との関係は不明だがここも更科系でボリューム満点なので何らかのつながりはあるのかも知れない。
ちなみに「やぶ源」の系統、ということであればマルカツの地下で営業している「まる八」というお店のご主人が、かつてやぶ源で腕を磨いたとのことである。(ご主人から直接聞いたので間違いなし)
名店の遺伝子はちゃんと受け継がれているのである。

(写真下)旧やぶ源は、現在「庵奈」という別な店になっているが、味、注文スタイル等はやぶ源とほとんど同じだ。
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2012.08.29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

ラーメン・糸末

「いとすえ」と読む。6条中通り(7条側)7丁目にあった老舗ラーメン店。
濃厚なスープの味が多くのファンを魅了していた。筆者も何回か通ったが満員で入れないことも一度ならずあった地元の人気店であった。
ところでこれまで紹介してきたお店の多くは、店主の高齢や後継者不在など、割と「ありがち」な事情だったが、どうもここはちょっと違うのではないかと思う。
 元々、この店も以前紹介した「牡丹園」同様、先代店主が店内に犬をつないで生ぬるく営業していた。
 その頃は、決して行列が出来るようなラーメン屋ではなかったと思う。
 しかし、十数年前、首都圏でIT企業の管理職に就いていた息子が脱サラして跡を継ぎ、新メニューの開発、ラーメン専門店への特化、店舗の改装、広告拡大などの近代化を断行した結果、辛みそを中心とする独自の味が定評を獲得し、旭川有数の名店に数えられるまでになったのだ。
 あのまま順風満帆で行ってくれたら、と今でも悔やまれるのだが、8年ほど前、旭川に某大型ショッピングモールが進出した際、その中に何店かのラーメン屋を集めたラーメンエリアができることになった。当時、まさに「日の出の勢い」だった糸末は、他の有名店とともに「社運を賭けて」その中に出店し、ほぼ同時に初の支店である「深川店」のオープンに打って出た。
 しかし、大手企業の巨大な歯車に組み込まれる形で様々な制約が加わり、味も経営も維持するのが困難になったのではないかと推測される。
 このテナント入居と時期を前後して冒頭に書いた6条のお店は、「スープ工場」と化し、店舗としての営業はショッピングモールの店に集約されたが、やがてモール内の店が閉店した後も、この本店が再開されることは二度となかった。(噂では、店主は健康を害して療養中とのこと。)
 筆者は、職場にほど近いこの店がお気に入りであっただけに、雑草に覆われ、荒れ果てた本店跡を見るにつけ、えもいわれぬ寂寥感に包まれずにはいられない。
 この年になってしみじみ思うのだが、時の経つのは本当に早いものである。

(写真下・現在の本店の様子)

2012.08.28 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

大衆料理・おざわ食堂

 ここも1回しか行ったことがない。特筆することは無い普通の食堂なのだが、筆者の小中学校の同級生の両親が営んでいた店なのでとりあえずご紹介しよう。
 まず、店の外装・内装自体がすごかった。前回紹介したうなぎの「多津美」同様、完全に半世紀以上時が止まった感がある。筆者も、知り合いの親が経営しているという事実がなければ、入るのを躊躇してしまうかもしれなかった。
 店内は決して不潔ではないが、お世辞にも清潔感があるとも言い切れず、とんねるずの番組のコーナー「キタナトラン」で紹介されたとしても不思議ではないほどの年季が入っていた。
 メニューは、ラーメン、炒飯、カツ丼など絵に描いたような大衆料理ばかりだったが、筆者の説明よりも詳しく書かれているSayupapaさんの大人気ブログが参考になるはずである。

2012.08.27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

うなぎ・多津美(たつみ)

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「おまえ平田だろう!!」(By辰巳)

 

失礼。たつみ違いだった。(^^;)


 さて、ここは1回しか行ったことがない。事前にちらっと聞いた噂では一見さんは冷たくされるとか色々と怖い話を聞いていたのだが実際行ってみると全くそんなことはなく親切にしていただいたことを憶えている。(ただし、大将は確かに威勢の良い人だったので、その辺が誤解されたのであろう。)
 噂では、「注文を勝手に決められる」「もたもたしていると怒鳴られる」「長々と自慢話を聞かされる」などと伝えられていたが、実際には自慢話が多少語られる程度で、それもこの種の大将にはありがちな「許容の範囲内」である。
 店内はどうみても昭和20年代で、終戦直後の雰囲気を根強く残している。「三丁目の夕陽」などという生やさしいものではなく、映画「東京キッド」のセットのようだ。
 メニューはうな丼とうな重があったような気もするし、松竹梅(上中並だったかな?)のグレード分けがなされていたように記憶している。
 「『うな丼』などというメニューは本来なく、うな重の廉価版として勝手に作り出されたもので、できることなら、鰻料理の本流である『うな重』を食べて欲しい」など講釈を語り、「うちで使っている鰻は全て国産で、産地も厳選している本場物ばかりだ。自分には独自の仕入れルートがあるので、市内でうちと同じ鰻を使っている店は他にない」と豪語もしていた。
 
 老夫婦が営んでいる小さな店ではあったが、大相撲の力士も、旭川巡業の際は必ず立ち寄ると笑顔で自慢する大将の話に、「そうそう」と明るく相づちをうつ女将の姿が今も目に浮かぶ。
 
 この夫婦には、料理人の息子がいたが、洋食の方に進んでしまい後継者不在で閉店となった、ということを新聞か何かで読んだ記憶がある。
 せっかくこれほどの老舗うなぎ店の息子さんとして生まれたのだから、できれば後を継いでいただきたかったと思うのは筆者だけではないだろう。
 高齢の店主が病に倒れたのを機に閉店。程なくして店主は他界した。
 空き店舗となった建物は、しばらくオフィス街のビルの谷間にひっそりと建っていたが、それも2年ほど前に取り壊され、跡地は駐車場になってしまった。その前を通るたびに、一抹の寂しさを禁じ得ない。
 
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2012.08.26 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

そば・美登利

 いかりや長介ソックリの大将が真冬のツルツル路面も全く苦とせず、岡持ち片手にさっそうと自転車をこぐ姿は、まさに旭川の季節の風物詩であった。
 実は、筆者は数える位しか行ったことがないのだが、こうゆう風情ある地域の名店は、なんとかして残ってほしいものである。
 市役所をはじめ周辺の会社などが昼にそばの出前を取るのは、筆者が社会人になりたての頃までは「定番」であったから、オフィス街での昼近くの時間帯は、この「美登利」の他にも「だるまや」「はま長」など、様々な出前人の姿を見ることができた。
 いつの頃からか、そんな姿を見かける機会が少しずつ減っていき、出前のそばがしだいにコンビニや売店の弁当に変わっていった。そして、気が付くと、そんな出前人達のいたそば屋も姿を消していた。
 先に例に出した中で、現在も営業しているのは「はま長」だけだ。
 最近では、昼食に限らず、残業時にも職場単位で出前を取る機会はほとんどなくなってしまった。

そばの出前が「オフィスから消えた風景」に認定される日も近い。

既に認定済の「オフィスから消えた風景」
1「昼休みの囲碁・将棋」 2「屋上でのバレーボール」

現在の店舗跡。今は駐車場となっているが,向かって左側の角から2軒目が「おざわ食堂」,そこから右へ向かって「多津美」「美登利」の順に店が並んでいた。すべて同じ建物に棟続きで入居していたように記憶している。
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2012.08.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

ラーメン・幸来


「幸来」のあった場所。
中央が市場の入口で、その右側が店舗、反対側が店主の居住区だったと記憶している。

「幸せが来る」と書いて「こうらい(幸来)」と読む。良い店名だ。まさにそうありたい、と思う。
店の前を通るとおいしそうなスープのにおいが漂ってきたものである。つゆの表面にはこってりとラードが浮かぶ濃厚な味だったが筆者はとても好きだった。
少し話はそれるが、かつて筆者の実家でのラーメンの出前は、決まって隣にあった「R軒」から取っていたのだが、必ず出前を持ってきたのが、当時R軒で働いていた幸来のマスターだった。
出前を持ってくるときに、岡持ちを持ったまま家の中に上がり込んでくる様子は鮮烈な印象となって今も筆者の脳裏に蘇ってくる。その後、R軒から少し離れた場所に、独立して開店したのが幸来である。
R軒の方はと言うと、やがて閉店し、そのあとは確か居抜きで「A」という店が開店(そこも美味しかった)。数年間は営業していたが、今、そこにラーメン店の面影は無い。
 さて、なにせご近所なものだから、その幸来のマスターとも、たまに銭湯で一緒になったものだ(牡丹園の回でも出てきた銭湯。名前を明かせば、今もある「旭鉱泉湯」)。幸来のマスター、なかなかの左党と見えて、たま~に一杯きこしめして、すごくご機嫌だったことがあった。
 あれほどラードのこってりとした味は今のラーメン店にはあまり見られない(蜂屋もちょっと違う。強いて言えば一昨年、永山にオープンした「とうがらし」という店が近いと思う)。
 砂川に全く同じ名前の「幸来」という店があるが中華料理店の名前としては割とスタンダードな部類と思うので関係は無いであろう。そこもなかなか個性的な店らしいので閉店する前に一度行ってみたいと思っている。(行こう行こうと思っているうちに閉店してしまう店は案外多いのである。例えば和寒の有名店「大勝」は最近廃業してしまったそうだ。

2012.08.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

旭川市役所職員会館喫茶室

 また思いっきりマイナーなところを持ち出して恐縮だが、ここも思い入れたっぷりなのでご勘弁いただきたい。
 現在は中華料理の「きよ」が営業している場所にあった。
 筆者が社会人となった平成元年頃には既にあり、数年間営業していた喫茶室である。
 ここの名物はなんといても「五目スパゲティ」であろう。(筆者は,それしか食べたことがない)
 今にして思えば、柔らかめに茹でたスパゲッティと数種の具材をただ単に油で炒めただけだったと思うのだが、独特のうまみがあった。たまに今でもあの味をどうやって出していたのかと考えてみるのだがどうしても分からない。たぶん食材がどうしたとか油がどうしたとかはあまりこだわらない、家庭的である意味ジャンクともいえる風味が筆者の口に合ったのだろう。
 もう一つ特筆すべきはそのボリュームである。なにしろ普通盛りがよその大盛り位あるのである。たまに知らないで大盛りを注文している人を見かけたが平らげるのにずいぶんと難儀していたようだ。
 メガ盛り全盛の現代ならば滝川の「喫茶マリン」と並び称される聖地となっていたのでは,と思うと感慨もひとしおである。
 清川虹子をもっと太らせて眼鏡をかけさせたような店主のおばちゃんの接客はお世辞にも良いとは言えなかったが、不思議と落ち着く良い店であった。
 元々は市職員の福利厚生施設なので、職員の親睦会が主催するビールパーティーや、職員の文化系サークルの作品展などもここで行われていたし、かつてはここで結婚式を挙げたカップルもいたそうである。
 ホテルとはまた違って、アットホームでくつろげる時間と空間がまだそこにはあったと思う。
(もっとも、「地味婚」「ホームパーティー婚」が主流の昨今では、かえって新鮮に受け入れられるかもしれないが。)
 何につけても「昔は良かった」とおやじくさく郷愁にひたりつつ、今回の稿を終えたい。

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現在の職員会館喫茶室(後の「きよ」)跡。椅子やテーブルだけが
往時の名残だ。今すぐにでも営業再開できそうな厨房跡が痛々しい。


 

2012.08.23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

ラーメン・西山軒

この店が本当に美味しかったのはロータリー時代だったと思う。
正油しか食べたことが無いのだが、旭川正油のスタンダードといった感じの安心して食べられる味だった。
買物公園に移ってきた事情は分からないが、このころから徐々に味を落としていった感がある。(あくまでも筆者の個人的感想である。)
たしか最後の方になると調理は若いお兄さんに任せていたのではなかったか。
開業当時の緊張感を持続していれば、今も根強い人気を誇っていたであろうことは想像に難くないだけに、非常に残念な店である。


↓当時西山軒があった場所には,別な大衆食堂が出店していたが,その店も最近閉店し,今は空き店舗だ。
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2012.08.22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

やきそば・やまや

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(写真上)かつて「やまや」があった建物。何代か店が変わり、今は空き店舗だ。

もう、この店を知らないという人が多いのではないか。
筆者的には「廃業残念度」トップクラスの店である。
たしか、基本の「焼きそば」は250円くらいだった気がする。
マスターが鉄板の上で手際よくつくる焼きそばは、それは本当に美味しかった。
この店以降、旭川で“焼きそばの美味しい店”はあるが(西武B館地下の「なの花」など)“焼きそば専門の店”は無いように思う。(あったらごめんなさい)
廃業の詳しい経緯は分からないが最後の方になると、マスターがとても痩せていたのを憶えている。あのマスターが健康に暮らしていることを痛切に願うのである。

追記:2階の釜飯屋もなかなか良かった。

2012.08.20 | コメント(6) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

中華料理・牡丹園

かつて、旭川市役所近くの買物公園周辺には、美味しくて個性的な飲食店が多数あった。
だが、諸般の事情で廃業してしまった店も少なくない。
このブログでは、そういった店に今一度スポットライトを当て、かすかな郷愁にひたろうという自分勝手な思いを綴っていきたい。

「牡丹園」(中華料理)

店名を書くだけでノスタルジーにひたれてしまうというのも凄いものだ。
なんと言ってもキャパが少ない。そのため昼に行っても入れないことが多かった。
確か昼のランチは鳥唐揚げ定食か何かで当時三百数十円だった記憶がある。
昼に行っても空振りすることが多かったので残業時に出前をとったものだ。
広東麺とチャーハンがおいしかった。チャーハンは普通盛りだと少ないので大盛りにするのだが、大盛りだとやたら量が多くなった。今だと普通盛りでも多いんだろうなあ、と思ってしまう。
店主は東映のやくざ映画に出てきそうな(着流しが似合いそう)渋いおじさんであった。
実は、筆者はかつてこの店の凄く近くに住んでいたことがあったのでちょっと面識があるのである。
大人になってからも銭湯に行くとサウナ室で一緒になり「Wさんのところの子供だろ?」と言われて「はあ、」とリアクションに困ってしまったものだ。
あの店主は元気にしてるのだろうか。閉店後まもなく亡くなったという噂も聞くのだが本当だとすればとても残念である。

(余談)
この店の特徴というか、名物は「夫婦喧嘩」と「犬」である。
店は店主夫婦二人で切り盛りしていたが、時として店内で口論しながら調理していることがあった。
そんな時の料理の味は、ものすごくしょっぱかったり、逆に無味であったりと、両極端なことが多かった。
店主のメンタリティーが直接料理の味に反映されるというのは、今考えれば面白かった。
また、店内にはマルチーズかテリアのような小型室内犬が一匹いて、小上がりのあたりをうろついていた。
昼の繁忙期には紐で繋がれてはいたが、飲食店の店内で犬を飼っているところなど、衛生だ何だとやかましい当今では考えられない話だ。
ただ、「その頃」の飲食店では、それほど珍しくもない光景だ。
水を入れて出されるグラスが「ワンカップ」の空きコップであったということも…。

現在の牡丹園跡地。駐車場の向かって右端手前あたりに店があった。
牡丹園跡地画像


2012.08.19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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