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今は無きなつかしの・・・買物公園・老舗洋食店の閉店

 読者の皆さん、お久しぶりです。
 大変ご無沙汰しており、申し訳ございません。(汗)
 唐突だが皆さん、お昼休みはどのように過ごされているだろうか。
 ごはんを食べて、スマホをチェックして、という方が多いと思う。
 筆者は・・・と言えば、天気が許せば出来るだけ散歩するようにしている。
 そのコースは風の向くまま気の向くまま、特に決まっていない。
 そんなワケで先日もぶらぶらと“さんよん仲8丁目”を歩いていると、目に入ったのがこの光景。

 
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写真1:「仏蘭西亭あと」

 買物公園の老舗洋食店・仏蘭西亭が閉店していた。(二階の窓に貼られている「青いリンゴ」のポスターがもの悲しい。)
 閉店を告げる貼り紙の文面をご紹介すると
 「閉店のごあいさつ
 この度 店主体調不良のため閉店させていただく事になりました。
 1974年から49年間の長きにわたり大変お世話になりました。ありがとうございました。」

 古くからやっていると思っていたが1974年からとは・・・。アマゾンライダー放送開始の年ではないか!
 このお店、お値段が少し高めなので、筆者はランチに数回訪れただけだが、それでも歴史ある名店の終焉は寂しいもの。
 半世紀近くもお店を続けてこられた事に、一市民として心から「お疲れ様でした」と申し上げたい。
 さて、閉店と言えばこちらのお店もまた。

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写真2:「花むら・あと」

 駅前ビル1階にあった「食事処 花むら」が9月25日をもって閉店していた。
 こちらについては当ブログ2021年8月15日付け記事をご覧いただければ、と思う。
 愛想の良い女性ご店主と、ご常連たちで賑わっていたお店だった。
 初めて伺ったとき「美味しいよ」と薦められたカレーライスを結局いただかないまま閉店してしまったのが残念である。
 駅前ビルの老舗といえば「たけや食堂」も閉店してしい、“一杯のめる味のある食堂”は「おふくろ食堂」を残すだけになってしまった。
 “おふくろ”には長く続けて欲しい、と願うものである。 

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2023.10.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生活雑感

サフランまちあるき~六條にいま曲れば

 前回の記事の写真3で「スタルヒン居住地の看板」をご紹介した。
 同じような、銀色で縦長、上が三角の看板は市内に他にもあって、ご覧になった方もいらっしゃると思う。
 それらは1990年、旭川の開基100年の記念事業の一つとして、市内の記念碑的なところに置かれたのである。

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写真1:「宮沢賢治 立寄り地」

 写真1は6条通12丁目、旭川東高前の歩道に置かれた「宮沢賢治 立寄り地」の看板。逆光で説明文が読めないと思うので一部をご紹介すると、
「大正12年8月 宮沢賢治は樺太(現サハリン)へ向かう旅行の途中、旭川に立ち寄っており・・・この場から樺太へ向かっている・・・」とある。
 大正12年は1923年、つまり今から丁度100年前の8月2日、宮沢賢治は旭川を訪れていた。
 この旅行は賢治が教えていた岩手県の花巻農学校の生徒たちに就職先を探すため、樺太へ向う途中の旅だった。
 夜行列車は朝旭川駅に着き、短い旭川滞在のあいだ賢治は馬車を走らせ、そして一篇の詩を残している。

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写真2:「“旭川。”詩碑」

 写真1の看板の向かい、旭川東高の敷地内に、そのとき賢治が残した詩「旭川。」の詩碑がある。これも一部を抜粋してご紹介すると

 ~植民地風のこんな小馬車に 朝はやくひとり乗ることのたのしさ
  「農事試験場まで行ってください。」 「六條の十三丁目だ。」
 馬の鈴は鳴り 馭者は口を鳴らす。
 黒布はゆれるし まるで十月の風だ
 -中略-
 六條にいま曲れば
 お〃落葉松(ラリックス) 落葉松(ラリックス)
 それから青くふるえるポプルス この辺に来て大へん立派にやっている
 -中略-
 こんな小馬車を誰が欲しくないと伝おうか
 乗馬の人が二人来る。 そらが冷たく白いのに この人は白い歯をむいて笑っている。
 バビロン柳 おおばことつめくさ みんなつめたい朝の霞にみちている~ (※一部、旧かな遣いと旧漢字は現代に改めています)

 教え子の就職のためだろう。駅から6条13丁目付近にあった農事試験場へ馬車を走らせるが、試験場は既に永山へ移転。
 あとには旧制旭川中学(現・旭川東高校)があった。そして賢治は永山へは行かず、昼、旭川駅から稚内へ向かう。
 機会があれば一度、写真2の詩碑をご覧いただければ、と思う。
 ほんの短い滞在ではあったが、旭川のことを気に入ってもらえた事がうかがえる詩だと思う。
 この旅行は賢治にとって、前年に妹をなくした、悲しみをいだいた旅であり、だからこそこの詩は文学的な意味が深いと、筆者は感じるのである。

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写真3:「満腹食堂」

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写真4:「満腹のチャーハン」

 当ブログで今まで何回ご紹介しただろう。東高の斜め向かいにある(筆者の心のオアシス)満腹食堂。
 満腹のチャーハンもあと何回食べられるだろうか。ご店主の室岡さんもまた東高OBであり、結構なお年である。
 “満腹”がなくなる日など想像もしたくないが、これからはなるべく来たい、と思うのである。

2023.08.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフランまち歩き~今は無き懐かしの・・・味の幸の思い出

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写真1:「味の幸あと」

 8条通8丁目、9条側の仲通りにあった「味の幸(みのこう)」というお寿司屋さん。
 今、あと地は駐車場であり、こちらに壁を向けている建物はかつての立藤(たてふじ)金物店である。
 本来なら当ブログが始まった頃に取り上げるお店だが、当時、あまりにもマイナーだと思ったのだろう。今回初めて語る次第である。
 このお店、当時(1980年代)の筆者宅では出前に使うことがほとんどだった。
 それも自分たちで食べるためより、遠方から大事なお客さんが来たとき、そのお客さんに振る舞うことが多かった。
 お店に行ったこともないわけではない。一番思い出に残っているのは中学の入学式の後(なので1983年の4月)、祖母と二人で訪れたこと。
 そのとき食べたカツ丼の味は今でも良く憶えている。
 その味の幸、1990年代の終わり頃まではあったと記憶している。閉店間近の頃、当時の同僚と昼食に訪れたのが最後で、いつの間にか閉店していた。

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写真2:「八条ビル」

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写真3:「スタルヒン居住地の看板」

味の幸の仲通りを挟んだ向いにある八条ビル。その駐車場の一角に、写真3の「スタルヒン居住地の看板」がある。
 旭川が育てた偉大なる大投手、ヴィクトル・スタルヒン。
 革命によりロシアの大地を転々としたスタルヒン一家が日本に亡命、旭川に落ち着いたのが1925(大正14)年、スタルヒン9才の時だった。
 写真2の、現在八条ビルがあるところに両親がミルクホールを営み、スタルヒンも焼いたパンを売って家計を助ける傍ら、仲間とともに野球に汗を流す少年時代を過ごした。
 ずいぶん昔の記事に(いつ書いたか忘れるほど昔)、かつてこの辺を八条川という川が流れていて、スタルヒン少年が対岸にボールを投げて肩を鍛えたと書いたが、肝心の八条川の位置が分らなかった。
 だが最近、その八条川の場所が分ったので、そんなことも機会があればお伝えしたいと思っている。

2023.07.18 | コメント(0) | トラックバック(0) | まち歩き

サフラン焼き飯紀行~大雪通り沿い・老舗ラーメン店の絶品チャーハン

 前回に続き「気になっていたんだけど行ってなかったお店」初訪問企画。
 今回訪れたのは大雪通り沿いにあるこのお店。

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写真1:「龍宝」

 2条通18丁目、大雪通り沿いにある龍宝。前々から気になっていたお店の一つに、満を持して訪れてみた。
 外観から見てとれるように、昭和から続く老舗だろう。土曜日の午前11時。引き戸を開けていざ店内へ。

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写真2:「店内の様子」

 外観と同様にシブい店内。席はカウンターと小上がりが1席。
 狭い店内をフル活用するためか、カウンターは“Z”の角を直角にしたようなユニークな形。
 ライブラリーには「ナニワ金融道」や「課長 島耕作」など、オッサンに嬉しいラインナップ。
 切り盛りするのはお父さんと(恐らく息子さん夫婦と思われる)若い男女の、計3人。
 筆者の注文はもちろんこの一品。

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写真3:「チャーハン・700円也」

 若奥様が手際よく作ってくれたチャーハン。具材は細かく切った叉焼と玉子、玉ねぎと人参、ピーマンのみじん切り。
 柔らかく、シットリ系のチャーハンはまさに筆者の好みで、付け合わせの紅ショウガも嬉しい。
 ふとカウンターの上を見やると、これまたシブい調味料セットが。

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4:「調味料セット」

 唐突だがここで1曲。

 ♪若さっ、若さってなんだ 振り向かない ことさっ! ♪
  愛~ってなんだ! ためらわな~い こ~ と~ さ~ ♪
  ギャー バーン!!(こればっか)

 さて・・・。写真2にメニューが写っているが、こういう昔ながらのラーメン店のスゴイところ。
 それはラーメンだけでなく、丼ものや定食もあり、それがまた美味しいことだと思う。
 そして出前をしているところ。出前は息子さん(と思われる)若い男性の担当のようだ。
  帰り際、ご店主に「美味しかったです。また来ます」というと、ニコッと笑ってくれた。
  今度来る時はモヤシラーメンを食べてみたいと思う。あと「特撰冷しラーメン(みそ味)」も気になるところである。

2023.07.03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のグルメ

サフラン激辛グルメ~神居東地区 名物店の名物カレー

 今回ご紹介するのは黄色い外観が目を引くこちらのお店。

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写真1:「大門」

 日常のほとんどの事は中心地か春光、末広エリアで済ませている。たま~に永山に足を伸ばすくらい。
 だがそれでは全然見聞が広まらないのと、このお店は前々から気になっていたので、奥さんの居ない土曜日の昼に車で訪れてみた。
 11時の開店まもなく訪れたため、先客はご夫婦とお嬢さん一人の家族連れが一組のみ。
 店内はコの字カウンターに小上がり席が二つと、4人と2人がけのテーブル席が一つずつ。雑誌は週刊現代が揃っているのが嬉しい。
 カウンターに陣取った筆者の注文はこちらの一品。

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写真2:「ポークカレー・650円也」

 カレーはカツカレーとポークカレーの二種がある。先客のファミリーは皆さん、カツカレーを頼んでいたが、筆者はポーク。
 辛さは辛口、中辛、甘口のどれか。筆者は中辛をチョイスする(最近このコーナー、“激辛”は看板倒れなのはご愛敬)。
 写真のとおり、カレーの黒と大きなジャガイモの黄色が目を引く。そして小さな壺に入った福神漬け。
 この“黒カレー”がこちらの名物。系統としては神楽の「Bブラウン」あたりが近いのだろうか。
 と、能書きはこれくらいにして一口いただいてみる。名物の黒カレーは独特の、かすかな苦みが印象的。
 具材は柔らかく煮込まれたポークとニンジン、そして先述のジャガイモが美味しく、ルーとほどよい調和を保っている。
 土曜日の昼食、美味しく平らげたことをご報告する次第。今度は夜に訪れて、ラーメンとカレーのセットをいただきたいと思う。
 このお店が好きで通う人の事を「大門軍団」と言うらしいが、これで筆者も晴れて軍団の仲間入りである(注・ウソです)。

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写真3:「平成大橋」

 このお店は平成大橋のたもとにある。この橋はその名のとおり、架かったのが平成元年の秋頃だったと記憶している。
 昨年、拡幅工事をしていたが今は(写真3のとおり)片側2車線。
 話は少し変わって、筆者が入社したのもまた平成元年。当時、この近くに住む同期のNさん(今は結婚してSさん)という女性宅に、高卒の同期だけで集まった事があった。
 時刻は夜中に近くなっていた。どういう話の流れか、竣工間近の平成大橋にみんなで行き、Gメン75のOPよろしく、みんなで橋の上を歩いたのだった。
 (なので岸田ジュニアの“内閣組閣ごっこ”は全く笑えない)
 その高卒同期の面々、Nさんは早々と寿退社し、4人の子宝に恵まれ、今は東京在住(年賀状のやりとりは今も続いている)。
 他の高卒同期も、随分とエラくなった人や、早々と退社したあと諸国を漫遊し、今は市内で農業を営んでいる人、変わらず飄々としている“インチキセールスマン・H”など。
 はたまた筆者の様に全然うだつが上がらないなど、まさに“ディファレント・ストロークス”、人それぞれである。
 そうそう、同期と言えば、冒頭に出てきた“先客ファミリー”と言うのも、当ブログタイトルの所以にして筆者の師匠、サフランマンことO氏ファミリーだった。
 考えてみれば、O氏はこの近所に住まっているので特に珍しい事ではないのだが、それにしても偶然ってあるものである。

2023.06.18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 生活雑感

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プロフィール

ターメリックマン

Author:ターメリックマン
 旭川市の中心部にほど近い、常磐公園界隈で育った快男児。
 知新小、常盤中と進んだ「地元」への思いはそれなりに持っている。
「知っている人にしか共感を得られない」微妙な感覚と、スパイスの効いた「毒」をお届けしよう。
<守備範囲>
80年代B級アイドル、80年代洋画、昭和のテレビ時代劇、昭和プロレス、80年代洋楽
<好きなもの>酒 
<嫌いなもの>老いぼれ、ガキ、ペット

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