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サフラン一人呑み~“チューダー”片手に伝説の梁山泊に思いをはせる

追悼~ビル・ロビンソン

 新日本プロレスは2014年3月4日、イギリスが生んだ往年の名レスラー、ビル・ロビンソンさんがアメリカの自宅で亡くなっていたと発表した。75才だった、とのことである。

 日本では国際、新日本、全日本プロレスの3団体のマットに上がった。(もしかしたらインディー団体への参加があるかもしれないが、あえて無視する)
 ビリー・ライレージム仕込みのシュートテクニックに加え、ダブルアームスープレックスのような華麗な技でも観客を魅了した。今、主流のスポーツライクなプロレスを我が国に定着させた功績は多大である。
 日本での試合で有名なのはやはりアントニオ猪木との60分フルタイムドローに終わったNWFヘビー級選手権だろう。(猪木も自らのベストバウトの一つに挙げている)
 また2000年代初頭、旧UWFの宮戸氏が主宰する「スネークピット・ジャパン」で“高円寺のレスリング・マスター”として後進たちの指導にあたった事は記憶に新しい。
 また一人、昭和レトロの名レスラーが逝ってしまった。心よりご冥福をお祈りする次第である。

 さて、久しぶりの一人呑みである。筆者があまりにも「焼き鳥缶」を褒めるので一部の読者の間では「ホテイから何かもらっているんじゃないか」なんて話があるらしい(笑)が、筆者は“市の土木建設課長さん”では無いので、それは「下衆のカングリ」というもの。
 だが、いつもホテイやイナバでは面白くないので、今宵の一人呑みの“アテ”はこちら。

写真1:国分(株)缶つま・レストラン~厚切りベーコン・プレーン
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写真2:同じく国分(株)~ムール貝の白ワイン蒸し風
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 なんでも今、ちょっとした缶詰ブームなのだそうで、そのブームを前出のホテイやイナバと共にけん引しているのがこの「国分K&K缶つまシリーズ」である。値段はちょっとお高めだが今日(3月8日)、プライベートで結構、嬉しい事があったので奮発して買ってみた。

写真3:少し湯せんしてフタを開けたところ。厚切りベーコン
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写真4:同じくムール貝。アテに合わせる酒は今回はこれを用意する。
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写真5:焼酎とサイダー
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写真6:「焼酎をサイダーで割ってみる」之図
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これを見てピンと来た方は結構な漫画ファンである。そう、かつてトキワ荘に集った若き漫画家たちが愛した、その名も「チューダー」である。

 写真7:藤子不二雄A著“まんが道”より。「寺田ヒロオ氏(テラさん)が藤子不二雄A氏(我孫子素雄氏)に初めてチューダーをふるまうくだり」
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 まず“缶つま”だが、お値段の価値は十分にあると言えよう。ベーコンにしてもムール貝にしても、ちゃんとした器に盛って出されれば、知らなければ筆者には缶詰とは分からない。気になるお値段はどちらもドンキホーテで400円を切る位。次は定番のオイルサーディンでも試してみるつもりだ。
 またチューダーは酒呑みには若干甘いが、お酒の苦手な人なら味や“喉ごし”が丁度良いと思う。自分で作るので濃さも自由に調節できるのも良いだろう。(筆者は濃いめにした)写真7でテラさんが「夏にはこれが一番スカッとする」と言っているが、本当にそのとおりだと思う。漫画ファンならこれを飲みながらトキワ荘に思いをめぐらすのも良いのでは。
 こういった“缶つま”が流行るのも、リーマンショック以降の不況に伴う“家呑みブーム”が影響しているのだろう。筆者も若いときには毎週の様に居酒屋、スナックに通っていた。だが今、外で呑むのは年に3~4回くらいである。ただ“サンロク街”の衰退も深刻だという話も聞いている。今回の記事を書いて、これからの歓送迎会シーズン、久しぶりにかつての馴染みの店に顔を出したいと思った次第である。

 話を漫画に戻そう。“トキワ荘”という言葉自体を知らない人は少ないと思うが、詳しくない人のために、筆者の記憶の範疇内で捕捉したい。
 昭和30年代初頭、東京都豊島区、椎名町の1軒のアパートに未来の「手塚治虫」を夢見て多くの若き漫画家たちが集まった。その“若き漫画家たちの梁山泊”がトキワ荘である。
 もっとも1棟全てではなく2階なのだが、その面々の名前を挙げると、先述の寺田ヒロオさん、藤子不二雄さん(我孫子さんと藤本弘さん)、赤塚不二夫さん、石森章太郎さん、鈴木伸一さん、もりやすなおやさん、よこたとくおさん、水野英子さんである。藤子さん、石森さん、赤塚さんなど“知らない日本人は居ない”人も居れば、漫画ファンでなければ「誰?」という人も居るかも知れない。だが例えば水野さんなど、我が国の少女漫画の発展の礎となった方であるし、鈴木伸一さんは後にアニメを主戦場とされ、その発展に寄与された。ラーメンの小池さん、といえば分かりやすいか。

 トキワ荘そのものは1982年、老朽化のため取り壊され、今は跡地の近くに建物のミニチュアと記念碑が残されている。
 また、かつて住んでいた漫画家たちも多くが鬼籍に入ってしまった。今日現在(2014年3月)ご健在なのは我孫子さん、水野さん、よこたさん、鈴木さんを残すのみである。
 当時のトキワ荘の雰囲気については(若干のフィクションは混じっているが)我孫子さんの「まんが道」が良く伝わると思うので興味のある方はご一読されたら、と思う。(一部欠損はあるが中央図書館閉架書庫にあり)また、トキワ荘の若き漫画家たちが愛した松葉のラーメンはまだあるので、筆者も一度は味わってみたいと思っている。

 最後に冒頭のビル・ロビンソンさんについて一寸触れて今回の記事を終えたい。
 新日本プロレスから全日本プロレスに移籍して間もなくシングルマッチが組まれ、ジャンボ鶴田と引き分け、ジャイアント馬場には敗れた。
 つまりロビンソンと引き分けた猪木=鶴田と同格、馬場より弱い、というロジックを成り立たせたワケ。だが、ヨーロッパの実力者であるロビンソンが、まだまだ売出し中の鶴田と引き分けというのは変だし納得いかない。故人の事は悪く書きたくないが、ちょっと馬場さんの“ちっちゃさ”を感じてしまうエピソードである。(まぁ、それだけ当時の全日本プロレスと新日本プロレスの仲が悪かったという事なのだが)
 ちなみに後年、ビル・ロビンソンさんは人から「なぜ馬場なんかに負けたんだ?」と問われた時に、こう答えたと言われる。
 
「たしかにババと私が戦えば10回のうち9回は私が勝つだろう。つまりあの試合はその10回のうちの1回(馬場が勝つ方)だったのさ」

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2014.03.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

闘魂30年の呪縛

ここに丁度今から30年前の新聞がある。北海道新聞、1983年6月3日版。記事は3面の左側。(四コママンガの下)

写真1:「1983年6月3日付 北海道新聞」
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 記事の内容は前日に行われた新日本プロレスのIWGP(後述)決勝戦の結果を伝えるもの。有名な“猪木ベロ出し失神事件”である。見出しこそ「ひじ打ち一発“闘魂”も参った?」と茶化し気味だが記事の内容は終始「猪木選手」「ホーガン選手」といった具合で、真面目に試合結果、というより猪木が病院に搬送されるまでを伝えるものだ。 なお、記事中では“アックスボンバー”という技のことを“ひじ打ち”と表現しているが、鍛え上げたハルク・ホーガンの腕をガッツポーズのようにして、相手の顔面に叩きつける、という必殺技である。
閑話休題(それはさておき)、読者諸賢もご存じの通りプロレスの試合が一般マスコミで報道されるなど非常に珍しいことなのだ。この「猪木病院送り」は当日の日本テレビのニュースでも流れたとのことである。
 さて、プロレスに詳しくない人のためにIWGPとは何かというと、もちろん池袋ウエストゲートパークではなく、当時アントニオ猪木が世界各地の強者を集め本当のチャンピオンを決めよう、と提唱し、自ら保持するNWFチャンピオンを返上して(このタイトルもジョニー・パワーズというレスラーから金で買ったものだが)、世界各地域の代表を集め行ったリーグである。大人になった今から見ると、各地域の代表といっても疑問なレスラーも多く、また世界のマーケットがそんなことを認める訳もなく、日本の、いや、新日本プロレスのローカルタイトルに過ぎないのだが、筆者を含む当時のプロレスファンは充分に熱狂したし、昭和新日本プロレス、過激な仕掛け人の新間寿氏によると、タイガーマスクブームも相まって、新日史上最大の利益をもたらしたそうである。リーグ戦は日本各地で行われやがてシリーズ最終日の決勝戦、勝ち上がったのは順当にアントニオ猪木と“トップガイジンレスラー”として売り出し中のハルク・ホーガンである。
 試合の経過を簡単に振り返ってみる。

 写真2:「序盤~中盤は普通のプロレスの試合。猪木のコブラツイストがホーガンを責め立てる」
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 写真3:「ホーガンの全体重をブリッジで支える猪木。全盛を過ぎたとはいえ社長業をこなしながら、素晴らしいコンディションだ。考えてみたら今の筆者より3つ年下なのだ!(トホホ)」
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 写真4:「ぶれていて申し訳ない。場外乱闘の折、ホーガンに背中を見せた猪木の背後からアックスボンバーが襲いかかり、猪木は鉄柱に頭を打ち付ける」
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このあと、無防備にリングサイドに立った猪木に、先にリングに戻っていたホーガンが2発目のアックスボンバーを放つ。リングサイドから場外に転落した猪木はそのままKO。リング内に戻されるも、目をつむり、うずくまって舌を出した姿は昭和プロレス事件史の一つに数えられ、記憶にある読者も多いだろう。試合はそのまま猪木のカウントアウト負けとなり、結果、勝利をおさめたホーガンが、初代IWGPチャンピオンとなった。

 写真5:「猪木はベロ出しのあと大の字に。新日本プロレス関係者がリングに集まり場内は騒然となる」
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 写真6:「“どうなってるんだ?”といった表情のホーガン。対するのが昭和新日本プロレス過激な仕掛け人、新間寿氏」
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 試合の経過はざっとこんなところである。筆者を含め多くの多くのファンは猪木の勝利を疑っていなかっただけに、この結果は衝撃であった。そのため冒頭の道新を含め、少なくないマスコミもこの結果に関心を持つに至ったのだ。
 確か、筆者の記憶ではこの後、猪木は1月ほど療養目的で休場し、復帰戦の相手はディック・マードックがつとめた(卍固めで猪木の勝ち)と憶えている。
 さて、ここからが今回のポイントなのだが、この試合については近年、以下のようなことが言われている。
 曰く、そもそも人は気絶したときに舌など出さない。曰く、しばらくは絶対安静のはずの猪木がその晩、病院を抜け出していた。曰く、翌日、坂口副社長が机の上に「人間不信」と書いた紙を残ししばらく失踪した。などなど、つまりこの試合は、普通に猪木が勝つシナリオが書かれていたにも関わらず、猪木が勝手なアドリブで試合結果を変えてしまった、というものである。
 筆者の考えはどうか、というと、まず試合は猪木が勝つことになっていたと思う。それを伺わせるのがこの写真。

 写真7:「観客のコールをたしなめるホーガン」
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 この場面は何かというと、場内の観客が一斉に大猪木コールを始めたのだが、その声がかえって気絶中の猪木に差し障る、と考えてホーガンがファンに「押さえて、押さえて」という仕草をしているところである。表情を見ればホーガンが本当に心配しているのが見て取れる。
試合は猪木が勝つことになっていたとして、ではあれは本当に試合中のアクシデントか、それとも猪木の芝居か、ということになる。
 アントニオ猪木と言えばカールゴッチ仕込みのシュートテクニックを持つほかに、「箒とでもプロレスができる」と言われるほどのプロレス巧者である。ましてや自身のレスラー人生をかけた大一番。アクシデントで失神するといった失態をおかすとはとても考えられないのだ。(猪木のコンディションの良さは写真3のブリッジをみていただければお分かりだろう)
 だとしたら何故、猪木は多くのファンをがっかりさせ、大事な側近にまで不信感を抱かせかねない暴挙に及んだのか。
 ここで、特に45才以上のプロレスファンなら、この時期、猪木がある一つの言葉をしきりに叫んでいたのを覚えているだろう。「プロレスに市民権を!」“市民権”とは耳慣れない言葉だが、簡単に言えばプロレスも野球や相撲など他の競技と同様に扱って欲しい、試合結果なども普通に報道して欲しい、と訴えていたのだ。
 IWGP決勝戦、普通に猪木が勝っても、伝えるのは専門紙や専門誌のみである。一般マスコミはスポーツ面でも歯牙にもかけまい。だが衝撃的な猪木の敗北、病院送りならどうか、いやでも世間の耳目を集め、同時にプロレスの凄みを世間に伝えることができると猪木が考えたとしたらどうか。
 筆者はこのように愚考するのだがいかがだろうか。
事の真相について、恐らく猪木は墓場まで持って行くつもりだろうし、(引退後に書かれた自伝はかなりつっこんだ、つまり「ここまで書くか」といった内容だがそれでもこの件についてはスルーだった)関係者からもこの先、漏れてはこないだろう。
最後に翌年に行われた第2回IWGPについて少しだけ。決勝に残ったのは前年に続きアントニオ猪木VSハルク・ホーガン。今年こそ猪木の勝利を期待したファンだったが結末はなんと!場外戦になったときに長州力の乱入によりノーコンテスト。さすがに、これには納得できないファンが暴徒と化し、暴動に発展。蔵前国技館はしばらくプロレス興行禁止になったのではないか。これももちろん猪木の描いた絵なのだろうが、こんなことをして一体なんの意味があるのだろうか。つくづく猪木という人は不思議な人である。

2013.06.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

~小橋建太選手、お疲れ様でした~嗚呼我が青春の握り拳

平成25年5月11日(土)、プロレスラー小橋建太選手の引退試合が行われた。

写真:「結果を伝える日刊スポーツ」
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佐々木 健介    マイバッハ谷口
武藤 敬司     金丸義信 ×
秋山 準      潮崎 豪
○ 小橋 建太     KENTA

試合結果は39分59秒、小橋さんがムーンサルトプレスから金丸をフォール。マイバッハという人は良く分からないが若手の選手なのだろう。ちなみに相手チームの選手は皆、若い頃、小橋さんの付け人を経験したのだそうな。
小橋選手は90~00年代にかけて全日本プロレス~プロレスリングノアで活躍したプロレスラーである。特に90年代前半~中盤にかけて、ジャンボ鶴田さんが肝臓病でリタイア状態になってからの全日本プロレス四天王の試合は多くのファンを夢中にさせたものである。
全日本プロレス四天王とは小橋選手の他に、空中殺法、スープレックスなど何でもこなす懐の深かった三沢光晴さん(故人)、大きな体でダイナミックなプロレスを見せた田上(たうえ)明さん、キックを得意とし、あふれる闘志むき出しの“激情プロレス”を体現した川田利明さんの4人である。
こうして書いてみて思ったのだが、小橋選手は他の3人の良い所を全て併せ持っている。それに加えて甘いマスク。女性ファンの人気はダントツだったと記憶している。
またプロレス入りの経緯が、三沢、川田の両氏がレスリングの強豪校である足利工大附属高校(現在の高校野球で例えると大阪桐蔭高校か花巻東高校みたいなもの)からプロレス入り、田上明さんが大相撲からと、それぞれ王道コースなのに対し、小橋さんはいったんサラリーマンになったもののレスラーの夢を諦めきれず全日本プロレスに入門、雑草魂でトップレスラーに登りつめたのである。
ともあれ、常軌を逸した激しさの四天王プロレスは一世を風靡した。4人のタッグマッチをテレビ中継で解説したジャイアント馬場さんに「ここまで来ると限界を超えて表現する言葉もない」といった意味の事を言わしめたのである。
だがその四天王も今は、三沢さんはご存じの通り鬼籍に入ってしまった。川田さんは飲食店(“麺ジャラスK”といったか)に専念のようだし、田上さんも(年が年なので)スポット参戦のみのようである。
小橋さんについてもここ数年は怪我や病気(腎臓ガン)に悩まされ続けてきた。藤波、長州世代がまだ現役なのを考えると、46才の小橋さんもまだ“だましだまし”続けることは可能なのだろうが、定期的に激しいプロレスをやることができないのは本人にとって納得できないのだろう。
潔く引退を決意したのに違いない、と思うのである。
今後はマット界に残るのか、飲食業など実業の世界に身を投じるのか、それとも歌手である奥さん同様、芸能界に進むのか、それは分からない。だが小橋さんの誠実な性格とガッツがあれば、どの世界に進んでも再び成功をおさめるだろう。
正直に言うと、全日本の“受け”のプロレスを究極進化させた四天王プロレスを筆者はあまり好きではないのだが、今は心から言いたい。
小橋選手、本当にお疲れ様でした! と。

2013.05.13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

左利きで良かったと思ったこと~キューティー鈴木さんと握手

突然だが筆者は左利きである。文字を書くのは幼い頃に右に矯正されたが、箸を持つなどのほかの動作(特に細かい作業)は左である。
 よく左利きは右利きに比べ短命だというが特に不便を感じたこともないし、筆者の生活習慣なら右利きであったとしても長生きはできないであろう。
 だが、42年の人生の中で一度だけ「左利きで良かった」と思うことがあったのである。
 もう20年ほど前のことであろうか。旭川に女子プロレスの興行があり観戦に出かけたときのこと(筆者は女子プロレスに興味があまりないので多分タダ券をもらったか義理で買わされたりしたのであろう)。
 この手の興行では良くあることだが全カードの半分位が終わったところでグッズ販売とサイン会が行われた。サインをするレスラーは当時人気絶頂であったキューティー鈴木さんである。
 キューティーの周りを取り囲んでいたのは殆どがティーンエイジャーの少年たちであったが、筆者も「これは負けられない」とばかり行列に並んだのである。
 やがて筆者の番が。Tシャツを購入するとキューティーに差し出しサインをしてもらった。
 美少女レスラーの草分けとあって、間近で見るキューティーは、それは若く可愛らしかった。
(今ネットで調べてみたのだが筆者の一つ上、当時22~23才だったわけだ。)
 さて、サインを書いてもらったので筆者は「キューティーさん、頑張って下さい」と、すっと左手を差し出した。彼女は一瞬ポカンとしたが、サッと筆者の手を握り替えしてくれた。
 と、その時である。周りの女子レスラーや団体関係者とおぼしき男性が「だめ!だめ!」と言うのである。
 今度はこっちがポカン、である。スターとのサイン会(こっちはTシャツまで買っているのだ)、握手は当然OKであろう。筆者が「えっ、だめなんですか」というと「だめです」とのこと。もっとも、バッチリ握手してしまっているのだが、全く悪気のない行為なのでお咎め等はなかった(当然である)。
 ここで読者諸賢の中には「左利きと何の関係があるんだ」と思われる方もおられるのではないか。
 こういうことである。もし筆者が右利きだったら当然右手を差し出したであろう。その時キューティーは右手にサインペンを持っているので、サインペンを置いて手を出すことになる。つまり「ペンを置く」というワンアクションの間に周りの関係者に止められてしまうのだ。
 そう、あの握手は筆者が左利きであったために起こりえたことなのである。
 えっ、あまりにも下らないって?まあ、若き日の想い出ってことで読み飛ばしておくんなさい。

 ※写真キャプション1:Tシャツ表面。一回も着てないのに汚れまくり。真ん中近くにキューティーのサインが。
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 ※写真キャプション2:Tシャツ裏面。大塚製薬がスポンサーだったことが分かる。
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2012.09.28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

旭川市総合体育館 常磐(ときわ)分館

今、旭川でプロレス興行を行うとしたらどこでやるのだろうか。多分、大きい団体なら神楽の地場産業振興センター、小さい団体だとイトーヨーカドー横の大成市民センターといったところか。
筆者が高校生位の頃までは旭川でプロレスのメッカといえば常磐公園内にあった「旭川市総合体育館常磐分館」であった。(普通は「ときわ体育館」と呼ばれた。筆者や友達は「ブンカン」などと呼んでいた)
鉄筋の古い建物で大きくもなく綺麗でもなかったが、ここで見るプロレスはなんとも昭和スパイスの効いた味のあるものだった。(会場が小さいため2階席でもレスラーが身近に感じられた。あまり裕福でない筆者及び友人たちはもちろん2階席。リングサイドなど夢のまた夢なのだ。)分かりやすく言うと、雰囲気的には後楽園ホールが近いと思う。
さて、ちょっとでもプロレスが好きな人なら「ケロちゃん」という人物を知らない人はいまい。かつて新日本プロレスで美声を誇った名物リングアナである。
このケロちゃん、文才もなかなかのもので新日本の巡業模様などを綴ったエッセイ集を何冊も出している。
ある日この人の書いたエッセイを読んでいると(何で読んだかは忘れた。恐らく月刊プロレス誌か新日本の会場パンフレットか、とにかく日本中の人が目にする媒体)、日本全国、最低の会場ランキングといったテーマであった。
第10位:○○市○○体育館、第9位:××市××スポーツセンター、といった感じに読み進めていくうち遂に第1位。(もう展開読めているでしょうが)なんと、「旭川市総合体育館常磐分館」とあるではないですか!ケロちゃんによると、会場が古いというのも理由であるが、なによりも当日、音響設備が不調でマイクではなく拡声器でコールした、というのが決定打だそうだ。「そりゃー、プロレス界一の名物リングアナに拡声器じゃあ怒られて当然だよなあ」と筆者も妙に納得したのであった。
その常磐分館であるが今はもう無い。跡地には現在、旭川市中央図書館がある。
あそこで見た猪木、馬場、長州、藤波、鶴田、天竜らの勇姿は今もなお少年時代の思い出として筆者の中に蘇ってくるのである。

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(写真上)「旭川における昭和プロレスの殿堂・常磐体育館」の跡地は、現在の旭川市中央図書館が建っている場所だ。

2012.08.30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和プロレス

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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